第14話 働けよ

 天宮が国家有事を避けるべく攻防を繰り返してる頃、松子はデッキブラシとホースを抱えてプールサードの清掃に勤しんでいた。

 足元には、あざらしの大福が遊んでいる。


「やっぱ、一頭じゃ寂しいのかね?」


 やたらと松子の方へ酔ってくる大福を見て、松子はつぶやく。


「まあ、あざらしは群れで生活する生き物だからな」


 ソルト君が答えを聞くまでもない。松子だって、あざらしが群れで生活をしていることは、知っている。寒さ厳しい北の海であざらしのコロニーを遠くから見学したのだ。大きな大人の群れが、海のそばでゴロゴロと転がっていた。


「ねえ、ちょっと! サボるなら、大福と遊んであげなさいよ」


 いまだにショックから立ち直れずに、デッキブラシを持って突っ立ったまま思い悩んでいる力斗に松子が声を掛けたが、力斗からの答えはない。

 この野郎……。


 力斗の態度にカチンときた松子が、「まあ、可哀想に! ゆっくり心の回復を待てばいいわ!」なんて、優しい気持ちになるわけがない。

 長靴の足で力斗の尻を松子が思いっきり蹴り上げる。


「痛ったっっ! なんだよ!」


 我に返った力斗が当然の抗議の声をあげる。


「なんだよじゃないでしょ! あんたね、あんたがサボれば、私の仕事が増えるの。作業員は二人しかいないの。私もあんたも仕事をボイコットすれば、誰が困るって、あざらしが困るのよ!」

「ああ? 知らねぇよ。俺は人生の全てを奪われたんだ!」


 まあ……とってもお買い得に、社会人の初任給程度っていうか、バイト代程度の金額で彼女にフラれて、仕事場からは見放されたわけだから、拗ねる気持ちも分からなくはないが。


「私だって、別に望んでここに居る訳ではないわよ」

「まあ、松子の場合は、恋人も職場も元々なかったけれどな」

「うっさい、ソルト! てか、しょうがないじゃない。だって、そこにあざらしはいるの。あの子は、行き場が決まらないのよ。だから、誰かがお世話しなきゃ、死んじゃうの!」


 言い争う人間達を、大福がじっと見つめている。

 力斗がプールに目を向ければ、大福が嬉しそうにクルクルと回って見せる。


「一番の被害者は、人間の身勝手に巻き込まれたあざらしってわけか……」


 どんな経緯で水族館の閉館が決まったのかは分からない。

 だが、まだ手間のかかる赤ちゃんあざらしの行き場が決まる前に施設を撤去してしまうのは、いかがなものか。

 あんなに一生懸命に世話をして記録を取っていた飼育員は、どうなったのだろう。


 何も事情なんて知るわけもない大福は無邪気に、人の都合に振り回されて、このあざらし幼稚園の唯一の園児としてプールにいるわけだ。


「まあ、そうだよな……あ~あ、めんどくせえ」


 自分の頭をガシガシとかきながら、力斗は掃除を始める。


「これ終わったら、事務所でシフト決めましょ、シフト!」

「そうだな。じゃあ、観察記録もキッチリつけて、データも取る方が、引継ぎも楽だろう」

「わ、力斗おじ、元気になったぷぅ!」

「シュガー、あんたのその喋り方、なんとかならないの?」

「だって、これが力斗おじの好みだもの」

「力斗……趣味悪すぎ……」


 松子は、白い目で力斗をみる。

 なんだか察しがつく。力斗をお安い価格で見捨てた彼女、どんな女だったか……。え、本当に彼女だったの? 向こうからしたらただの営業だったのでは? そう松子は疑う。


「あ、いや。本当に付き合っていたからな。彼女だったんだからな!」


 無言で向けられる白い目に、松子の考えを察して、力斗が言い訳をする。


「どうだか……」


 なんでもいいけどね。こっちは、働いてくれれば。

 松子は、微塵も力斗の言葉を信じず、デッキブラシを動かす。


「なあ、本当だからな」


 力斗の苦しい言い訳は、誰も聞いてはくれなかった。


「あら……」


 掃除を進めて行くうちに、松子は気づく。松子が気合を入れ始めたのは、ほんの少し前からなのに床が綺麗すぎる。

 力斗が? チラリと力斗を見るが、どうもそうは見えないが……。


「ま、綺麗ならそれに越したことはないか」


 残念、松子はあまり深く考える性格ではなかった。




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