悪意に満ちた二人の男女、主導権を握るは……

 都を焦がすほむらが悪人の輪郭を明らかにする。


「あんた、実は『かぐや姫』じゃなくて『ねむり姫』だったりする?


 僧兵に襲われてからひと月も寝たきりだったんだもんなあ。


 分かる? 『眠り姫』ちゃん?


 今は師走しわすの二九日。もうすぐ年越しだぜ。


 まあ、俺様はあんたじゃなくて」


 傲慢を顔に張り付けながら、美作香みまさかのかおるは傍らで妖しい笑みの千古を抱き寄せる。


「こっちの嬢ちゃんと年を越すつもりだけどな!


 あんたってば、そこの愛想のねえ武士もののふにお熱を上げてるみたいだし?


 俺様さぁ、自分になびかねえ女には興味ねえんだわ。


 特に、俺様を苛立たせる男にホイホイと頬を染めるような女にはな。


 ったくよ。俺様の方がそこで血吐いてる男なんかよりずっと男前なのにさ。どうして、俺様が付き合う女はことごとく……俊信! お前に惚れていっちまうんだよ!


 しかもよ、そんな女どもの気持ちなんざ、お前さんはちっとも顧みねえで仕事に打ち込みやがって!


 女よりも仕事ってか? 馬鹿馬鹿しい。


 俺様を見る目のねえ女ばかりが住むこんな都なんざ、別にどうなろうがいい。


 だから、俺様は決めたのさ」


 一拍置いてから、香は悪い笑みとともに真相を明かす。


「都に火を付けるよう安寧寺の僧兵を唆したのは俺様だ。


『このまま座して朝廷の裁定を仰げば、惨い死を待つばかり。

 

 だったら、最期に都もろとも燃え尽きて逝こうぜ』ってな。


 いや、でもさ。あいつら馬鹿だよなあ。


 念仏唱えてりゃ浄土行きだって真面目に信じてやがるんだから。


 ブツブツ言ってりゃ死後は安寧だなんて、ちっと頭を使えばおかしいって分かると思うんだけどねぇ。


 ったく、頭髪を剃って念仏唱えたぐらいで本性が変わるんなら、人間は皆浄土行きだっつーの。地獄の閻魔えんま様は仕事なくなっちまって退屈するってもんさ。


 まあいいさ。俺は千古、いや、本物の『かぐや姫』が願ったように動くだけだし。


『わらわに矢を射かけた愚かな帝の子孫が治める国なん一刻いっときでも地上に存在するなんて耐えられない』


 つぶらな瞳で見つめられて、んなこと言われたらよ。『願いを叶えてやらなきゃ!』って思うのが男の抗えないさがってもんさ!」


 香の心には迷いがない。

 彼の心にあるのはただ一つ。

 自分を頼りにしてくれる千古という女――それもただの女ではなく、魔性の女への忠誠。


 都の女達から浴びせられる歓声がどれほど大きくても、それは千古の手練手管てれんてくだを駆使した篭絡ろうらくの技術には敵わない。


『あなたが好き。世界中の誰よりも』

『あなたとずっと一緒にいたいけど、わらわの舞いを見たいおのこからひっきりなしに呼ばれるからそれも叶わない』

『皆がわらわを手籠めにしようとしてくる。あいつらの眼つき、まるで鬼みたいで怖い。でも、あなただけは違う。優しい眼つきでわらわを見つめてくれるから』


 こうして「あなたは特別」と印象付けておいてから、魔性の女は秘めた本性を曝け出すのだ。絶対に抗えないまで調教された犬に、飼い主が指示するように。

 

『わらわは帝が憎い。都が憎い。そこに暮らす人々も憎い。


 帝はわらわを傷つけた。父上の力で内裏を警備する親衛隊を無力化したはずなのに、帝だけはそれに抗った。


 帝はわらわの背を射た。我が物にならぬから月には行かせない! と叫んで。

 

 わらわは八島を呪った。いつか復讐してやると誓い、その時を待った。


 遂にその時がきたと分かると、わらわは喜んだ。


 わらわが去った後、あの憎き帝の後継者たちは仏の加護を得るために寺を建立した。世を乱す怨霊から国を守るために。


 でも、それももう無意味。末法の世だから、仏の加護は永遠に得られない。


 ねえ? 香様。あなたにだけ話してあげる。


 まもなく、『土蜘蛛つちぐも』が都を襲撃するの。奴らの統領が長らく朝廷の支配に服さないことは知ってるでしょ?


 仏の加護が失われた今、朝廷軍に勝ち目はない。


『土蜘蛛』は五万人を乗せた船団で攻め寄せるつもりなんだって。


 香様は話してくれたよね。朝廷軍は一万人ぐらいしか集まらないだろうって。


 勝ち目なんて万に一つもない。


 わらわは八島に暮らす人々がどうなってもいいと思ってる。


 でも、あなただけは別。一緒に来てほしいの。東にある『土蜘蛛』たちの住まう国に。そこで暮らしましょう。


 あなたがいなければ、わらわはもう生きていけない」


 顔立ちの整った美女が、兎みたいに大きくて丸い目でお願いしてくる。これに抗える男などそういない。


 千古には分かっていた。


 自分には、男を落とす類まれな才能があると。


 そして、自分の才能を駆使すれば長年の恨み――二五〇年という人の寿命を遥かに超えた歳月の間に蓄積された――を晴らすには好都合だとも思った。


 でも、自分はやはり女。女としての幸せも捨てがたい。


 千古は考えた。己の恨みを晴らせて、かつ己の伴侶に相応しい男はいないかと。


 親王は所詮使い捨て。


 帝の権威を低下させ、朝廷を混乱させるために嫌々舞って歓心を買い、彼にくびきをかけたいだけ。間違っても男女の関係にはならないし、体を許すつもりもない。


 どこかに扱いやすくて、わらわの言うことなら犬が尻尾を振るように服従のポーズをとってくれる男はいないかしら?


 あ、いたいた。それも帝の親衛隊で一二を争う実力者で、しかも女官がうっとりするほどの美丈夫が。


 美作香みまさかのとおる。あなたに決めた。


 香は気付いていなかった。


 生涯の伴侶にしたいと思った女が、実は底知れぬ害意を内に秘めた悪女であることに。

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