乙女にとって予想外な帝の決断

 イピゲネイアは、自分の身に何が起こっているのかも分からないままに、先ほどの殿方の御前まで連れていかれた。


 彼女が連れていかれたのは、八島国の都である泰安京たいあんきょうの北部に位置する、大内裏の中の紫宸殿ししんでんの前。


 そこでイピゲネイアは、自分を導いてくれた讃岐東麻呂さぬきのあずままろの傍に立ち、彼が何やら先ほどの偉い方と話し込んでいるのを眺めることしかできなかった。


 手持無沙汰なイピゲネイアは、二人が交わす話に耳を傾け、どうにか今自分がいる世界についての手掛かりを得ようと苦心した。


 彼女が知りえた情報はこのようなものだった。


 先ほどの殿方が『青龍帝』という名の権力者であること。


 彼が八島国やしまのくに――大きな島国を治める偉大な帝王であるということ。


 青龍帝は大きな悩みを抱えているらしく、東麻呂はその解決策として『かぐや姫』の力を借りるべし、と説いていること。


 その『かぐや姫』という女性はかつて多くの男を不幸に追いやり、最後はみかどの求婚さえもふいにして故郷の月へと昇っていった女性だということ。


 本当はもっと重要なことが話し合われたが、今のイピゲネイアにそれ以上の情報を受け入れる余裕などなかった。なんせ、故郷のギリシアから異国に飛ばされて、まだ半日も経っていないのだから。


 そんな彼女に「合って間もない男たちが話していることを全て理解しろ」という方が酷というものだ。


「――というのがここまでの経緯でございます。お上」


 恭しくお辞儀をする東麻呂あずままろの姿がイピゲネイアの目に入る。どうやら話が終わったらしい。


 全てを聞き届けた青龍帝の顔は渋いものだった。眼下に佇むおきなの言葉を信じてよいものか、といった気持ちか。それとも……。


(あ、お悩みになっている青龍帝様のお顔も素敵♡)


 一方、イピゲネイアは乙女心を発揮していた。転移前に見せた「イケメン好き」は異国でも健在らしく、彼女は既に若き青龍帝――事実、彼は二十歳。若すぎる国家元首ではあった――を相手に「艶やかな想像」を思い描いていた。


 その証拠に、イピゲネイアの顔は今にも湯気が出そうなくらいには真っ赤に染め上がっている。余程お熱い妄想を膨らませていたのだろう。

 

「お上、ここは本人に聞いてみるのがよろしいかと存じます」


 だが、そんな彼女の妄想を容赦なくぶち壊した男が一人。大内裏だいだいりの朱雀門の前でイピゲネイアを睨みつけた大友隆資おおとものたかすけだ。


(あ、さっきの嫌なおじさんだ)


 口には出さないまでも、心中で悪態をつくイピゲネイア。隆資の濁声だみごえが己の妄想を破壊したようで、彼女は露骨な嫌悪の表情を浮かべてみせた。隆資に対するせめてもの抵抗だ。


 だが、齢五十の右大臣である隆資には効かなかった。


「おい、そこに控える女子おなご。お上の御前である。正直に申せられい。お主はまことのかぐや姫であるか? もしそうであるなら、何故今頃になって八島国やしまのくにに降臨されたのだ?」


 高圧的な態度に圧倒され、イピゲネイアは返事に窮する。誰かに助け舟を出してもらいたかったが、今の彼女には頼れる者がいない。東麻呂あずままろも彼女本人に語ってほしそうな顔をしている。


 イピゲネイアは悩んだ。


 ここは正直に「私はかぐや姫ではない」と答えてしまったらどうか。


 先ほどの会話からして、彼らが口にする「かぐや姫」と言う方はきっと高貴なお方に違いない。でなければ、国家元首の面前に出されるなんてあり得ない。


 私の故郷ギリシアのミュケナーイでもそうだったのだから。


 平民の女性が王――愛する父アガメムノンと謁見する場面を、私は一度も見たことがない。


 おそらく、幕を垂らして私に直接顔が見えないようにしている青龍帝様も自分の父と同じく、自らの宮殿に平民の女を入れようとは思わないだろう。


 私は確かに王族で高貴な身ではある。けれど『かぐや姫』ではない。


 誤解を招いたままで彼らに応じるのは良くない。やはり、ここは「人違いです」と告げた方が……。


 いや、それはできない。そう答えてしまえば、自分が何をされるのかも分からないし、それに……自分をここまで運んでくれた東麻呂さんが何かしらの罰を受けるかもしれない。


 でも……、嘘をつき通して自分がかぐや姫を演じるにしたって、私はその方について何も知らない。いつかは演技だとバレてしまうだろう。そうなれば、重い罰が課せられるだろう。私だけでなく東麻呂さんにも。


(どうすればいいの? 正直に言う? それとも『かぐや姫』を演じる?)


