破戒僧への「女神」の裁き

 僧兵十名は寝殿のひさしへと突入してくる。死をも恐れぬ形相で。


「やらせはしない!」


 妻戸を開けて彼らを迎え撃つは、智紀とものりと彼に率いられた随身五名。彼らは一丸となって主人のために血に塗れるのも厭わず、腰の太刀に手をかけた。


 一町百二十m四方の邸宅の中心地である寝殿にて、一人の乙女をかけた男たちの戦いが幕を開ける。


「やあっ!」


 一番槍となったのは、東の渡殿わたどのから迫り来る僧兵。彼は最も近くにいた随身ずいしんへと長刀なぎなたを振るった。先ほどの襲撃で帝の護衛を二人討ち取った、穢れに満ちた刃の先をだ。


「うおっ」


 一瞬の反応の遅れが命取りとなり、随身の一人は哀れにも胴を斜めに斬られて突っ伏し、その場に血だまりを作って逝った。


「偽の『かぐや姫』はどこだ?」

「いかせない!」


 一人を倒して安心しきったのか、先ほどの僧兵は母屋へと侵入しようと逸り、道を塞ぐ几帳きちょうの列を手当たり次第に斬り捨てる。その隙を見逃さず、太刀を振るったのは穂積智紀ほずみのとものり


 もはや穢れることなど歯牙にもかけず、智紀は髪を振り乱して太刀を振るい、敵の僧兵の脇腹目掛けて鋭い突きを繰り出すと、


「ごほっ」


 僧兵は左脇腹から右脇腹まで太刀に貫かれ、微かな呻きとともに血に突っ伏した。やがて彼に降りたのは死のとばり。走馬灯さえ見る間も与えられず、一人の僧兵が地獄に落ちた。


「おい、女子の悲鳴があっちから聞こえるぜ!」


 智紀が恐れていた事態が起こってしまった。僧兵が北対きたのついから女達の息吹を嗅ぎつけてきたびさしへ向かおうと躍起やっきになりだしたのだ。


 智紀は、北対きたのついへと通ずる渡殿わたどのを塞ぐ几帳の防壁を遮二無二しゃにむに突破しようと意気込む、僧兵四人のうちで最も自分の近くに立つ一人に斬りかかった。背中を見せ、隙だらけとなっている敵に。


「ふんっ!」


と、その時だった。智紀が斬りかかろうとした僧兵が数珠を手に何やら呪文を唱えると、なんと智紀の体は北廂きたびさしから母屋を抜けて、寝殿の南にある庭へと吹っ飛ばされたのは。


「な、なんだ、今の……」


 不可解な現象を目の当たりにし、しばし立ち上がることさえできない智紀。やがて、彼の唇から流れた血が、緑の水干あかに赤のまだら模様を作り出す。


「どうした? 背中からなら斬れると思っていたのか? 小僧?」


 やがて、くだんの僧兵が咳込む智紀に迫りくる。不可思議な手振りで数珠を回して、その場に結界を張りながら。


「俺のような僧兵の長はな、千古様の加護を受けてんのよ」

「千古様?」

「我らが『真のかぐや姫』と崇める御方さ。で、この数珠はその贈り物。背中を守護する結界を張れる『不意打ち除けの数珠』が俺を守ったのさ!」


 勝ち誇ったように説明を終えると、件の僧兵は智紀を腹を蹴り上げた。長刀で止めは刺さず、瀕死の相手をいたぶるために加減をしつつ蹴る様からは、勝利は揺るがないという自信が見て取れる。


「お、お前たちはどうせ……検非違使に捕まって……おしまいだ……」

「検非違使だあ? 今まで俺たちが別当様の寺に集まって陰謀を企てていたのにちっとも気付かない連中なんざ、今更役に立つと思ってんのかよ」

「なに……」

なんざ、無いも同然ってわけさ。へへ。


 言っとくけどな。俺達は死なんざ恐れちゃいねえ。死んでも浄土に行けるんだからよ。なんせ毎日念仏唱えてきたからな。はーはっは!


