謎多き『土蜘蛛』の王

 西から吹く強風が、蛮族が丘に築いた都市に容赦なく吹きつける。


「さあ、もう少しで着きますわ。かおる様に詠子うたこ様。着地の衝撃に備えてくだされ」


 そう言ったのは、その西風に乗って東に飛んでいた――詩的表現ではなく、兎のように島嶼部とうしょぶを飛び跳ね、母衣ほろをパラシュート代わりにして滑空していた千古だ。


「うわあーー!」

「ひいーー!」


 返ってきたのは承服ではなく二つの絶叫。千古の右脇に抱えられた香は透き通った肌に自らの唾液をぶちまけながら叫び、左脇に挟まれた詠子の方は恐怖で震えるばかりだった。


「なんじゃ。他愛ないのじゃな」


 一方で千古はマイペースだ。


「面倒くさいから、直接王の宮殿に向かうぞよ。お主ら、もう少し辛抱――」


 ここで千古は、自分が抱えている男女二人が泡を吹いて気絶しているのに気付いた。


「情けないのお。まあ、静かになったからよいか」


 千古はやはり二人を気遣う素振りなど露ほども見せず、母衣を利用した降下を続けた。次第に大きくなる地面。遠ざかる空……。


「到着じゃ」


 千古は遂に目的地に辿り着いた。そこは八島から東に百里約四百kmの場所にある『土蜘蛛』王国の首都泡田津あわたつの王城。


 その中心にある小高い丘の宮殿に降り立った千古は、香と詠子を抱えたままの体勢でこの国の長が座す宮殿の扉を開け、玉座の間へと歩いていく。


「ふぁっ? あれ、ここは」

「お、目を覚ましたのじゃな」


 その道中、香が復活する。彼は目を擦りつつ、今自分がいる場所がどんなところが探るために周囲に目をやる。


 壁は石造りで、タペストリーが等間隔に垂らされている。

 窓越しに見える城下町は、屋根が赤い焼成煉瓦しょうせいれんがの家屋が所狭しと立ち並んでいる。

 道路は碁盤の目状に敷設された泰安京とは違い、無秩序に伸びている。

 特に目を引くのは都市全体を覆う城壁で、遠目に見ても梯子はしご無しで登るのは困難な高さを誇っている。城壁を持たない泰安京との最大の相違点であり、それがあるために都市全体が閉鎖的な印象を受ける。


「これが『土蜘蛛』の王が支配する国の、最大の都市」

「そうじゃ、香。泰安京よりも武骨であろう?」

「ああ、そうだな」

「なんじゃ、その態度は。まさか今更、わらわとともに来たことを後悔してるわけではあるまいな?」

「ま、まさか」

「ならよい」


 自分を軽々と持ち上げながら、それも息を切らさずに話す千古の姿に、香は恐怖を抱きつつあった。


(もしかして俺、とんでもない女に命を預けちまったんじゃ)


 千古の言うがままに、香は詠子を拉致し『土蜘蛛』の支配領域まで連れてきていた。帝の妹を人質にすることで、朝廷に軍を編成させての遠征を計画させ、それを海上もしくは陸上で迎え撃ち壊滅させるための『土蜘蛛』側の作戦の一端だった。


 だが、それは頓挫とんざした。


 詠子を拉致した瞬間に八島国の東の海上は大荒れとなり、『土蜘蛛』海軍は航海の途上で大損害を蒙り、やむなく自国領に引き返さざるを得なくなったのだ。


 まるで、八百万の神々に仕える斎宮を拉致したことへの神罰が下ったかのように。


 香と逢瀬おうせを重ねる大罪を犯していた彼女に、八百万の神々が怒りを発するとは考えにくいが……。ともかく、斎宮の拉致とほぼ同時に起こった海の異変のおかげで、実は危機的状況にあった八島国が救われたことは疑いなかった。


 しかし、そんなことを単なる偶然と考えられないのが美作香みまさかのかおるという男だ。彼はここにきて祖国への裏切りを――ひいては千古に惚れ込んだことを後悔し始めた。


 とはいえ、もう後戻りなどできようはずもない。


 今更八島に戻っても処刑は確実。

 俺には選択肢なんてない。いや、あったが自分から捨ててしまった。

 「千古という女のせいで、俺は狂わされた」なんて言えたもんじゃない。

 この女、最初から俺を利用する気だったんだな。

 自分の計画通りに動いてくれる駒として。

 くそっ! 気付くべきだったんだ。

 あいつの忠告に耳を貸すべきだったんだ!

