第五章 歌詠み、そして授けられる新たな名

歌詠みの会 その一

 うぐいすが鳴き、桜が花開く季節となった四月一日。


「では、お願いしますね。俊信としのぶ様。智紀とものり様」

「喜んで」

「良い歌が詠めるように、僕も頑張ります」


 イピゲネイア、俊信、智紀の三人は大火を免れた左京区二条大路沿いの俊信の家で、以前に約束していた歌の品評会を開くこととした。


 このような催しを開けるぐらいには、都の混乱は収束しつつあった。

 もちろん、全てが解決したわけではない。

 民の救済は完了しておらず、斎宮詠子の拉致騒動で朝廷は大騒ぎのままだった。


 ただ、やはり八島人やしまびとの気質がそうさせるのだろうか。

 混乱がある程度収束してくると、彼らはいつもの日常生活に戻ってしまうのだ。危機意識の欠如が甚だしいとしか思えない。


(私に、父上のような働きができるのか)


 武人気質の強い関俊信を除いては。

 都の守護者である関家の若武者はやはり、歌詠みの会に参加している時でさえ、迫りくる脅威への対処及び今は亡き父に対する劣等感に頭を抱えていた。


「俊信」

「ん? なんだ、智紀」

「そんな顔で歌を詠むの?」

「そんな顔?」

「死を覚悟してるような顔だよ。ねえ、イピゲネイアさん」

「そうね。正直、見ててちょっと怖いかな」

「し、失礼。では、これでどうです」


 そう言うと、俊信は表情筋を動かして口角を上げ、さらに目元を緩めてみた。本人にしれみれば笑顔のつもりだったのだろうが、それを見ていた二人は途端に大笑いする。


「と、俊信。顔の左半分がピクピクしてるよ!」

「まるでお父様みたい! あごがしゃくれて……ああ、おかしい!」


 二人の爆笑に、俊信は機嫌を損ねるどころか上機嫌となる。この一連の行動は、彼なりの和まし方だったのかもしれない。


 二人を心配させたことへのお詫び。


 大火の際に多量の喀血かっけつをして倒れてから、今日で四ヶ月。

 

 イピゲネイアと同様に、俊信も目を覚ますのには相当の時間が必要となった。肺からの出血が甚だしく、一時は生死の境を彷徨ったのを彼はおぼえている。


 その間、俊信は再び物の怪に対面した。今度は夢の中で。


『お主を死なせはしない。あの女子が悲しむからな』


 前回は朧げな人魂ひとだまのようだったが、二度目の対面では相手が女だと、俊信にもはっきりと分かった。胸元が大きく開き、膝から下を見せる服装で現れたのだから。


『お前に告げる。四月まで船団を組織して、東の国を攻めるよう主君に申し述べよ。これはあの方との契約。そして、それを履行するにはお前の力が必要になるのだ。


 二五〇年前に都を守った家柄の、その超常的な武具を使えるお前にしかできない、重要な役割だ。


 どうかこの世界を、そして余が送りこんだイピゲネイアを頼むぞ』


 異国の女神と思しき人物の忠告を聞き終えると、俊信は目を覚ました。長安十一年三月上旬のことで、桜が春を告げて間もない時期のことだった。


『俊信様が! 智紀様、俊信様が目を覚ましたわ! 早く早く!』


 起きた瞬間に、泣きはらした顔のイピゲネイアと、胴に包帯を巻きつつも嬉しそうな顔の智紀が自分を迎えてくれたことは、俊信の脳裏に今も鮮明に記憶されている。


 ああ、戻ってこれたのだな。

 なら、私はまだ頑張れる。

 愛しの人と、大切な友のために。


 肺を鍛えるため、俊信はかつて父が行っていた鍛錬を己に課した。僅か一ヶ月という短期間だったが効果は絶大で、肺の機能は以前よりも強化されたことが実感できた。『稲薙剣』を使った模擬戦で滝口の武士を相手に一刻二時間も疲れることなく戦うことが可能になっていたのだから。


