愛する者を失った二人は、戦場で相まみえる

 泡田津の西にあった八島の陣地に火がかけられようとしていた頃。


「門を開けてくれい」


 一人の男が、わらを満載した荷車を曳いて城塞都市泡田津の南門まで来て、門番に声をかける。


「用向きは?」

「あんさん達を束ねる偉い王様のご指示で、牛の食料を市内に運び入れにきやした」


 門番が確認のために奥へと引っ込む。その間、男はもう一人の門番と二人きりとなる。


「ねえ、あんちゃん」

「なんです?」

「いや、なんでもね。早く通してくんねえかな」

「許可が降りてからにしてください」

「へいへい」


 先ほど確認のために奥へ行っていたもう一人の門番がこちらに向かってくる。通行の許可が降りて、男は市内に荷車を運び入れた。


 を隠した荷車を。



 男が荷車を泡田津の市内に運び入れ、人々が寝静まった夜。


 場面は、智紀と香の死闘へと切り替わる。


「おい、聞こえなかったのか? 俊信はどこにいる?」


 香が、息も絶え絶えの智紀の首に刃を――『月絶剣つきたちのつるぎ』の切先を当てる。あと少し押し当てれば喉仏を裂こうかと思われる程の距離にまで近づけて。


「誰が言うもんか……僕は言わないぞ。絶対に」

「ほお、粘るねえ。じゃ、刺しちまおうかなぁ?」


 香が『月絶剣』を左右に傾けて見せる。不規則な焔が、大刀の刃を赤々と照らしだす。直刃すぐば刃文はもんがキラリと光り、対して、象嵌ぞうがんされた仏の御石は鈍く黒光りする。


「おい、本当に刺しちまうぞ? 命乞いしねえのかよ」

「するもんか。だって」

「だって?」

「もう、『かぐや姫』はこの世にはいないんだから。生きてる意味なんて――」


 香の手がピタリと止まる。


「死んだ? 何言ってやがる。『かぐや姫』は死んじゃいねえ。この現世うつしよに生きてる」

「いや、死んだ。あの人、今頃は黄泉の国に着いてるんじゃないかな」

「馬鹿なこと言うな! 俺様の『かぐや姫』は現世にいるんだ。嘘で俺様を動揺させようって魂胆だな、貴様!」

「嘘じゃない! 僕はこの目で見たんだ! あの人が――」


 智紀は、桜子――彼にとっての『かぐや姫』が海神の生贄として身を投げたことを、香に打ち明けることはできなかった。彼の魂が、その肉体から解き放たれてしまったから。


 十四歳の、声変わり途中の青年の喉仏を、香の『月絶剣』が刺し貫いていたのだ。


「お、俺様の『かぐや姫』が死んだ……どういうことだ? まさか、城内に刺客が送り込まれたっつうことか? いや、あり得ねえ。城門の警備は厳重だって、不死男ふじおのおっさんは言ってたじゃねえかよ。


 それとも、内通者が……? 俊信の野郎が武士もののふの道に反する手段を採ったってえのか。 ああくそっ、どういうこったよ、おい!」


 香の問いに、智紀は答えない。答えることはできない。彼自身がその術を奪い、智紀に最後まで語らせようとさせなかったから。


 何故なにゆえ、香はここまで焦ったのだろう。

 あまりにもおかしな話である。

 彼にとっての『かぐや姫』は死んでいなかったというのに。


 香にとっての『かぐや姫』である千古は、今この瞬間には実の父隆資とともに泡田津の地下牢に閉じ込められている。よって、『かぐや姫』はまだ死んでいない。


 香は勘違いをしていた。彼は知らなかったのだ。

 自分が命を奪った智紀が言った『かぐや姫』が、桜子を指していたのだと。


 そして、香は桜子が海神を鎮めるための生贄になったという事実を知らない。


 よって、智紀が言った『かぐや姫』の死とは、彼にしてみれば「地下牢にいる千古の死」という意味にしか捉えられない。


 香が動揺したのには、また別の理由がある。それは、彼が千古に同情し、彼女を愛してやりたいと心から思っていたことにあった。


 香は、不死男ふじおの指図で牢に押し込められた千古と話して、そして知ることができたのだ。


 千古には、誰かの怨霊が憑りついているということに。


 私は捨て子で、生後間もない頃までの記憶しかない。

 生まれた途端に「忌み子」と言われたこと。

 気が付けば暗い洞窟の中にいたこと。

 そこで、同じ年頃の動かない子達と寂しく暮らす日々がしばらく続いたこと。

 そして、自分もいずれそこに加わるのを恐れたこと。

 そんな気持ちで過ごしていたある日、自分の手に白い布が握られていていたこと。

 握ったら、頭に誰かの強烈な殺意が流れ込んできて、体が大人になっていたこと。

 流れ込んできた意思に抗えず、徐々に意識を侵食されていったこと。

 

