第27話 大福の叫び
それってどういうことよ?
松子は、天宮から聞いた言葉に耳を疑う。
「ですから、一旦閉園して、大福をここから移動させます」
「い、移動させるって言ったって、大福を受け入れてくれる施設はないんでしょ」
「はい。ありません。ですが、それが総理のご命令ですから」
突然のことだった。
いつものガスマスク迷彩服団が、慌ただしく動いて、大福を捕獲しようとしている。大福は、知らない人間が何人も自分を追ってくることに恐れをなして、プールの奥から動こうとしない。怯えているのだ。
「そんな、無茶苦茶だわ!」
松子は頭を抱える。
「天宮、ちょっとこれは、大福がかわいそうだろうが!」
大福を心配してプールサイドにいた力斗が、いたたまれなくなって天宮に苦言を呈する。
「仕方ありません。緊急事態ですから」
「緊急事態?」
「ええ」
天宮は、松子と力斗にはそれ以上説明する気はなさそうだった。
ブチンッと、松子の堪忍袋の緒が切れた。
「ムカつく。あんた達って、いつだってそうよ!」
「松子さん?」
「いっつも不測の事態だなんだって言って、政治家の人たちって何の説明もなしに事を進めるのよ!」
「今そんな根本的なことを言われましても」
「今言わなくっていつ言うのよ!」
「いや、そう言われましても、今回の場合はどうしようもありませんし」
「いいや、言う! 大福が可哀想でしょうが! 岩太郎が、総理大臣だろうがなんだか知らないけれども。人間の都合で連れまわされて、こんな大勢の知らない人に追いかけれて、大福が怖くないわけがないでしょう? 岩太郎のあざらし好きも、たかが知れているわ! 結局、あざらしを可愛いおもちゃだとしか思っていないから、こんなひどいことが出来るのよ!」
言ってやった。
松子は、思っていたことを、全部天宮にぶちまけた。
ゼイゼイと息を切らせながらも、一気にぶちまけた。
「まあ、多少賛同したくなる部分はありますが、落ち着いてください」
松子の心の叫びを聞いても、天宮はいたって冷静だ。いつもの涼しい表情を浮かべている。
「天宮、松子の言う通りだと思うぜ? 現場に一言の相談もなしに大福を移動するって言ったって、そりゃ、無理ってもんだ」
「力斗さん」
「しゅがぁたんだって、困るんだぷぅ! 今日の大福ちゃんの飼育計画が狂っちゃうんだむぅ!」
沈着冷静、判断を下すことのないはずのAIロボットのシュガーたんにまで反対されて、一瞬だけ天宮の眉がピクリと動く。
「しかし、今回は仕方ないのですよ」
「緊急事態ってやつか?」
「はい」
「だから、それの事情を説明してほしいのよ」
「言えません」
議論にもならない平行線が続く。
このままでは、埒があかない。
「きゅいいいい!」
あざらしプールで、悲しそうに大福が鳴く。
助けを呼んでいるのだ。ガスマスク姿の集団が突然現れて、大福を捕まえようとしているのだから、当然だ。
心が張り裂けそうになる大福の鳴き声に、松子はたまらなくなる。
「だめ! 絶対だめ! せめて、行き先をはっきりさせて!」
「それも言えません!」
頑なな天宮に、松子は絶句する。
「まさか……」
何かを言いかけて、AIロボットのソルト君が言葉を止める。
「何よ」
「いや、言ったら、絶対に松子が逆上する」
「ソルト君! これはあざらし幼稚園の園長としての命令よ! 言いなさい! ソルト君!」
人間に命じられれば、従うのが、AIロボット。「ちっ」と、舌打ちしながら、ソルト君が渋々言葉を発する。
「これは、可能性だ。行き先の決まっていないあざらしが、緊急事態で移動。大勢の人間で無理矢理捕まえて連れて行くとしたら、どこだ?」
「それが分からないから、聞いているんじゃないの」
「政治家の緊急事態、それは?」
「まあ、自分の足元が危うくなった時か?」
力斗の言葉に、松子も思い出す。長沼が、この施設に探りを入れていたのだ。
それが本格的に危うくなったら、天宮や岩太郎の地位も危うくなるのではないかと、松子も思う。
「え、じゃあ、岩太郎達の失脚を防ぐために……大福を移動させようっていうの?」
「もう一度尋ねるぞ。緊急事態に、行き場のないあざらしを連れ去るとして、どこへ? 邪魔になったあざらしは、どう処分する?」
「処分」。ソルト君の容赦のない言葉に、松子は愕然とする。
「嘘でしょ? え、処分? 大福を?」
天宮は、何も答えない。いつも通りの涼しい顔をしている。
「勝手すぎる! 大福は、何も悪くないのよ?」
「はい、大福は何も悪くないです。ですが、緊急事態ですから」
「ちょっと! そんな!」
松子は怒りに震える。天宮の冷静な態度が、心の底からムカつく。許せない。
ワナワナと震える松子が、天宮を殴ろうと手を上げたが、それより先に天宮が吹っ飛んだ。
力斗だ。
力斗が、天宮の顔面をぶん殴ったのだ。
力斗にぶん殴られて、天宮が壁に背中を打ち付ける。
「ふざけんな! この野郎!」
あいつらを止めてくる! そう言って、力斗はあざらしプールへと向かった。
力斗にぶん殴られた天宮が、ゆっくりと立ち上がる。天宮の右頬は、力斗に殴られて、腫れ上がっている。それでも、天宮は、冷静な表情を崩そうとはしない。
さすがは、総理大臣である岩太郎の右腕といったところだろうか。力斗に一発ぶん殴られたくらいでは、動じないのであろう。
「早く、あの馬鹿達に中止だって命令してよ!」
力斗一人で止められるわけがない。
ガスマスク迷彩服団を止めるのは、天宮の命令が必要だ。松子は懇願する。
「ねえ、お願い!」
これだけ松子がお願いしても、天宮は何も答えてはくれない。
「きゅいいいい!」
大福が、悲痛な叫び声をあげている。
こうなったら仕方ない。力斗に加勢して、あのガスマスク迷彩服団を、一人一人倒すしかないかと、松子は覚悟してモップを握りしめた。
「お願いします! 大福を! 大福を殺さないで!」
どこからか声がした。え、どこ?
松子がキョロキョロと辺りを見回すと、パカッと通風孔の蓋があいた。
え、誰?
「ようやく姿を現しましたね。保坂さん」
天宮が、安堵の笑みを浮かべる。
「保坂……さん? えっと、誰だっけ?」
狐につままれた表情の見本のような顔で、号泣しながら通風孔から這い出てきた男を松子は見ていた。
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