あなたを守るために僕たちは戦う

「どけ!」


 何者かが門口の衛兵に上げる怒号を、イピゲネイアと智紀が耳にする。その後に響いたのは金属が打ち合う音。最後に聞こえてきたのはドスンという地響き。


 不気味な沈黙が間に挟まれる。そして、何かがぶち破られる音がした。最初に西、次に東から。


「きゃあっ!」


 女のけたたましい叫び声がそこら中から飛び込んでくる。初めは小さく、徐々に大きく。やがて、イピゲネイアと智紀のいる寝殿しんでんに女達が駆け込んできた。


「姫様、お逃げください。武装した僧どもが押し入ってきています!」


 邸宅で働く女の一人が寝殿の母屋もやに着くとすぐに、彼女に危機的状況を伝えた。


「どうして……?」


 朱雀大路で起こった事件の詳細を知らないイピゲネイアは、訳が分からず動揺する。男達の雄叫びは耳にしているが、それ以上のことを知らない彼女にしてみれば、なぜ自分の家に武装した男達が押し入るのか分かるはずもない。


「あなた方は北対きたのついへ逃げて! 僧兵はすぐに渡殿わたどのを通ってこちらにやってくるでしょうから。イピゲネイアさんも!」


 智広の指示はイピゲネイアには届かない。


 彼女は思い出していた。こちらに来る直前の出来事を。


 鈍く光る鉄の刃。

 己を無表情で見つめる兵士。

 抵抗も許されず、待ち受けるのは死のみ。

 首を絶たれる寸前に見えた走馬灯。


「イピゲネイアさん!」


 智紀の再三の呼びかけで、ようやくイピゲネイアは我に返る。彼の呼びかけがそうさせたのか。それとも、中門廊ちゅうもんろうで行われている随身ずいしんと僧兵が繰り広げている攻防の音が、彼女を現実に引き戻したのか。


「ごっ、ごめん。智紀様。えっと」

北対きたのついに隠れて。後はなんとか」

「なんとか?」

「僕が奴らを押さえる!」


 イピゲネイアを侍女達に託し、智紀はもうすぐ寝殿に詰めかけるであろう僧兵に応戦する準備を始める。北側から何事かを叫ぶイピゲネイアの言葉を背に受けつつ。


(さて、相手は何人だ? 少ない方が嬉しいんだけど)


 この前のゴロツキとは勝手が違う。

 相手は長柄ながえの武器を振り回す僧兵。それも数は不明。

 太刀を無暗に振り回す輩と同じ仕方では戦えないことは分かり切っている。


「君たち。主人を守るために武器を取れ!」


 不安を感じつつも、智紀は西と東のついから這う這うの体で逃れてきた随身達に呼ばわった。


「む、無茶言わんでください!」

「敵は死を恐れずに長刀なぎなたを振ってくるんすよ!」

「もう何人も斬られたっつうのに」


 異口同音に弱音をはく随身たち。そこに主人を守るという本来の任務を果たそうとする気概は見えない。


 そんな彼らに、智紀が怒気を含んだ口調で言った。


「それでも君たちは随身か? 主人を守るのが仕事じゃないのかよ?


 君たちの気持ちは分からないでもないよ。


 いきなり姿を見せた女子おなごの警護を命じられ、正直納得がいっていないのは見りゃ分かる。穢れのために僕はここに半月ほど滞在したんだ。君たちの心の内は察せられたよ。


 でも、仕方がないだろ。あの人だって、右も左も分からないままにこの屋敷を与えられて、しかも今までこちらの世界に馴染もうと必死だったんだから。君たちをねぎらう余裕さえなかっただろうさ。


 でも、だからって職務放棄はおかしいよ!


 あなた方が僕の言葉に耳を貸さなくても、僕はあなた方を恨んだりはしない。


 僕は一人でもこの邸宅の主人を守るために全力を尽くすから」


 冷静に、だが熱い思いを込めた忠告を終えると智紀は北対きたのついへと繋がる渡殿わたどのに、近くにある几帳きちょうを運び出し始める。万が一自分が敗れた時、僧兵がそちらへ向かうのを遅らせるバリケードにするつもりで。


 額に汗をかきつつ、智紀は思った。

 

 自分が死ぬのは構わない。

 だって、もう身寄りはいないのだから。

 自分を大切にしてくれた父も、十年前に世を去った。

 母は物心つく前に旅だった。

 身寄りない自分には、守るべきものなんてない。

 そんな風に思っていた。

 つい最近までは。


 ふと、北対きたのついでまだ何事か喚いている「あの人」の顔を思い出す智紀。その目に浮かぶは彼女が見せる喜怒哀楽。


 夏に照る太陽のように、満面の笑みで僕を見つめるあなた。

 秋に赤くなる木の葉のように、頬を染めて見せるあなた。

 冬に夫婦で身を寄せ合うオシドリのように、肌指す寒さを紛らわそうと僕の手を取ろうとするあなた。

 そして、春に花咲くスミレのように、時折見せる少女みたいな仕草で僕をドキリとさせるあなた。

 

 今まで学問ばかりだった灰色の僕に、四季を見せてくれたあなた。

 そんなあなたを、僕は全力で守りたい!


(時間を稼げれば、きっと検非違使の方々が駆け付けてくれるはず。やって見せろよ、智紀!)


 己を鼓舞し、四肢に力をみなぎらせらせる智紀。その姿はさながら普段は温厚そうに見える鹿が、大切な異性を守るために気性が荒くなったかのよう。


「おい、あんた」


 そんな彼に声をかけたのは、先ほどまで逃げ腰を見せていた随身の一人。


「なに? 僕は一人でも――」

「俺たちも戦うぜ」

「あんたに死なれちゃ、ご主人様が助かっても意味ねえからな」

「そうそう、心の支えが近くにいてくれねえと」


 別の随身が言った「心の支え」という言葉。


 もし、その「支え」が自分のことならば……。


 智紀は大きく首を振る。


(よし。絶対に生きて、あの人の笑顔を見るぞ!)


 智紀が決意したのと同時に、西と東の綿殿から足駄あしだ渡殿わたどのを鳴らすのが聞こえてくる。


「「「『かぐや姫』をかたる罪深き女に死を!」」」


 十人の僧兵が遂に寝殿の妻戸つまどの前に押し寄せてきた。


「イピゲネイアさんはやらせない!」


 それに呼応して、智紀と家の随身たちは閉じられた妻戸から打って出る。


 家の主人を守るために。

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