 時とともに、私が「千古」なのか『かぐや姫』なのか自分にも分からなくなっていたこと。


 千古は全てを騙り終えると、香にこう懇願した。「わらわの言葉を信じて!」と。この告白が偽りだったなら、自分を切り捨ててもらって構わないとまで言い切って。


 香は女好きではあるが、根っからの悪人ではない。

 お調子者で、女たらしで、自律心の弱い男なのは事実だが、一方で女の話を無暗に否定する薄情者という訳ではなかったのだ。


 加えて、香は弱さを見せた彼女にある種の好意を寄せてもいた。


 千古の話が嘘か誠かは別として、不死男ふじおが彼女に不快感を示しているのを、香は間近で見ている。その証拠に彼は千古を地下牢に閉じ込めた。天の羽衣を縫い付けた母衣ほろを使っての逃亡を恐れた結果だ。こちらの動きを筒抜けにされる可能性を不死男は考えたのだろう。


 しかし、その結果もたらされたのは、千古の衰弱とさらなる錯乱だった。


 香からの指摘を受けた時点で心を乱していた千古は、暗い地下牢という「赤子の頃に経験したのと同じ環境」に置かれると、もはやいつぞや見せていた傲岸不遜な態度は鳴りを潜め、一気に幼児退行をしたような態度を見せたのだ。


  突然、喃語なんごを話したかと思えば、何かに怯えを見せたり、失禁したりもした。


 千古は、もはや赤子そのものだった。


 香はそんな彼女に憐みを覚えると同時に、地下牢で見せる姿こそが「本来の千古」なのだろうと考え始める。やがて、彼は決意した。


 もしも彼女の父親が見つからなかったら、自分が父親として彼女の面倒をみてやりたい。


 きっと、都で見せた彼女は憑依された結果として表面化したもので、それもできることなら祓ってやりたい。


 そして、誰がなんと言おうと自分だけは千古を『かぐや姫』と認めてあげよう。

 彼女の本当の父親が『愛しのかぐや姫』と呼んだように、自分も千古を同じように、いや、もっとたくさん慈しんでやりたい。


 香は自分を欺いたことを許し、千古を愛そうとしたのだ。だが、その千古――『香にとってのかぐや姫』が死んだ、と彼女に会えるはずのない智紀が語った。


 敵が何か策を弄して泡田津に潜入し、その過程で都に災いをもたらした千古に復讐する。


 香がこのように考えたとしても不思議ではなかった。


 もっとも、彼と千古の関係を知らなかった智紀にとって、また、彼の友人である俊信にとっては香の事情など知る由もない。


「オオッ、オオオッ!?」


 また、香にさえも分からないことがあった。


「オ、オ、オオォ……」


 それは自然を操る神々の意思だ。


「なんだ? やべえ! 西風が、体を燃やされちまう!?」


 八島の陣地を包囲していたはずの『土蜘蛛』軍が一目散に逃走していく。その原因は、彼らが羽織る火鼠の皮衣にあった。


 火鼠の皮衣には「水を浴び過ぎると着用者が死ぬ」という弱点があった。それを踏まえて、香が率いる『土蜘蛛』軍は海に近づかないように動き、海に逃れようとする敵には矢による攻撃を行っていた。


 だが、彼らが陣地の奥深くまで侵入した時に至り、予期せぬ西風――それもどういう訳か、陣地の『土蜘蛛』兵を狙い撃つように海水を含んだ風を浴びせてきたのだ。


「退け、退けえ!」


 火鼠の皮衣を脱ぎ捨て、馬に鞭打ちどうにか陣地を抜け出せた香が下知を飛ばす。だが、彼に付き従う者は極僅か。そのほとんどは燃える皮衣に身を包まれながら息絶えていた。


(ちくしょお!)


 俊信をこの手で殺すこともできず、さらに『かぐや姫』は死んだと知らされて動揺していた香は、落ち武者のように泡田津へと戻ろうとする。


 だが、それは叶わなかった。


「香、お前だけは!」


 純白の胴丸鎧に身を包んだ騎馬武者が、口から喀血しながら姿を見せた。体中から殺意の波動をみなぎらせて。


「私は見たぞ! お前が智紀の首をその剣で貫いたところを。


 智紀は……彼にだけは戦ってほしくなかった。死んでほしくなかった。


 智紀は八島の将来を担う男……私やお前とは違って気が利くし、細かい気配りができる奴だった。


 いずれは父と同じように東宮大夫となり、後の世の帝を立派に育て上げられる才を持つ逸材だった。だから、戦場に出したくなかった!


 だというのに、お前という奴は……。


 美作香! ここに私、関俊信が一騎打ちを申し込む!」


 俊信は、もはや香を生きて泡田津に帰すつもりなどなかった。彼の心にあったのは、友を殺された恨みを晴らそうと復讐心のみ。


「はっ、なら受けて立ってやるよ、その申し出を!

 

 今の俺様には、王から授けられた霊剣がある!


 俺様は……今まで一度たりとも、てめえに剣技で勝てた試しがなかったけどよお。こいつがありゃ、てめえに引けは取らねえ!


 そうさ、天翔命あまかけるみことが、皇族のみが手にできる霊剣がありゃ……てめえに今度こそ勝利してやらあ!!」


 二つの騎馬武者が相対する。両者に共通するのは、愛する者を奪われたことによる喪失感と、それから生じる黒きほむら


 西からは葦毛あしげの馬が、東からは栗毛の馬が、主人の乗せて疾駆する。


「「いざ参らん!!」」


 若き武者同士の一騎打ちが幕を開けるのだった。

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