第22話 不機嫌岩太郎
長沼議員欠席のまま、本日も国会は開かれる。
普段、欠席することのほぼない長沼が、『風邪だ』と申告すれば、それに反論できるモノなどいない。
長沼という強い兵力を欠いた野党側からの攻戦は穏やかで、予定していた通りの資料で予定した通りの答弁が繰り広げられる。
通されるべき法案は審議の末に通されて、通されざるべき法案は、落とされる。
国会が本来の立法の意味を正しく示す姿は、無駄なく華麗であった。
穏やかに議会は営まれているが、一点、とんでもなく不穏な空気を醸し出している男がいた。総理大臣の岩太郎であった。
天宮に大福の動画の視聴を止められて、タブレットを取り上げられてしまった。
できれば睡眠すら削って眺めていたい可愛い大福のモチモチボディを見られないことに、鬼神のような表情を浮かべているのだ。
「総理、もっと穏やかな表情を」
天宮が耳打ちしても、それは治るわけもない。
こうしている間にも、大福があくびの一つでもしているのではないかと思えば、気が気ではないのだ。
出来れば、自分で作業服を着て、大福の世話をしたい。
それを天宮に「一国の総理大臣には、もっと優先すべきことがあるでしょう!」と叱られて、我慢して岩太郎はここにいるのだ。
国家有事があるのだと、囁かれていた。
公務を欠席して引きこもっていた岩太郎が、タブレットを片手に国会に出席したと思ったら、今回は恐ろしい鬼の形相で座っている。
手に、タブレットを持ってはいないが、これは、まだ国家有事とやらは続いているのだろうかと、周囲は囁き合ってた。
「総理、何か……ご不満でも?」
長年続く不景気における失業率についての報告を挙げる藤枝は、合間に岩太郎に声を掛ける。
「総理大臣!」
議長に呼ばれて、岩太郎がゆっくりと立ち上がる。
演説台に近づく岩太郎の様は、試合前の覇気に満ち溢れた、手練れの格闘家に似ていた。
バンッと演説台に手をついた岩太郎が、ギロリと周囲を見回して「別に」と、一言発して、席に戻る。
普段はヤジで騒がしい議場内が、水を売ったようにシンとしている。
岩太郎の考えていることは、ただ一点。大福ちゃんの転がる姿なのだ。
ぽよぽよのお腹でコロコロと転がる様を思い浮かべれば、なおのこと早く執務室に戻って録画を確認したくなる。そして不機嫌になる岩太郎なのであった。
国家有事のことは、長沼だけでなく誰もが気になることである。
藤枝とて例外ではない。
この国家有事の種類によっては、与野党連携して処理に当たらなければならないだろうし、逆に、この機会に政権交代、解散総選挙なんてことになるのであれば、今から準備しなければ、与党に対抗できなくなる。
探りをいれたいのだが、……怖い。
普段、こういった度胸のいる仕事は、長沼に切り込ませているが、本日は、その長沼がいない。
長沼がいなければ、藤枝としては自分がが切り込まなければと、話を岩太郎に振ってみたのだが……怖い。
こんな怖い顔した男に、どう話を切り出せば良いのか、芦屋の『ええとこのボンボン』育ちの藤枝には分からない。
どうしよう……と、藤枝が周囲に目を向けてみるが、誰もが素知らぬ顔をして目を反らす。戸惑ってオロオロして岩太郎の顔をみれば、さらに不機嫌になっているのが、手に取るように分かる。
結局、藤枝は、何の情報も得られなかった。
議会終了と同時に、足早に立ち去る岩太郎に、誰も一言も声を掛けることは出来なかった。
「本当に、国家有事ってなんなんだろう」
ポツンとこぼした藤枝の言葉に、答えをくれる者は、一人もいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます