第21話 凛々子さん、お怒りです

 長沼凛々子は、この上なく苛立っていた。

 そう、一回りも二回りも年上の議員たちが、怯えて話掛けられないくらいに。

 先ほどから、お前行けよ、いや、お前こそ! みたいな会話が長沼の周囲で繰り広げられているが、長沼は全く気にしないで、先ほどから年季の入った国会議事堂の議員控室のソファで足を組みながら座ってじっと前を見つめている。

 長沼の見つめる先には、扉しかなく、先ほどから何も知らずに扉から入ってくる人間を無駄に怯えさせているが、長沼にまるで反応がない所をみると、きっと長沼は、扉に視線を向けてはいても、その視界には誰も入っていないのだろう。


「長沼君?」


 恐る恐る声を掛けきたのは、長沼の所属する党の総裁、藤枝浪夫ふじえだなみお。関西の芦屋育ち。関西風に言えば、『ええとこのボンボン』である藤枝は、その人懐っこいキャラで人気もある。父親の地盤を継いで議員になり、余裕のある人懐っこさで人気も人脈もそこそこ持ってはいたが、いかんせん『ボンボン』が災いしてか、大切なところで一歩頑張りが足りない。いつもたたき上げの岩太郎の気迫に負けてしまうきらいがある男であった。

 その藤枝が、可哀想に怯えた仔犬のような目で長沼に声を掛けてみたのに、全く長沼からの反応はない。


「長沼君、そろそろ会議を……」


 返事はない。長沼は、じっと扉を凝視したまま、じっと考え込んでいる。

 藤枝には、般若のような形相の長沼に、再度話かける度胸は無かった。

 すごすごと引き下がり、部屋の真ん中で扉を睨みつける長沼をしり目に、部屋の片隅の議員たちを集めて、小さくなって会議を始めることが精一杯であった。


 長沼の考えていることは、一つだけ。

 あの、謎の施設のことだ。

 最近の岩太郎の様子がおかしいことに気づいた長沼は、岩太郎の抱えている国家有事とは何なのかを調べ始めた。

 あの百戦錬磨の岩太郎が苦労している案件なのだから、とんでもないことが巻き起こっているのではないかと思って、外交筋から初めて片っ端から探ってみたが、一向に分からなかった。そして、ようやく『一つの手がかり』から、違和感のある施設を導き出したのだが、その正体は分からなかった。


「何なのかしら。一体」


 長沼は思い出す。

 返り血を浴びた女性作業員(注:お魚をさばくのに失敗した松子)。安全のために入館できないと言っていた(注:松子の出まかせ)。そして、あの不気味な聞いたこともないような獣のうめき声(注:赤ちゃんあざらしの大福の可愛い鳴き声)。


「何か恐ろしいことを企んでいるんじゃないでしょうね?」


 長沼のつぶやきに、「な、何も?」と、藤枝が返答するが、長沼は全く聞こえていないようだった。

 おもむろに長沼が立ち上がり振り返れば、後ろの議員たちが怯えてガタガタと震えている。


「あら、どうなさいましたか?」


 ニコリと笑う長沼の顔に、議員たちは青ざめる。ギャップがすごいのだ。先ほどの般若の形相を見ていたから、とてもその笑顔は信用できない。


「藤枝さん」

「は、はひ!」

「申し訳ありませんが、用事ができましたので会議はキャンセルさせていただきますね」

「い、行ってらっしゃいませ」


 藤枝の返答に、「では、皆様ごきげんよう」と、笑顔の長沼が退席した。

 部屋に残された一同からは、恐怖から解放された安堵の吐息がそこかしこで漏れていた。


「今日も怖いね、長沼君」

「いや、あの迫力が、長沼君の良いところだから」


 なんて、長沼の感想が漏れいてたが、当然、部屋を退席した長沼には、聞こえてはいない。

 長沼の向かう先は、『一つの手がかり』をもたらした男のもとであった。

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