八島国の軍団、苦境に陥る

 さて、桜子が素戔嗚スサノオの手で血沼海ちぬのうみに辿り着いた頃、俊信を筆頭とする八島の軍団はどのような状況だったのか。


 はっきり言って軍団は危機的状況にあった。理由は二つ。


 一つは、軍全体に蔓延まんえんした疫病。


 浜辺でのいくさに勝利した八島の軍団は、その地に西の海を背にした防御陣地を構築。西以外の三方を木製の壁で囲み、等間隔にやぐらを建てることで、不意の襲撃に備えられるよう配慮していた。


 だが、その内にこもって休息を取っていた兵士達を不幸が襲った。疫病が広まったのだ。陣地内で死ぬ者が後を絶たなくなり、しかも総大将の俊信も感染したことで軍全体の士気が大幅に低下してしまった。


 なお、彼の補佐を命じられていた護国大将軍大友隆資おおとものたかすけについては、この時点で陣地内にはいなかった。


 隆資が単身で敵の城に乗り込んでいったことは既に述べた。だが、彼がそうした理由についてはまだ明らかにしていない。


 その理由は、『土蜘蛛』の王庫持不死男くらもちのふじおのもとに匿われている千古の救助にあった。


 自分の娘「かもしれない」女が敵に捕らわれていると思うと居ても立っても居られず、隆資は秘密裡に敵方の使者と交渉し、王城に案内するよう促したのだ。


 その結果、起こったのは庫持不死男による捕縛、そして千古と同じ牢への投獄だった。つまるところ、隆資は個人的な事情で敵地に乗り込み、虜囚りょしゅうの身になったのだ。


 ただ、この時の彼に行動について真っ向から非難するのも野暮というものだろう。

 実の娘、それも「都に災いをもたらした」可能性のある女を放置できるだろうか。

 父親として看過できるような話とは言い難い。

 それも「特徴的な身体的特徴」を持つ女だ。可能性はほぼ確信に近かった。


 隆資の行動が褒められたものでないことは確かだが、それはあくまで「軍を率いる将としては問題」といった話になろう。


 彼のその後はしかるべき時に述べることとし、今は俊信率いる八島の軍を襲った不運の話に戻ろう。


 八島の軍団に広がる疫病は兵士達を大いに苦しめたが、それを解決に導いてくれたのは『土蜘蛛』に支配されていた村落の住民だった。


『おそらく病を振りまく武塔神むとうのかみ様がお怒りになって、病をあなた方に流行らせたに違いない。我々の風習では、そんな時はの輪を腕に巻くことで回復できる。『土蜘蛛』から我々を解放してくれるなら喜んでお作りしましょう』


 の輪は村民の手で作られていき、大急ぎで八島軍の陣地に届けられた。余程『土蜘蛛』の支配がひどかったのだろう。でなければ、突如襲来した八島人の窮地を救おうとはすまい。


 これで疫病の一件は落着した。ただし、茅の輪ができあがるまでに命を落とした者は相当数にのぼったのは間違いなかった。


 もう一つの理由は、『土蜘蛛』軍の夜襲。


 疫病による被害から立ち直っていない八島の軍の陣地に、突如火の手が上がった。


「敵襲だ!」


 やぐらで物見に立っていた兵士の叫びが陣地内の人に届くと、その直後には夜空から死が降り注いだ。正確には『土蜘蛛』兵が放った火矢が、天幕の中に敷かれたわらむしろに横たわり休息を取っていた人々に襲い掛かったのだ。


 陣地は瞬時に火に包まれた。不意を突かれたうえ、寝ぼけ眼の人々が近くに置かれた武器を取り、迫る敵に対処しようと試みるも相手になるはずもなく……。


「おいおい、俺様が知ってる八島人はこんなに弱かったのか! ああん?」


 そして、そんな彼らを襲った敵軍の指揮官はなんと美作香みまさかのかおる。彼は今や同胞を容赦なく葬る悪党と化していた。


 ちなみに、彼と同じようなことをしていた人物がもう一人いた。それは青龍帝の妹にして神に仕える斎宮の詠子うたこだ。


 帝が、兄を苦しめられるのなら、私はなんだってする。

 たとえそれが異国の神に手を貸し、人道に反するものでも!

 ……あと、香様の関心を引けるなら何だってやるわ。

 だって、あの方は千古とかいう卑しい女ばかり見てるんだもの!

 ああ、腹が立つ!!


 とまあ……本人にとっては筋の通った理屈で詠子は異国の神を呼び起こし、八島人を苦しめることとした。その結果が、香指揮の軍の襲撃より前に発生した疫病の流行。


 つまり、村落の住民が話していた『病をもたらす武塔神むとうのかみ』による疫病の大流行には、実は詠子による呪詛じゅそがあったのだ。


 祖国では神に仕える身でありながら肉欲を満たす禁忌を犯していた詠子が、異国の神、それも疫病の神を呼び出して自国民に災いをもたらすというのは、もはや彼女が疫病神そのもの……と思うのは早計だろうか。


 ともかく、詠子が祖国の民に大きな損害をもたらしたのは間違いなかった。


 また、そんな彼女の援護を受けた香が、自国民に剣を振るっているのも疑いようのない事実だった。


「どうした? 俺様の相手になる奴はいねえのか! ったくよ、王様から受け取った剣のさびになる奴は皆雑魚ばかりだぜ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る