 俊信……やっぱり俺、どうかしてた。

 今になって、やっと分かったぜ。お前の言いたかったことが。

 

 後悔先に立たず、とはこのこと。全てが惚れた相手の思惑通りに運んでから悔やんでも遅いのだ。


「『かぐや姫』が帰ったのじゃ」


 千古の声が玉座の間に響く。部屋の左右に異教の神々の彫刻や列柱が立ち並ぶ中を彼女は進み、やがて主人の座る玉座――側面や肘掛けに琥珀こはくや真珠は象嵌ぞうがんされたそれの御前にまでやってきた。


「ご苦労。千古よ。ほお、お前が抱えているおのこ女子おなご八島人やしまびとだな」


 異様な成りの男が玉座に座っていた。


 足元には、小札こざねすね当て。

 前腕部には、皮製の籠手こて

 胴には、鹿のなめし皮で作られた鎧。

 両肩には、青銅製の肩当。

 首周りには、肩当と同じ青銅製の首当。

 顔の下半分を覆うのは、豊かなひげを垂らした面頬めんぽお

 頭を覆うのは、猪の牙を素材とした兜。

 そして、その頭頂部には世にも奇妙な物が飾りとして付けられていた。


「あ、あれは俊信の腰巾着が言ってた蓬莱山ほうらいさんの……」


 香が「玉の枝じゃないか」と言い終わる前に、玉座に座る男が彼をギロリと睨みつける。その様はさながら鬼のよう。


「発言を許してはいない。口を慎め」


 王の声には覇気がこもっていた。それが香の口を縫い付け、王を正視できなくなってしまう。


「陛下。この二人がおれば、陛下の長年の野望は成就されましょうのお。


 男の方は美作香。臣籍降下した美作家の子孫。陛下の剣として『土蜘蛛』のために身命を賭すとの誓いを立てた者。


 女の方は詠子。八百万の神々に仕える身でありながら不義を犯した帝の妹。こちらは人質としての価値がありましょうな」


 千古の説明に、玉座の男は「ほお」と呟き、しばし二人を交互に見やる。


「こんなのが、今の皇族の血を引くのか。ふん、高貴なる神八島名取耳天皇かみやしまのなとりみみのすめらみことの子孫の血もすっかり穢れてしまったな。


 特に男の方は醜い顔をしておる。


 外見は美しいが、その内部からは腐臭がする。


 私とは正反対ではないか」

「な、なんだよ、急に。好き勝手言いやがって」


 玉座の男の物言いに、香は思わず彼を罵った。すると……。


「私の言葉は正しい。間違いはない」


 玉座の男はやおら立ち上がり、面頬めんぽおを外して見せる。


「うっ……」


 あまりの光景に唖然とする香。


「何……、いやあっ!?」


 起きたばかりの詠子も、目の前に立つ男の異常な顔立ちを見て驚きを隠せない。


「怖いか。私の顔が」

「こ、怖いに決まってるじゃない! だって」

「『だって、人の顔をしていないじゃない!』かな? だが、私はれっきとした人間だ。という点だけが、普通の人間と違うくらいでな」

「さ、三百年!? あり得ないわよ、そんなの」

「あり得る。変若水おちみずを飲めば可能だ」

「若返りの霊薬!? 書物で読んだことはあるけど、本当にあったんだ……」

「あった。私はそれをある人物から渡された」

「だ、誰に?」

「かぐや姫に」


 香が千古の方を見る。彼女はただ男を見つめるだけで、何を考えているか窺い知ることはできない。


「千古、お前――」

「陛下。海は穏やかさを取り戻しておりますゆえ、決断されては如何か?」


 香の呼びかけを無視し、千古は男に計画の実行を勧めた。


「言われるまでもない。もう部下に海岸の防御は命じてある」


 男はそう言うと面頬を再び装着し、こう高らかに宣言する。


「この庫持不死男くらもちのふじおが、八島の帝王に裁きを下してやる。二百五十年前の仕打ちに対する復讐は、今を置いてないのだからな」

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