転移した乙女と帝の出会い

「『今は昔、竹取のおきなという者有りけり。

 野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使いけり。

 名をば、讃岐造さぬきのみやつことなむいひける』


 これが『竹取物語』の序文ですじゃ。ほっほ、後でゆっくりとお話しましょう。かぐや――失礼しました。イピギアというのがあなた様の本名でしたな。


 久方ぶりの牛車でしょうから揺れがお辛いかもしれませんが、あと少しで都に着きますゆえ辛抱くだされ」


 いや、ムリムリ。もう既に気分が悪い!

 いやマジ、このギッシャって乗り物は最悪よ、もう。

 お父様に乗せられた馬きの戦車もひどかった。

 けど、こっちはこっちで別ベクトルの酷さね。しかも遅いし。


 これだったら馬に乗った方がマシと思ったイピゲネイアは、おじいさんに尋ねてみる。


「あの、お爺様」

「なんですかのお、イピギア様?」

「馬に直接乗せてはもらえないでしょうか」

「な、なんと!? 馬を用意せよと申すのですか?」


 あれ? 私、変なこと聞いたかな? と思うイピゲネイア。


 そんな彼女に、おじいさんは複雑そうな心中を滲ませた顔で答えた。


「イピギア様。わしの祖先である造麻呂みやつこまろ様はあなたのおかげで裕福になり、一時は馬を何頭も所有していました。ですが、あなたが月にお帰りになった後でみかどのお怒りを買いましてのお。


『私が愛したかぐや姫が月に帰ったのは、お主のせいじゃ、造麻呂みやつこまろ!』


と仰せられ、あなたのおかげで得られた富を全て没収されたのですじゃ。


 イピギア様。別にあなたを責めるつもりはありませんがのお。


 わしの先祖は、あなたが故郷にお帰りになってすぐに没落したのですじゃ」


 そこまで言うとおじいさんは嘆息した。何か訳ありらしい。


 心優しきイピゲネイアは思う。


 正直言って自分には関係のないことだ。

 自分はこのおじいさんの言うような『カグヤヒメ』ではない。

 おじいさんの先祖にひどい仕打ちをした『ミカド』という人の顔も知らない。

 だけど、なんだか可哀そう……。

 なんとかして、おじいさんを救って挙げられないかな。


「さ、着きましたよ。イピギア様。すみませんのお。疲れましたでしょう?」


 おじいさんは私の手を引いて、牛車の前からイピゲネイアを降ろした。とても丁寧に、絹を扱うみたいに。


(何かお礼を……あっ)


 その時、イピゲネイアは首にかかる首飾りに目を落とす。獅子をあしらった浮き彫りレリーフにトパーズやアクアマリン、アメジストをめこんだ豪華な一品だ。


「お爺様。あの」

「?」

「これを受け取ってください」


 イピゲネイアは首飾りを外しておじいさんに渡そうとしたが、彼はどうしても受け取ろうとはしない。このおきなは首を横には振らず、


「わしはそれを受け取りたくて、あなた様を都にお連れしたわけではありませぬ。取っておきなされ。それにその首飾りは、月に住まうあなたのお父上からの賜り物でございましょう? なら尚更のこと大切になさい」


と断った。だが、イピゲネイアは引き下がらない。


「よろしいのですか? さっき我儘わがままを言ったのに」

「我儘?」

「『馬に乗せてくれ』って、その」

「ああ、そのことならもう気にしてはおりませぬゆえ」

「いいえ、私が気にしてるんです!」


 イピゲネイアが大声を上げたことで、おじいさんと私の周囲に大きな人だかりができる。黒山の人だかりは一様におじいさんではなく、異国人の彼女の方をジロジロと見やった。


「見たことねえ女子おなごねえ?」

「海から渡ってきたんでねか?」

「まっさかぁ」

「色白すぎるわね。白粉の塗り過ぎ?」


 え? 私ってそんなに変? 

 確かにあなた方と比べれば背は高いし、肌が白いのは見れば分かるわ。

 でも、あなたたちと同じ人間よ! 

 どうしてそんな目で私を見るの? 

 まるで珍しい動物を鑑賞するみたいな目をして……。


 困惑を隠せないイピゲネイア。そこにさらなる追い打ちがかかる。


 豪華な彩りの牛車が、左右に大勢の従者と思しき男たちを侍らせながら、こちらに向かってきたのだ。


「おい、これは何の騒ぎだ? 


 本日は新たに即位なされたみかどが豊作を祈る『大嘗祭だいじょうさい』に先立って行う『みそぎ』の日である。


 何故なにゆえ、このような事態となっておるのだ!」


 やがて、左右に侍る男の一人――周りの従者とお揃いの黒で統一された衣装をまとっているが、その威容はさながら熊みたいな男――がギロリとイピゲネイアを睨みつける。


「右大臣の大友隆資おおとものたかすけ殿であらせられますか?」


 イピゲネイアがガクガク震えていると、隣に立っていたおじいさんが彼に声をかけた。見たところ、どうやら強面こわもての男とおじいさんは顔見知りらしい。 


「ああ、そうだ。此度こたびの騒動の原因はお前か?」

「そうでございます。この私、讃岐東麻呂さぬきのあずままろが此度の騒ぎの原因にございます」


 おじいさんが名乗った途端に顔色を変える隆資。それを見ていたイピゲネイアが呟く。


「お爺様って、もしかしてすごい人なの?」


 すると牛車のすだれが開き、そこから細くてしなやかな手が現れた。次の瞬間には牛車の主が姿を見せ、イピゲネイアの方へと近づいていく。


 身を包んでいるのは薄緑色の衣服。

 頭には黒い冠。

 足元まで隠す白袴しろばかまに木製の履物が足先を飾る。

 そして極めつけは、結い上げられた髪が露わにする引き締まった顔。


(う、美しい……ナルキッソスみたいに完璧なお顔だわ)


 一五歳のイピゲネイアは、自分がこのような事態を招いたことをしばし忘れ、息がかかるくらいの距離まで顔を近づけてきた瑞々しい殿方にうっとりしてしまう。


「ふむ。この女人が、かつて余の祖先を……東麻呂殿。詳しい話は内裏にて聞く。また此度の非礼は不問に付すゆえ、代わりにこの女子おなごを牛車から降ろして内裏だいりまで運んでもらえるか」

「は、かしこまりました。おかみ


 おじいさんと美しい殿方の会話は、今のイピゲネイアの耳には届かない。彼女は都の、いや、八島国やしまのくにの若き最高権力者のご尊顔に見惚れてしまっていたのだから。


 「はあ……素敵なお方だった。ところで、これから私はどうなっちゃうの? あれ? 袖を引っぱられてる……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る