桜子、海神に救われる
泡がとめどなく口から漏れてくる。
(息が苦しい)
ぶくぶくという音が、耳の奥から頭に届く。
(嫌な感じね)
陽光が届かぬ深みに、体が沈んでいくの感じる。
(潰されちゃうの?)
目を開ければ、視界の端から中心部に霧が広がっていく。
(何も見えなくなって……)
桜子は思い出した。
そうだ。私、海神様の生贄になったんだ。
嵐を鎮めるために。殿方が無事に故郷へ帰れるようにって。
代わりに私が故郷に帰れなくなったけれど、そんなことはいいの。
だって、誰かのために犠牲になるのは悪いことじゃないから。
灯台の天辺から飛び降りる前に見た、蛍姫の墓碑に書いてあったもの。
『愛する人のためなら、命なんて惜しくない』って。
私も海に飛び込む瞬間には、蛍姫と同じ気持ちになってた。
俊信様、智紀様。お二人の武運長久を祈りつつ、私は
さようなら、八島。さようなら、故郷のミュケナイ。さようなら、お父様……。
『死なせはせぬぞ。イピ、じゃなかった。桜子よ』
不意に、それも直接脳内に女の声が入り込んできたことで、桜子の意識は鮮明になってくる。
『わらわは、お主の体がなければ目的を遂げられぬのでな』
特徴的な一人称が、沈みつつある桜子の頭から一つの記憶を呼び覚ます。俊信に字を初めて褒められる直前に見た、夢の中に現れた正体不明の「何か」のことを。
確か、その「何か」も一人称はわらわで、少し傲慢で――。
『起きろ。死ぬな。死なせぬぞ。死んだとしても生き返らせてやる!』
え? 何言ってるの。死んでも生き返らせる?
でも、生き返らせてくれるなら拒む理由はない。今味わってる苦しみから解放されるなら。
は、はやく、助けて! 「く、くるしい……」
桜子がどうにか苦しみを口にすると、誰かが彼女を海上へと押し上げていく。
『すまない。桜子さん。助けるのが遅れてしまって。長く苦しませてしまったね』
そう言って桜子を抱き上げたのは、丁寧に束ねられた黒髪に引き締まった筋肉が体を飾り、細い鼻を切れ長の眼が顔を彩る美男子。
「あなたは?」
『俺?
「え? 私も生贄に求めた海神様?」
『そう。だけど、君を生贄として受け取るのはやめた』
「そ、そうなんですね」
『ああ、そりゃ』
桜子から一瞬視線を外してから、
『蛍姫から言われちゃってね。もう生贄を受け取らないで! ってね。あと、君が崇拝するアルテミスちゃんの
君ってそんなに重要な人なのかい? 俺には月人の考えていることも、ギリシアとかいうよく分かんねえ国の神様が何を取り決めてんのかもさっぱりだぜ。はは』
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