第2話 あんた……名札出しっぱ
松子が連れ去られた部屋は、超立派なホテルの一室。
後ろ手に縛られて、ガスマスクで顔を隠した物物しい男たちに引きずられて部屋の中央に立つ。
一日百万円くらいはするであろうロイヤルスイートのフカフカ絨毯の上で、身動きままならない松子は、立派な机に肘をついてこちらを見ながら座っている虎屋を睨みつける。
雑な変装だ。
虎屋の紙袋に二つ穴を開けて、被るだけ。
議員バッジもそのままつけっぱ。
「おはよう。お嬢さん」
テレビでよく流れてくるテノールが松子に挨拶する。
「おはようじゃないわよ。トーストが一枚、ダメになったの。分かる?」
「トーストぐらいどうってことない。良いんじゃないって思えるビジネスの話をしよう」
「ビジネス……」
「そうだ。知っているな。この日本が未曾有な不況の中にいることを」
「いや、確かに日本は不景気かもしれないけれど……」
だからどうした。それがこの拉致となんの関係があるのか、松子にはさっぱり分からない。
「今こそ、ここに集まった同志で日本を救うべく立ち上がらなければならないのだ!」
虎屋の紙袋男が、バンと興奮して机を叩く。
「いや、話の脈絡! 何にも話は繋がらないし見えてこないし、私は同志じゃないし。勝手に怪しい仲間に引き入れないでよ」
早口で松子は反論するが、どうもサッパリ聞き入れてくれない。
「そこで、だ」
「どこでよ」
「最近流行りのコンテンツをこの国にも導入することで、状況を打開する必要があるのだ!」
「知らないわよ! 勝手にやりなさいよ。てか、あんたがやりたいなら、表立って堂々とやれば良いでしょ? あんた、総理大臣なんだから!」
「んな! どうしてそれを!!」
「名札! 机の上に出しっぱ!!」
松子は、机の上に置かれた黒い三角の名札を指さす。
そこには、白い文字で『総理大臣
「あ」
岩太郎は、名札に気づくと、パタンと閉じた。
「さて……話を戻そうか」
「いや、なかったことにしないでよ。岩太郎」
虎屋を被ったままの岩太郎の肩がプルプルと震える。
「ちょっと……」
「その最大の秘密を知ってしまったからには、帰すわけにはいかない」
「はぁ? あんたが勝手に名札仕舞い忘れたんでしょ?」
「ええい! うるさい!」
ダンッ! と、岩太郎が机を殴れば、ここに連れて来た迷彩服ガスマスク付き達が、一斉に松子に銃口を向ける。
「わっわわ分かったわよ! 何、何をしろって言うの?」
「ようやく大人しく話を聞く気になったか」
かなり強引な展開である。
「松子さん……。貴女、彼氏はいない、仕事は失業中でフリーターと世間には名乗っていて、年齢は……」
「ちょっと、何ディスってくれてんのよ」
「家族は……彼氏も伴侶もいない一人暮らしで……」
「うっさい! そこ何度も確認するな」
「両親は海外暮らし。ミャンマーの山奥で楽しく日本人相手のペンション経営中。兄弟はなし……友達も……ほぼいない」
解説しよう。松子は口の悪さから、交友関係も激せま。京都のウナギの寝床と言われる町屋もビックリの、京都人に「えらいスッキリしはって……」と嫌味を言われそうなくらいに極薄の人間関係しか持っていないのである。
「だから何よ?」
「実質、天涯孤独。明日姿が消えても、誰も気づきもしない。実にこちらに好都合の逸材」
何か危険な仕事。させようというのだろうか。敵対国に潜入スパイとか、暗殺とか。
松子は息を飲む。
だが、どう考えても、松子にそんな器用な技が出来るとは思えないのだが。
「松子さん……君には、あざらし幼稚園の園長をやってもらう」
ある意味、ネットで白い目を向けられそうな禁断の言葉を、岩太郎が放つ。
「はい?」
バルスよりも強力な言葉を聞いて、松子は固まる。
よく見れば、この最高級スイートのホテルの部屋は、あのぽっちゃりとした可愛い物体で彩られている。
白いモフモフした写真は、赤ちゃんゴマフアザラシ。灰色のお兄ちゃんアザラシの写真もある。
恐ろしいことに絨毯の柄まであざらしだ。
国民の血税、どこに使っていやがる。
さらに、岩太郎のネクタイは、アザラシ柄……。
「こ、これは……」
松子は気付く。
自分が、あざらし好きの中年男性の壮大な推し活に巻き込まれたことを。
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