第31話 スパイ
総理執務室。大画面で岩太郎が来客と二人で並んで団扇を振りながら大福を観ている。
画面の向こうでは、縦泳ぎでプカプカ浮いている大福が映っている。
画面の向こうの大福には見えるのはずのない団扇には、『大福ちゃんラブ』『コロンして♡』などと書かれている。
「で? 総理。大丈夫なの? そのタモツさん……保坂って男を信用して。ギャンブル依存症なんでしょ?」
「大丈夫ですよ。大丈夫なようにしていますから」
瀧源院岩太郎総理と並んで座っているのは、経団連会長の
あざらし幼稚園の資金を提供した人間の一人であり、岩太郎が政界に入ったころからの盟友である。
「あ……ああ!」
「ああ!」
日本を牛耳る大物二人で、大福がプクンとプールに沈むのに悲鳴を上げる。
画面の中では、大福が短い手足を動かして、元の縦泳ぎの体勢に戻っている。
「良かった! そのまま沈んじゃうかと思ったよ」
「あれ、途中で泳ぐの忘れて寝ちゃったのかな」
「そういうとこ、可愛いよね」
おじさん二人で、きゃっきゃ言いながらあざらしの一挙手一投足に盛り上がる。
「野党の……長沼君だっけね」
「ええ。将来有望な政治家です」
「天宮君よりも?」
「いいえ。天宮は、私が育てましたから。長沼君よりも一枚上手です」
「ふうん。足元を掬われないといいけどね」
「その時は、掬わせます」
不敵な笑みを浮かべる岩太郎に、幸之助の眉がピクリと上がる。
「相変わらずの喰えない男だよ」
幸之助は、大福に視線を戻す。
大福は、まだ縦泳ぎで浮かんでいる。
◇ ◇ ◇
長沼の選挙事務所。
まだ、タモツさんは、長沼と話していた。
「建築現場で働いている時にこの書類を入手したのね?」
「ええ。いくらで買ってくれます?」
「残念だけれども、この程度の情報にお金は払えないわ。もう調べているもの」
一通り書類を見た後で、長沼はタモツさんに投げて返す。
正直言えば、長沼の調べたことよりも、タモツさんの持ってきた書類の方が詳しく記載されていた。だが、今確認しただけで、大体の内容を長沼は覚えた。
この程度のことは、長沼には造作もない。
「そんな……」
「もう……タモツさんに情報はないのかしら?」
「ええっと……」
この書類を渡すだけで、金銭がもらえると思っていたのだろう。タモツさんは、あてが外れたようで、きょときょとと辺りを見回して挙動不審になる。
「そ、そうだ。あの施設に今も働いている奴にコネがあるんだ」
「コネ?」
「そう。昔の日雇い現場近くの定食屋でバイトをしていた女、その女が、雇われてあの施設で実験とかしているみたいなんだ」
長沼は思い出す。
血にまみれた作業服の女が、確かに施設にいた。
「その女、口が軽くって、酔っぱらうとペラペラ何でも話しちまう奴で。施設のことも、あっさり話してくれると思うんだ」
「スパイをするって言うの?」
「そうだ。金さえくれればな。何でも知りたいことを言ってくれれば、その女から聞き出してくる」
「そう……」
「悪くない話だろう? あんたにとっては、ほんのちょっとの価値しかない金で、俺が勝手に動いて聞いて来るだけ。その話を、長沼さんは、聞くだけだ。損はしないはずだぜ?」
長沼は、じっとタモツさんを見つめる。
信用はできない。だが、情報は欲しい。
「なあ、良いだろう? 俺はムカついているんだ。真面目に働いてきた俺達が、こんなに苦労しているというのに、政府の奴らは何もしてくれない。奴らは自分の私腹ばかり肥やしやがるんだ!」
「それで私に情報を?」
「そ、そうだよ。一泡吹かせてやりたいんだ!」
タモツさんを見ても、長沼には、とても憂国の士には見えない。
ボロボロの衣類、汚れた体。苦労してきたのだろうとは思うし、政府に文句の一つもあるだろうことは疑いはしない。だが、書類と引き換えに金銭を即座に要求してきたところと言い、タモツさんに日本の将来を憂えるような高い志は感じない。
「良いわ。試してあげる」
「ありがてぇ!」
「じゃあ、試しにあの施設でどんな化け物が飼われているのか……恐ろしい鳴き声を出す生き物がいるのよ。それの正体を探ってくれない? そこから先は、その時に考えるわ」
「鳴き声?……まあ、分かった。探ってみる」
タモツさんが、真っ黒に汚れた手を長沼に差し出す。
「何よ?」
「軍資金だよ。職員の女を飲みに誘うにしても、身ぎれいにして飲み代を払ってやる必要があるだろうが」
「たくっ! しっかりしているのね!」
長沼は、自身の財布から何枚かの一万円札をタモツさんに渡した。
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