第38話 選挙カー

 『この国を正しく導く』『子ども達の未来のために』そんなスローガンが並ぶポスターが選挙のために設置された町中の看板に貼られて、選挙は着々と進んでいく。


 保坂は、そのまま選挙に突入した長沼を手伝っている。

 選挙カーを運転し、忙しく演説に回る長沼を見守る日々だった。


 長沼が政治家としては優秀なのは、保坂も分かる。

 ここ数日、この人寝ていないんじゃないか? と思う八面六臂の活躍ぶりなのに、どれほど疲れていても長沼は笑顔を絶やさずに演説してみせる。

 演説に好意的な人ばかりではなく、「ひっこめ!」だの「税金泥棒」だの「バカ女」だの、ヤジも多いが、それを華麗に一歩も怯まない長沼には、保坂は感心した。

 先輩候補からのやっかみも、経験の浅い若さに対する侮りも、長沼は真っ向から打ち砕いてねじ伏せてきた。


「少しは……寝てくださいね」


 保坂のいたわりの言葉に、長沼からの返答はなかった。

 街頭演説で声を張り上げていた長沼が、保坂の運転する車の後部座席で水を飲んでいる。少し休憩する長沼に代わり、助手席の女性が、長沼の指示をマイクで訴えている。「長沼、長沼凛々子をよろしお願いいたします。皆様の声を国会へお届けいたします!」と、原稿通りの文言を慣れた口調で繰り返している。


「長沼さん……あなたが倒れたら、それこそ一大事ですから」

「分かっているわよ。くどいわね」


 分かっていると言いながらも、長沼の目は、手元のタブレットに落とされて、次の演説の原稿確認を続けて止める気はなさそうだ。

 タフな人だと、保坂は思う。大福のことがなければ、心から応援してやりたい気持ちもある。

 だが、保坂はあくまで、二重スパイなのである。

 大福と一緒に暮らす生活を手に入れるために、保坂は岩太郎達を裏切るわけにはいかないのだ。全ては、愛しいマイスイートハニー、大福のためなのだ。

 ……と、言っても、あれから何も岩太郎にも天宮にも指示されていない。「そのまま長沼さんに使われててください」と言われたっきりで、何の命令もされない。

 選挙が始まったのだから、敵陣の情報漏洩などでも頼まれるのかと緊張したが、まるっきり野放しだった。……まあ、保坂の情報を頼りにしなければならないほど、与党である岩太郎の陣営は困っていないということなのだろう。


「タモツさん、次、ココ回って!」

「はい。分かりました」


 保坂は、長沼に命じられるままに車をまわす。目的地は、ターミナル駅前の広場だ。すでに別の党の演説が始まっているようで、男性の声が響く。


「あ……クソ!」


 保坂も聞き慣れた、演説の声にあからさまに長沼が悪態をつく。


「あ ま み や!」


 敵意むき出しの視線を長沼が、応援演説中の天宮に向ける。

 少年漫画の戦闘シーンだと、きっと長沼の後ろには闘気が強烈な光を放って描かれることだろう。


「皆様のお声をこれからも実現していく我々に、どうか清き一票を!」


 長沼達の到着に気づかない天宮が爽やかに手を振っていた。



 


 


「」



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