第18話 言い訳

 急いで来たのであろう、いつも身なりの整っている天宮が、ボサボサの頭でジャケットも着ないで立っている。


 ちっ! 長沼が明らかに舌打ちする。

 松子だけなら、なんとか言いくるめて強行突破することも可能だが、天宮も来てしまえば、そういうわけにもいかない。


「どうやってこの場所を調べたんですか」

「とある信頼できる筋の人間よ」


 長沼が大切な情報源を簡単に明かすわけがない。そこは、天宮も計算の内だ。


「天宮さん、安全のために長沼さんには、手続きが必要だって言ったんですが」

「あんぜん?……あ、ああ、安全ね、そう。大事! 安全でしょ?」


 まさか松子が長沼を引き止めるために突拍子もない嘘を言っていたとは、これは天宮には計算外。


「そう! それになんだか獣の鳴き声! あれはなんなの? 従業員は返り血を浴びているし!」


 長沼に言われて、松子を見れば、作業服全体に大福の食事の準備の際についたと思われる魚の血が付着している。


「うわっ……どんだけ不器用なんだ、松子さん」

「や、だって、一人暮らしだし、料理なんてほとんどしないし……刃物の扱いには慣れてないのよ」


 ほっけの大きさを調整するために、切り身にしようと試みたのだ。だが、トマトすらほとんど切ることのない生活を送っていた松子に、ほっけを三枚におろすのは、至難の業であった。

 結果、全身にほっけの返り血を浴びて、長沼を怯えさせることとなった。


「刃物? 刃物なんか使わないとダメなの?」

「え、あ……いや」

「そうなんです。備え付けの刃物が、刀みたいに大きくって!」


 松子よ。それが世に言う刺身包丁だ。よくご家庭で使う万能包丁より少し大きいが、歴とした包丁の一種である。


「ちょっ! 松子さん黙って!」

「か、刀?? 何、天宮君、革命でも狙ってるの? 本当は総理に背いて、裏でクーデターの準備とか? や、それにしても殺傷沙汰はダメよ。暴力では何も解決しないわ」

「は? ええ! ち、違う! 違います! 私は決してそのような考えは、持ってません!」

「じゃあ、この有り様はなんなのよ」

「この有り様は……」


 天宮の前に広げられたワードは、「厚生福祉施設」「安全のために必要な手続き」「獣の鳴き声」「作業員の服に付着した返り血」「刀の様な刃物」これを、穏便にかつ矛盾なく、さらに「あざらし幼稚園」という事実を隠して説明しなければならないのである。


「こ、この有り様は、ですね……」


 天宮は、己の能力の限界を感じながら必死で取り繕うための言葉を探す。

 

「手伝おうか?」

「や、これ以上は勘弁してください」


 賢明な天宮である。

 これ以上松子にしゃべらせれば、無用なワードがさらに増えて、説明が難しくなることを、天宮は気づいている。


「ええっと、ここは、総理が肝入りで進めている『厚生福祉施設』です」

「らしいわね」

「で、まだ皆様にお見せできる段階まで、開発は進んでおりません」

「で?」

「実験……そう!より良い施設にするために、色々と実験をしている最中なんです。ですから、危険な薬物などがまだその辺に転がっていたりして、来客に怪我をさせてしまう恐れがあるのです。ですから、長沼議員がここへ直接来られても、お通し出来ないのですよ。安全確認のための手続きが必要なんです」


 これでどうだ! 完璧だろう、と天宮が一息つく。


「刃物と返り血と獣の鳴き声は?」


 面倒なものが全部散らかったままであった。


「ある獣を使って、動物実験をしています。その獣の実験のために、刃物を使い、実験の過程で返り血がついたのですよ」


 今度こそ綺麗にまとまっただろう。天宮は安堵する。

 天宮の説明では、あざらしの大福が実験台にのぼらされてそうで、絵面的には最悪だが、まぁ実際に実験台に載せるわけではないから、ヨシとしようではないか。


「そう? 結局、何の施設なの」

「それはまだ、情報公開前ですから。『厚生福祉施設』とだけ」


 天宮は。ニコリと涼しい笑顔を長沼に向けた。

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