 さっきはあの若い関家の若武者に後れを取ったが、お前ら如きには負けねえさ。


 あの『稲薙剣いななぎのつるぎ』とかいう、あらゆる守護を敗れる太刀さえなきゃ、俺は正面からしか倒せんのよ! おん?」


 僧兵隊長の言葉は智紀の耳には雑音でしかなかった。今の彼の心にあるのは、家の主人を守ることだけ。それが今のような絶体絶命の状況にあろうとも、智紀の体は希望を捨てない。


 あの人だけは、何がなんでも守り抜く。

 僕はそう決めたんだ。

 仮に自分が助からなくても、あの人が助かればそれでいい。

 足が萎え、手に力は入らなくても、僕は進める。

 「あの人を守れ」と頭が叫ぶ限り、僕は這ってでも、無様であろうとも戦うことは止めない!

 俊信さんが父から厳しく教えられてきたという、武士もののふの道を僕は知らない。

 でも、この言葉だけは心に刻んだんだ。

 「言葉だけではなく、行動で示せ」って。


 少しずつ智紀の頭に降りてくる黒の簾が、彼の思考にもやをかける。だが、彼はそれでも諦めない。


 僕は俊信さんにみたいに勇敢じゃない。

 『本の虫』だなんて学生がくしょう仲間に陰口を言われるくらい、僕は本好きだ。これは否定できない事実だ。

 でも、だからこそ戦うんだ。

 あの人と語り合って、確かめたいから。

 生臭坊主が「偽の『かぐや姫』」だと言ったけれど、僕にはそんなの関係ない。

 だって、僕にとっては……。


「僕に……とっては、あの人が本物の……『かぐや姫』なんだ!


 まだ……語り合いたいことが……たくさんある……んだ。


 父さんが知りたがっていた……月の国のこと。


 それを僕が聞き出して……父さんに教えるんだ!


 そして、あの人を……連れていくんだ……黄泉の国に。


 人智を超えた力を持つあの人なら……きっと……きっと……」


 智紀は意識を失った。寝殿のきざはしの途中で、這いつつも最上段に手をかけた状態で。


「力尽きたか。もっといたぶってやりたかったんだがね。まあいい、それじゃ」


 智紀に一撃を与えた僧兵隊長が、階に倒れる彼の背に長刀なぎなたの穂先を向ける。一瞬目を北に向けると、両目に映るは仲間の勝利。家の主人を守る随身達は右手に太刀を持ちながら、今は動かず血の海に沈むばかり。


 僧兵達の乱行を聞きつけて、群衆の中から検非違使けびいしに訴える者が出始めるも、都を守る守護者の彼らは誰一人として動かない。


 イピゲネイアの死も時間の問題。


 そう思われた、その時だ。


 僧兵達に仏罰ならぬ神罰、それも西による罰が下されたのは。


「ぐおぉ」


 北対きたのついを塞ぐ几帳を全て撤去し、後はそちらへ向かうばかりとなった僧兵五名のうち、最初に押し入った一人が突如胸の苦しみを訴える。かと思えばその男は苦しそうに胸を押さえ、間もなく倒れて地獄へと落ちていった。


「な、なんだ? 急に暗く」


 すると今度は別の僧兵が何やら不可解なことを口にすると、やはり先ほど逝った仲間と同様に胸を押さえ、やがて突っ伏すと彼の魂は肉体からするりと抜けていった。


 その後残された僧兵三名にも、同じ裁きが下された。北対の傍にいた二名は、先の二人と同じむくろとなり果て、四つの眼を闇が覆った。


「なん……だと」


 最後の一人となった僧兵隊長は、己の嗜虐心しぎゃくしんによるものか、徐々に胸を締め付けられて、歩みの速度で死へと誘われていく。彼の脳裏に走馬灯が流される。


 修行にも励まず、酒を飲み、肉を食らい、女を漁るばかりの堕落した日々を送るだけの、地獄行き確定の人生の旅路が、彼の双眸そうぼうに否応なく映し出される。


 そして、走馬灯が終わると彼の眼に映し出されたのは……。


(お、女!? 足を晒して、髪は茶色。こりゃまさか!)


 この家の主人とされる女の、千古が嫌う「偽のかぐや姫」に瓜二つの乙女だった。


(残念だが、お主らに転移者を殺させるわけにはいかないのでな。代わりにお前が望む「死」をプレゼントしてやるぞ。有難く思え。)


 女神の姿が見えなくなると同時に、僧兵隊長の意識が途絶えた。次の瞬間、彼が目にしたのは浄土……ではなかった。


 そこに立っていたのは、舌を抜けと獄卒に命じる閻魔大王の姿。


 僧兵達は地獄に落とされたのだ。

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