 狼狽ろうばいするイピゲネイア。そんな彼女の様子を見て段々と苛立ちを隠せなくなる隆資。彼はとうとう紫宸殿のきざはしを降りてきて、イピゲネイアの隣に立つ東麻呂あずままろに問うた。


「東麻呂よ。もしや『竹林に降りてきた』という話自体がお主のでっち上げではありまいな?」

「め、滅相もございません。隆資殿。私はこの目でしかと見たのです。


 竹林の上空が一瞬ぴかりと光ったかと思えば、次の瞬間にはドスンと何かが落ちる音がして、それで駆け寄ってみたら、こちらの方が……。


 満月の夜で明るかったとはいえ、月明りすらも霞ませる程の光がありました。これは明らかに人智を超えた力によるもの! それに落ちてきたお方は書物に描かれているように十四、五ぐらいの乙女ですよ?


 あまりにも符号し過ぎておりませぬか? お上もそうは思いませぬか。この東麻呂、決して嘘偽りなど――」

「もういい。口を閉じなさい。東麻呂殿」


 東麻呂の弁明を遮ったのは、青龍帝の左前方に座す男。彼の名は大友孝則おおとものたかのり。帝より三歳年上の二三歳にして左大臣の座に就く大物だ。


「お上。ここは一旦、この女人の素性を問うのは保留した方がよろしいかと存じます」

「何故だ? 孝則卿、ちんにその所以ゆえんを申せ」

「はい。かつて、この八島国やしまのくにに降り立ったかぐや姫は、あま羽衣はごろもを纏って故郷である月の国に帰られました。


 確か、その時の姫は帝――お上の遠い血筋に当たるお方に『あなたは誰ですの?』と言ってから昇天したと記録されております。


 思うに、再臨されたこちらの女人には『一度目の降臨』の記憶が失われている、のではないかと」


 淀みない孝則左大臣の受け答えに、青龍帝はしばし考える風をした。それを見た孝則は帝の傍に近寄り、何やら耳打ちする。


 やがて、青龍帝は怯えたままのイピゲネイアに宣言する。


「お主を、ちんの特別な計らいにより後宮仕えの女官とする。


 邸宅も用意してやる。


 朕はお主が『かぐや姫』であると信じておるが、まだ確証は得られておらぬ。よって、お主を都から放逐することはできぬ故、このような宣旨せんじを下す。


 明日から出勤するように」


 そう言うと青龍帝は高御座から座を外し、そそくさと奥に引っ込んでしまった。帝の後を追う左大臣孝則と右大臣隆資。孝則は一瞬、隆資の顔を見やると何やら勝ち誇った顔をして見せたが、隆資は無視して帝の後を追っていく。


 困り果てたのは、ポツンと残されたイピゲネイアだ。


(へ? 何、今のお言葉? 後宮? 宮仕え? なんのこと?)


 そんな彼女に東麻呂が話しかける。


「イピギア様。お上はあなたに、ここで働くように申されたのですじゃ」

「そ、そうなんですか?」

「ええ、明日から大変でしょうが、どうか精進してくだされ。いずれはあなたが記憶を取り戻し、その不思議な力でと、わしは願っておりますじゃ。それではお達者でのお」


 そう言うと東麻呂は牛車の駐車場に足を向け、内裏とは反対方向へと歩み出す。イピゲネイアを置き去りにして。

 

 文字通りの独りぼっちにされたイピゲネイアの心中はさぞ穏やかではなかった……かと思えば、当の彼女はまたまた顔を紅潮させている。


(青龍帝様のお屋敷に仕えられるなんて……。ああ。なんて幸運なの。私ったら!)


 ……まあとにかく、こうして様々な誤解から生じた一五歳の乙女による、一見すると雅やかな生活が始まるかと思われた。


 だが、この時の彼女は知らなかった。


 自分がどうして、ギリシアからずっと遠くにある八島国に飛ばされてきたのか。


 一体誰が彼女を異界に飛ばしたのか。その目的は何か。そして、なぜイピゲネイアが飛ばされねばならなかったのか。


 また、イピゲネイアが勘違いされた『かぐや姫』という女性は、果たして我々が知るあの『かぐや姫』と同一人物なのか。


 謎は未だ遥か彼方にある黒いヴェールに包まれていて、見通すことはできない。

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YOUは何故東国へ? ~西の王女様、東の異国にて旦那様候補を見つけるついでに世界を救う~ 荒川馳夫 @arakawa_haseo111

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