第36話 怒涛……マジムカつく

 長沼の元にあり得ない情報が届いたのは、タモツさんが帰って一時間ほど経った頃だった。

 事務員に指示して、今度こそあの怪獣蠢く施設に乗り込んで正義の鉄槌を下すはずだった。なのに、それどころではない騒ぎが巻き起こったのだ。


「嘘でしょ?」

「こんなこと、嘘で言う訳ないでしょうが!」


 温厚でいつも長沼の言動にビクビクしている荻野に珍しく長沼は叱られる。

 それほど切羽詰まっているといことなのだろう。

 無理もない。行政、国会にとって議員の数は、政党の力を現わす。数が少なければ、それだけ自分達の要望を通すことが困難になるし、落選した議員はたちまち失職して酷い時には路頭に迷ってしまう。

 

 与党に『解散総選挙』のカードを切られれば、それに対応しなければどうしようもない。これぞ自ら爆発することで他者を巻き込む最強の自爆カードなのだ。

 

「とにかく、長沼君は知名度も高いんだから、全国へ応援演説行脚ね。スケジュールはこちらで作っておくから、ちゃんとこなしてよ! 一旦、こちらへ来て、スケジュール調整ね!」

「あ、ちょっと! 荻野さん!」


 一方的に電話を切られてしまった。

 これでは、あの厚生福祉施設なんて真っ赤な嘘確定のおぞましい施設を調べる時間が取れなくなってしまった。


「ポスターの撮影と、立候補の手続き、後……ええっと、駅前の路上演説はいつにいたしましょうか?」


 知名度の高い長沼と言えども、自分の選挙区の演説をしない訳にはいかない。

 現在焦点になっている政治問題に論点をおいた演説原稿を作らなければならない。事務員は優秀だが、長沼自身が動いて指示を出さなければならない。長沼は、この事務所のリーダーであり、長沼の所属する党の看板議員なのだ。


「あ の ジ ジ イ ど も!」


 ギリギリと歯ぎしりして、資料を持ってきた事務員が「ヒッ」と悲鳴を上げるほどの恐ろしい形相で、長沼はそこにはいない岩太郎と天宮を睨んでいた。


「ぜぇぇったい! 絶対当選して、すぐに暴いてやる!」


 ドゴン!!

 とんでもない勢いで拳を罪のない事務机に長沼は打ち付けた。

 たぶん……そろそろ長沼は、拳で壁に穴を開けられるのではないかな……。その場にいる事務員全員が、長沼の怒髪天の形相を見て満場一致でそう思った。


 タモツさんがここに居なくて良かった。

 老人のタモツさん、この長沼の形相をみれば、心臓発作で三途の川とお花畑が見えてしまっていただろう。

 ……まあ、同じ老人でも、岩太郎なら、何とも思わないだろうが。


 ともかく、賽は岩太郎サイドから、豪快にぶん投げられたのである。

 長沼は、摩耗して歯が無くなるんじゃないかという勢いで歯ぎしりして、この後、全国演説行脚へと旅立つ。


 スケジュール調整に訪れた長沼を見た萩野は、その後語ったという。生きながらに、鬼を見た……と。

 

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