第46話 長靴

 ついに長沼の乗ったワゴン車が、あざらし幼稚園に到着した。

 松子は、戦う気満々の長沼が降りて来て、固唾をのむ。


「本日は許可を取って視察に来ました!」


 松子と力斗が応対に出ると、鼻息荒い長沼はフンスとドヤ顔して書類を掲げる。

 書類に記載されている許可のサインが小刻みに震えているのは、長沼に脅された結果なのだろうか。


「えっと、出来ればこちらに来る日時を事前に知らせていただければ、有難いです。今、とても立て込んでいましてちゃんとご対応できるかわかりませんので」


 力斗が頭を掻きながら長沼の書類を受け取る。

 実は、入院中の保坂から、本日の長沼の襲撃は聞いていたのだ。だが、それは伏せて、さも困ったような演技を力斗達はする。


「普段のご様子を見せていただこうかと思いまして」


 ニコリと長沼が微笑む。

 長沼からすれば、準備をされてしまえば、逆に困るというところだ。


「本日、天宮議員は?」

「いませんよ。だから、連絡がなかったから準備が出来ていないって言いましたでしょ?」

 

 松子が不貞腐れて、長沼に返す。

 長沼は、天宮の虚をつくために、祝勝会を抜け出したのだ。よっしゃあ! と叫びたい気持ちを抑えて、長沼は静かに微笑む。


「構いませんよ。では、勝手に入らせていただきます。あなた方は、いつも通りのお仕事をなさっていてくださいね」


 長沼のトレードマークの赤いヒールがカツンと固い音を響かせる。


「あ」

「何よ」

「靴です。ヒールはちょっと勘弁してほしいです。これに履き替えていただけませんか?」


 松子がごそごそと白い古ぼけた長靴を出してくる。


「臭そう……」


 長沼の後ろで事務員が眉を寄せる。

 実際に臭い。松子達がこの日のために、古い長靴にホッケの内臓を詰め込んで作ったのだ。それはそれは、臭くて有名なニシンの缶詰であるシュールストレミングを彷彿させるような、素敵な芳香を放っている。


「これを履いていただかないと、危なくてご案内できません。中は滑るんで、よろしくお願いたします」

「それに、靴という物は、外の雑菌を一番多く付着させているものですから、困るんですよ」


 これを履く勇気がある者だけが、建物に入りなさい。

 そう、力斗と松子が言っているのだ。


「ええ……」


 見れば、松子達の足元も、同じような白い長靴である。

 

「あの……私達は、ここで待っていて良いでしょうか? 何だったら、外で清掃でもしております……」


 事務員たちが、明らかに怯んでいる。

 誰だって嫌だろう。休みの日に呼び出されて、怪しい施設に乗り込んだ挙句に、嗅げば嘔吐えずくような長靴を履かされるなんて。


「わ、私は長沼議員と一緒に行きます!」


 一人だけ、一番長く勤めている事務員の男が、勇気を奮い立たせて名乗りです。

 

「そうね……仕方ないわね。では、貴方だけ、一緒に入りましょう」


 薄給で普段から頑張ってくれている事務員たちである。

 長沼とて、そこまで強要は出来ないのである。


「はい。じゃあ、これを」


 一番臭く仕上がった二足の長靴を、松子達は長沼に渡す。

  クンと嗅いでみて、長沼と事務員の男が、得も言われぬ表情をするのが、松子達には面白かったが、ここで笑ってはいけないだろうと必死に我慢する。


 赤いヒールを脱いで、その形の良い足を、超絶臭い長靴に長沼が差し込む。


「数日は……匂いが残りそうね……」

「一ヶ月は残るでしょうね。ここに来られた皆さん、そうですから」


 大嘘である。このあざらし幼稚園は、秘密裏に進められている施設。ここに来られた皆さんなんて、いるわけがないのだ。


「一ヶ月……」


 青くなる長沼に、笑いをこらえすぎて、松子は死ぬかと思った。


 

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