第49話 返り血
返り血の正体を知られたところで、どうせホッケを捌いて失敗した結果なのだ。
実は、この字面が強烈な『返り血』こそが最もどうでも良い内容であり、知られても痛くもかゆくもない内容なのだ。だが、「もっと全く違う穏便な内容が良いでしょ。ていうか、恥ずかしいから別の理由ってことにして!」という松子の個人的な主張により、偽造された返り血の理由が、長沼の前に広がっている。
『還暦記念パーティー』
真っ赤なペンキで大きく書かれた手描きの看板。
「あれが、長沼さんがおっしゃっていた『返り血』の正体だと思います」
「あれが?」
「長沼さんたら、知らないんですか? 還暦というのは、六十歳の方の呼び方で、人生の節目としてお祝いで赤いちゃんちゃんこを」
「還暦ぐらい知っているわよ。だけれど、あの看板がどう返り血と」
「だから、血じゃないのよ。赤いペンキぶちまけたことがあったから、その時だと思うのよ」
苦しい言い訳である。
勘の良い方なら気づいたであろうか?
ヘイ! シュガーたん! 赤いモノって何? と、松子が雑な聞き方をして出てきた単語を、無理矢理こじつけたのだ。
だが、こういう物は、意外と突拍子もないものの方がバレないことが多い。
え、嘘でしょ? と思ってみても、想像と全く違うものを提示されれば、人間どう反論して良いのか分からなくなってしまうのである。
「てか、何よ! どうしてここで還暦の祝いをするのよ」
「厚生福祉施設ですから」
憤る長沼に、仏頂面の力斗が答える。
「ああ、ほら……来ましたよ」
岩太郎の人脈で集めた支持者の人たちが、きゃっきゃ言いながら、ぞろぞろと水着で出てくる。皆、年配者だ。どうやら、あれが今回祝われる還暦の皆様ということだろう。
普段は大福が一匹で広々と楽しんでいるプールが、おじちゃんとおばちゃんでいっぱいになる。
「あの方たちをお祝いするんです。本日は、そのお祝いの日でしたの」
フフフッと松子が、固まった表情の長沼に微笑む。
狐につままれたような顔の長沼の前で、水着のおじちゃんとおばちゃんが、楽しそうに笑いプールサイドのチェアでくつろぎ、プールで泳いでいる。
松子が『大福ちゃん一号』を元の位置におけば、大福ちゃん一号が『きゅいいいい!』と一声鳴いて、音楽を奏で始める。
アバを始めとする、おじちゃんおばちゃん達の青春を彩った名曲たちが、会場の空気を盛り上げる。
セルフのバーカウンターでドリンクを片手にターンをかます水着のおばちゃんを、眩しそうにサングラスのおじちゃんが見ている姿は、トム・クルーズの名作映画の一シーンのようだった。……たぶん。
「皆様……心から楽しんでおられます」
「ええ、研究の価値があったわ」
しらじらしくも感慨深そうに、力斗と松子が目を細める。
「こ、こんな……茶番……」
長沼だって、馬鹿ではない。
どう考えてもおかしい状況に、ツッコミをどこから入れようかと思って口を開いた。
だが、運はどうやら松子達に……いや、無垢な大福に味方したようだ。
「長……沼……ぎ……い……ん……」
バタンと大きな音を立てて、長沼の事務所の男がぶっ倒れた。
「ちょ、ちょっと!!」
限界であったのだろう。
この茶番劇の間、ずっと、奇跡の異臭を嗅ぎ続けていたのだから。青ざめて泡をふく男の姿は、忠義が故の戦死なのだ。いや、辛うじて生きていはいるが。
「あら、大変!」
「これは一大事だ!」
松子と力斗が、大騒ぎする。
「し、静かにして、落ち着い……げっ!」
見慣れたガスマスク迷彩服団が、長沼達の前に現れる。
「病院へお運びして!」
松子の号令と共に、ガスマスク迷彩服団が、長沼と事務員を担ぎ上げる。
「ま、待って! 私は大丈夫なのよ~~!」
病院へと強制連行される長沼の絶叫は、プールサイドの小粋な音楽にかき消されてしまった。
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