 僧兵を相手にした時には、四半刻三十分も持たなかったことを考えれば、これは十分な身体の強化を果たせたと言えよう。

 

 だが、そんな日々が続けばおのずと他者との交流を疎かにしてまうわけで……。


 俊信にはそんな思いがあったからこそ、この歌詠み会の場でおかしな笑顔を作って見せたのだろう。


「おや、何やらほがらかな笑いが聞こえてきましたな」

女子おなごの笑いにおのこの笑いでしょうか」


 と、その時。三人がいる釣殿つりどの直衣のうし姿の男が二人、透渡殿すきわたどのから顔を見せた。


「失礼、こちらに歌詠みにかこつけて女子おなごを喰らおうと企む熊二頭が出没したとの情報が入りまして、頭中将として調査に乗り出した次第です」


 一人は繊細そうな顔立ちでありつつ、どこか気障キザな性分が言葉から漂う美男子。名は大友斉賢おおとものただかた。御年三五歳。位階は正四位。官職は頭中将。


「おい、斉賢ただかた卿。そのような軽口は若者の、特に女子の前では慎むようにと何度も注意しているのに、まだ治らないのか」


 もう一人は斉賢とは対照的にふっくらとした顔立ちに、気品のある立ち振る舞いと言動が印象的な男。名は大友行経。御年三十歳。位階は従四位で、頭弁とうのべんを務めている。


 二人とも帝の首席秘書たる蔵人頭くろうどのとうを務める公卿で、また右大臣大友隆資おおとものたかすけと親しい間柄にある人物だ。


「いや、行経卿。俺は治らないんじゃない。治さないんだ」

「それはまた何故?」

「俺から洒落っ気を取ったら何も残らないからさ」

「またまた、あなたという人はいつもそうだ。私の言葉をいつもはぐらかす」

「日頃の政務に支障をきたしていないのだから、問題はあるまい」

「それは認めるが――」

「勤務時間を過ぎても、謹厳実直に過ごせって言いたいんだろ?」

「分かっているのなら、是非とも」

「いや、しない。それに、私的な時間の使い方まで君に指図されるいわれはない」

「はあ、まったくあなたという人は」


 二人の蔵人頭はここで気付く。若い乙女と二人の青年が自分たちを見つめていることに。「何の用事で来たのだろう?」という至極真っ当な疑問を目にたたえて。


「あ、これは失礼。実はですね。俺と隣にいる行経卿は本日、とある用事でこちらに参ったのです」


と斉賢が告げる。


「それはまた、蔵人頭が揃って何を?」

「まあ、その件については後で話すさ。智紀君」

「いえ、すぐに話して頂きたく存じます。斉賢殿」

「まあまあそう急かすな、俊信君。ほれ、今日はそちらの方に歌を教える日なのだろう?」


 智紀と俊信の追及を躱した斉賢は、イピゲネイアを指し示す。


「それとも何かね。熊から人を守るために狩人かりうどが派遣されて、実は焦っているとか」

「違います」

「違いますよ。何を根拠に」

「おや? 俺は『熊は君達二人だ』なんて明言していないがね。はて?」


 斉賢の口車に乗せられてしまい、俊信と智紀は一切の反論ができなかった。そんな二人を、何も分かっていないイピゲネイアが不思議そうな目で見つめる。


「斉賢卿」

「ああ、分かった分かった、行経卿。歌詠みの邪魔って言いたいのだな。それじゃ、我々二人も加えたうえで歌を詠みましょうか」

「……斉賢卿。まさか忘れたのではないでしょうね? 此度の用向きを」

「ささ、お三方も楽にして。紙を届けさせますから。おうい」


 あまりにもマイペースな斉賢に、行経は呆れかえり、イピゲネイアを含めた三人はあっけに取られるばかりだった。

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