歌詠みの会 その二

 斉賢ただかた行経ゆきつねの予期せぬ来訪を経て、歌詠みの会は始められた。


「ではまず、俺から詠ませてもらう」


 一人目は、家に上がりこんで早々に若い三人を茶化して困らせた頭中将斉賢とうのちゅうじょうただかた。今しがた見せたようにマイペースな性格の彼はだが、筆に墨を付け、紙に歌を記す段になると途端に風流人ふうりゅうじんの顔になる。


(さっきの顔とは全然違う)


 ギャップ萌えというやつだろうか。イピゲネイアは、斉賢が真剣な眼差しで筆を操る様を興奮気味に眺めている。


「書き終わったぞ。では」


 筆を置くと、斉賢は朗々と自らがしたためた歌をえいじる。


 世の中に たえて桜のなかりせば 男心は のどけからまし

 (訳:この世に桜がいなければ男は心落ち着けて生きられるのに。だけど桜【=女】がいるからこそ、男は生き甲斐を感じられるというものだ)


 斉賢が詠い終えると、すぐに行経が尋ねた。


「斉賢卿。実にあなたらしい歌だ」

「おや、行経卿にそう言われるとは思わなかった。やはり、男という者は桜――女が好きな生き物。いやはや、俺とあなたは同じというわけだ」

「いいえ、あなたと同じではない。私は妻一筋、あなたは正妻の他に何人もの遊び女を持つ男ですから」

「ぐっ。だがね、僕は僕なりに節度をもった付き合いをだな――」

「ところで丁度一年ほど前、あなたが家の前で奥様に平手打ちを食らっているのを、私は知人から聞かされました。あの時は何が――」

「さ、さ、行経卿。こちらの若い人らに歌の手本を見せなされ。早く聞かせてくれ、という顔をしておりますよ」

 

(あっ、誤魔化したな。この人)

 

 斉賢の慌てっぷりを見た四人が彼に冷ややかな視線を送るが、当の本人は意に介さない。仕方なく、次に頭弁とうのべん行経が筆を取る。


あごに手を当てて考え込む仕草がこう、仕事人って感じ?)


 蔵人頭くろうどのとうと弁官を兼ねているからか、歌を記す時の行経のたたずまいは、文官が事務仕事を処理するような趣が感じられる。イピゲネイアもそれを知覚したのだろう。


「書けました。では、ご静聴ください」


 しろがねも 砂金も銅も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも

 (訳:銀も砂金も銅さえも子どもという最高の宝には及ばない=親にとって子どもこそ最も大切な存在なのだ)


 行常の歌を聞き、俊信と智紀が俯く。今は遠い世界に旅だってしまった父母を想ったのだろう。そんな二人に行常が言った。


「君たちの姿を、浄土から見ているご両親は喜ぶだろうね」

「「……?」」

「『こんなに優しい子に育ってくれて良かった』と思っているだろうから。


 私にも娘がいる。最近立って歩くようになったばかりで、見ていてハラハラするけど愛おしくて。


 いいかい。俊信君、智紀君。親というものはね、子が立派に育ってくれれば、それだけで嬉しくなるものなんだ」


 行常はまるで、俊信と智紀の父親であるかのように語りかけた。その様子を見ていたイピゲネイアも、しばらく見ていた父の顔を思い出す。


(お父様は、どうして私を生贄にしようとしたんだろ? 私を愛してないから? いいえ、そんなことはないはず)


「さて、音頭を取って年長の二人が詠んだ。次はどちらかな?」


 行常がそう言って、俊信と智紀を見やる。


「僕が詠みます。少し時間をください」


 三番手は智紀。彼は震える手で筆を取り、左手で和紙を掴みながら歌をじっくりと書きあげていく。


(緊張してる? それとも具合が悪いのかしら?)


 イピゲネイアが、智紀を不安そうに見つめている。


 智紀の心臓は強く脈打っていた。これから自分が書こうとしている歌が、婉曲えんきょく的な告白を歌うものだったから。


「か、書けたので、よ、詠みます」


 幾月も 相も変わらぬ 我が心 今日も待ちたる 妻の返事を

 (訳:あなたとお会いしてから数カ月が経ちましたが、私は今日も待ち続けています。愛しのあなたが私にくれる答えを)

 

 読み終わった直後の俊紀の顔は、桜桃のように朱に染まっていた。


「愛の歌だね。ところで、歌にある『愛しの誰か』とは具体的に誰の事かね?」


 斉賢の問いに返答はなかった。智紀は何も言わず、ただイピゲネイアをチラチラと見ては何ごとかを言おうとしては口ごもるのを繰り返すばかりだ。


(なるほど。そういうことね)


 斉賢と行経には、彼にとっての「愛しの誰か」が理解できた。

 俊信にも彼が言わんとすることはおおよそ汲み取れた。


(イトシの? うん?)


 ただ一人、イピゲネイアは理解できていないようだったが。


「ふむ、まあ、無理に答えさせたりはしないさ。智紀君。だが、いつかその女子に思いを伝えられる日がくることを願っているよ」

「は、はい」

「よし、さて、最後は」

「私です」

「俊信君だな。武人の君はどんな歌を詠んでくれるのかな」

 

 斉賢に発破をかけられた俊信は「時間をください」と告げ、それが皆に認められると太刀ではなく、それよりも小さくて細長い筆を力強く握る。


 民を守るためになら太刀を振るうのに躊躇を見せない俊信が、筆を握るとそれを動かすのには戸惑いが見られた。


 何を書けばいい?

 武士にふさわしい素直な歌か?

 はたまた、公卿たちが書くような遠回しの表現を駆使した歌か?

 どちらが正しい? 何が正しい?


 ヒュー。


 筆が止まっていた俊信の手に、冬の名残りを乗せた風が吹きつける。


「寒い」


 イピゲネイアが、風の吹きつけてきた西に振り向いた。俊信が座っているのとは反対の方向に。寒い風を吹かせた方角に不満そうな顔をつくりながら。


(これだ!)


 彼女の様子を見た俊信が、筆を機敏に動かし始める。そして、彼なりに考えた渾身の歌を書き上げると「できました」と言って、朗々と詠みあげた。


 君待つと が恋すれば 我が胸の 心のすだれに 春の風吹く

(訳:振り向いてくれないあなたを私が恋しく思っていると、私の心にかかる簾に春の温かな風が吹いて、早く振り向いてほしいという私の気持ちが募るばかりです)


(あっ、ふうん。そういうことね)


 俊信が詠み終えると、彼に気を利かせようと斉賢が言った。


「ほお、意中の人が振り向いてくれない? それは悩ましいね。片思いなんて辛いだろうに。イピゲネイアさんもそう思いません?」

「え、あ、その」

「?」

「す、すみません。私、その、皆様の歌が何を意味しているのか、さっぱり分からなくて」


 男四人は悟った。これはイピゲネイアのために開かれた歌詠みの会だったはずなのに、彼女の習熟度も考慮せずに、しかも勝手に会を進行していたことに。

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