第40話
四〇
「白梅春葉は、世界に三冊しか原本が残っていないカトリックの教理問答書〈ドチリナキリシタン〉の所有者ですか。または、その恩恵を受ける立場にあるのか、それも知りたい」
牛頭と八人の老人男性たちは、そう訊ねるアシェラさんを冷ややかな目で見ている。
老人のひとりが声をかける。
「こちらは赤熊の傷も治した。ササラよ、そちの力を借りたい」
「どうやらあなたたちは情報を売り買いする手合いのようですね。繰り返しになるけど、情報を売ったかと思えばそれは十中八九政府と僕らをぶつける気でしょう? ならば、知らされるのではなく、こちらの拒絶を知らしめた方がいい」
僕は反復してしまう。
「拒絶を知らしめた方がいい、とは?」
アシェラさんはそれには答えず〈九字〉を切る。
そして、両手を交差させた手のひらを前方に突き出して、
「はいはい、それから、——ドーマンセーマン——。……出ておいで霊獣、
アシェラさんの手のひらのその先に光が暁色する。水墨画の世界のグレースケールがその光に吸い込まれ、吸い込んだその灰色と黒色が太極図の文様の円になってくるくる回り、それがやがて小さな象のようなアリクイのような式神の姿に変化する。
それが霊獣の獏だった。妖怪の図鑑で僕でも見たことがあるフォルムの霊獣だった。
アシェラさんが獏に優しく語りかける。
「今夜の夢は獏、君にあげるよ。さぁ、今晩の夢を全部お食べ。可愛い霊獣、獏よ」
アリクイ状の長い鼻を持った獏が掃除機のように吸い込むのは牛頭の左右にいる四人ずつの計八人の老人男性だった。
ここは墨汁で描かれた仮想空間。この墨画のアバターは、いとも簡単に獏の鼻と口に吸い込まれていく。液体となって、老人だった水墨画は墨汁の姿に代わり流し込まれて、跡形もなくなった。それは一瞬の出来事だった。
目を見開く牛頭。だが、その玉座の背後にはすでに、大きな大きな、この部屋の天井を突き破りそうな
ぷしゃあああああああああああ、と黒い墨汁の血が鬼一口の上顎と下顎の境から吹き出しつつ、それは咀嚼され、飲み込まれた。
「ここ、〈十王〉町、なのに、老人が八人しかいなかっただろ、るるせくん。まだ二人、王様気取りの傍受マニアの首領がいる。あと二日間、気を付けようぜ」
「え? あ、はい」
アバターの世界にしか知覚できないので、虐殺があったことが実感出来ない。
「何故、殺す必要が」
「あるよ。大いにある」
「理由は」
「僕の仕事の邪魔だ」
「仕事の、邪魔?」
「まずは切開が必要だった。切開したそこに、腫瘍があったから切除した。それだけさ。こんな悪性の腫瘍、放っておいたら奈落図書館でほかの奴らになに言われるかわかったもんじゃないよ、ったく」
「…………」
「やだなぁ、るるせくん。僕は正義の味方なんかじゃないぜ? なにを勘違いしていたんだい。その目が節穴なのは僕だけに対してだけじゃないから、大丈夫ではあるけどね。試しに、扉を開けて外に出てみなよ」
僕が扉の外に出る。
僕とアシェラさんの姿がもとの人間の姿に戻る。
そこはさっきいたレッドカーペットだった。だが、肉片と血液がそこら中に飛び散っていて、池をつくっていた。視界全体には大きな屍肉のブロックがたくさん、ところせましと絶命直後の湯気を放っている。腐臭と血液内臓の匂いにむせびかえり、僕はその場で吐瀉した。
「つ、次は一体なんですか、これ」
「正義の味方なんてここには誰一人として存在しないって具体的な例の提示がされている、それだけさ」
百禍を刻む、君の因果律 成瀬川るるせ @ukkii
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