第30話 タモツさん

 長沼の事務所へ訪問客があった。

 議員としては有名人の部類にはいる長沼の事務所には、側溝の蓋が古くなったといった小さな案件から、水源の環境汚染を訴える署名のような大規模な案件まで、ありとあらゆる客が相談に来るが、だいたいは、長沼本人ではなく事務員が応対してさばいていた。

 

 だが、今回の訪問客は扱いが違う。

 長沼がずっと探していた『タモツさん』本人が、自ら訪れてくれたのだ。


「炊き出し場所の公民館のおばちゃんが、長沼さんが俺のこと探しているって言っていたから」


 路上生活で薄汚れ、ボロを纏ったタモツさんは、追い出そうとした事務員にそう言ったのだ。

 事務員は、タモツさんの言うことを信じてはいなかった。

 だが、念の為にとつないだ電話の先で、長沼は、「引き止めておきなさい!」と、事務員を一喝した。


 この薄汚れた老人に何があるのだろうと不審に思いながらも応接室に通して、事務員はお茶を出した。


「お待たせいたしましたね」


 すぐに現れた長沼は、にこやかにタモツさんの前に座った。

 ふかふかのソファの真ん中で居心地が悪そうにソワソワするタモツさんに、長沼は慈母のような表情を浮かべ、「気が利かないわね。お菓子の一つも出しなさいよ! どう見てもお腹を空かせていらっしゃるでしょう? ほら、カステラがあったじゃない!」と、事務員に命じた。


 タモツさんは、事務員の出したカステラを貪るように食いついた。

 ボロボロとこぼして食べる様子から、タモツさんがよっぽど限界の生活をしていたことが見て取れる。


「どこにいらしたんです? 炊き出しにいらっしゃらないから、心配していたんですよ」

「日雇いの仕事に合わせて、方々、地方へ」

「まぁ、そうでしたの。どのような仕事を?」

「大きな建築現場で石運んだり、産廃処理の現場で仕分けの手伝いとか」

「あら、肉体労働……ご苦労なさったのね」


 労いの言葉を長沼は、タモツさんに向ける。表情まで、心からタモツさんを案じているように見えるのは、見事だった。


「お探しとおっしゃっていたとか。何の御用でしょうか?」

「以前に、タモツさんがおっしゃってたでしょう?」

「何をですか?」

「ほら、総理が何か画策しているという情報ですよ。あの時は、詳しくお聞きせず失礼いたしました。後で調べてみれば、ビックリ! わたくし、怪しい建物を発見いたしましてね」

「ああ……これのことですね」


 ゴソゴソとタモツさんが自分の荷物をまさぐる。食べかけのパンや新聞紙の間から出てきた紙束を、タモツさんは、ポンと長沼の前のテーブルに投げてよこす。


「金になると思って、大事に保管しておいたんだ」


 長沼は紙束を確認して驚いた。

 長沼が苦労して手に入れた、あの怪しい施設の資料だ。

 ところどころ黒塗りで見えなくなっているが、長沼の手元にあるよりも詳しいくらいだ。

 あの時まともに話を聞いていれば、もっと早くに情報を仕入れられたのに。

 長沼は、過去の自分にイラつく。だが、それを表情には浮べない。


「あら、同じ物をすでに持っておりましてよ」


 余裕のある表情で、長沼はニコリと笑った。

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