第39話 舌戦
チラリと天宮の視線が保坂に向けられた気がしたが、一瞬で外された。
当然だ。保坂は天宮とは面識がないことになっているのだ。保坂はスパイだ。
天宮の演説に対して、先ほど長沼に向けられたようなヤジが飛んでいるが、天宮はそれを笑顔で手を振って受け流し「まあ、まだまだこんな言葉を向けられているから、こうやって皆様のお耳を借りてお話をしているわけですがね……」なんて、演説を盛り上げる種にすら変えていく。
若い天宮にこれほどの知恵はないだろうから、岩太郎の教えなのだろう。忠実に、天宮は岩太郎の教えを守り、さらにその若く秀でたルックスで、熱狂的なファンを増やしていく。
「天キュン、やっぱ実物は格好良いですよね」
保坂の助手席の女性が、楽しそうに天宮を写真に撮る。撮った写真は、早速SNSにあげようとしているので、長沼が止める。
「ちょっと、そうやって天宮の知名度を上げないでよ」
自分の選挙カーの同乗者に、ポップに裏切られて、長沼は文句を言う。
「ええ、でも選挙期間って、チャンスなんですよね。ほら、笑顔率高いし、普段はなかなか巷には出て来ませんから」
「でもも何もないの! SNSで投稿したら……貴女、フォロワー何人?」
「えっと、五百人くらいです」
「そしたら、少なくとも二百人くらいの目にはさらされるでしょ?」
「何で五百人じゃないんですか?」
「そりゃ、半分くらいは、貴女の投稿なんてスルーするし、ミュートしているでしょ」
「え、ひどい」
世知辛いSNS事情をそんなずけずけと言うから、好感度が下がるのでは? とは、とても保坂は長沼には進言できない。
「その二百人から、高確率でイイネをもらってリツイートされちゃえば、さらに天宮の情報は広がるの。貴女が撮った最高の笑顔の天宮が世に出回るなんて恐ろしいこと止めてちょうだい。楽しむなら、一人でにして!」
長沼が、ガタガタと演説の準備を始める。
「え、場所を変えないんですか?」
「良いの。ムカついたから、真っ向から対決してやるの!」
そんなだから、長沼のSNSのあだ名は、『ブチ切れ女王様』なのだ、とは、保坂は恐ろしくて進言できない。
選挙カーの上に長沼が仁王立ちして、『おはようございます!』と叫べば、辺りにどよめきが起こる。
天宮の顔が一瞬曇るが、サッとまた笑顔に戻る。
「長沼さんじゃないですか! おはようございます!」
天宮が満面の笑みで長沼に手を振れば、「キャー」と喜びの雄たけびを上げて、助手席の女がスマホで写真を撮りまくる。
「そんなに好きなら、向こうの陣営に行けば良いのに」
「入れるなら、そうしたいですよ! でも、天宮さんって、すごく警戒していて、事務所に女性を入れないんです」
なるほど……爽やかさを売りにしている天宮が、一度でも女性問題を起こせば、大きなイメージダウンになるだろう。
党としても天宮のイメージダウンは痛いから、そこは予防しているということだ。
「おはようございますではありません! 天宮さん! ここで会ったが……何年目でしょう?」
「知りませんよ」
長沼が現れて起こったどよめきが、少しやわらぐ。
天宮と長沼の駆け引きが始まったのだ。政敵に笑顔で挨拶をしてみせた天宮に、長沼も軽いユーモアを交えて返したのだ。
「とにかく、せっかくの機会ですから、ここで明確にしたいことが山ほどあるのです。良いかしら? ねえ、皆さん! 一生懸命に働いて収めた税金、ちゃんと正しく使われているのか、聞きたくありませんか?」
長沼の煽りに、周辺から拍手が沸き上がる。
これは、完璧に長沼のペースか? 保坂は天宮の次の言葉に耳を傾ける。ここで長沼の提案を無下に断れば、ここにいる有権者の反感を買いそうだ。
なにやらただならぬ雰囲気を感じて、周辺には聴衆も増えてきた。
「長沼さん……怖いです。ほら、目線! そんなに睨まないでください。ご質問があればお答えいたしますから!」
天宮の言葉にまた笑いが起こる。
SNSでの『ブチ切れ女王様』の称号もあってか、長沼怖いネタは、聴衆のウケが良い。
「まあ、失礼! でも、与党が、こんなに世知辛い世の中を良くしてくれないから、こんな怖い目線にもなるのです!」
互いの言葉を受けて、やり返す。
目的は、相手を打ち負かすことではない。ここにいる聴衆を味方につけることだ。
まるで囲碁で陣地を広げるように、ここにいる聴衆の心を、天宮と長沼で取り合っている。
真剣勝負が繰り広げられているのである。
「あ、この広場の誰かが、SNSで拡散してますね」
助手席の女性が見せてくれたスマホには、天宮と長沼の写真が並び、舌戦の様子が投稿されている。「女王様の言葉責め♡」なんて、ふざけた返答もついているが、概ね二人同時に好感度は上昇しているようだ。
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