第29話

二九



 「アシェラさーん、埋もれ木細工、ありましたよ!」

 宮城県の温泉郷にある観光案内所内で僕は叫んだ。

「大きな声はよしたまえ、るるせくん」

 ため息を吐くアシェラさんは、こっちを見て肩をすくめる。

「アシェラさん、これを観たくてここへ来たんですよね。無料で旅行に行けるってんでホイホイと付いてきた僕はラッキーだった。ヒャッハー」

「違うよ、るるせくん。この地には昔、磐司磐三郎ばんじばんざぶろうと磐次郎という悪鬼がいて、鬼屋敷を拠点に温泉郷の人々に悪さをしていたんだ。そこに円仁という僧侶が来て懲らしめた。磐司磐三郎と磐次郎は帰依して、悪さをやめて、ここの守り神になった。で、二ヶ月前、ここで大雨が降って土砂崩れの大規模災害が起きただろ? あのときを境に、温泉郷の奥にある上人洞付近でその上人洞伝説そっくりのことが起こり、鬼屋敷の再来と噂されていてね、その調査に来たんだよ。埋もれ木細工はついでだよ、ははっ」

「説明調台詞は嫌われますよ〜」

「説明しないと僕の父の蘆屋探偵事務所に来た依頼を、一文字も覚えていないだろう、るるせくん」

「確かにそうなのですがアシェラさん。僕は探偵事務所の人間じゃないです」

「蘆屋探偵事務所のお茶汲み係の成瀬川るるせくんじゃないか」

「酷い! ていうか、その上人洞伝説とは?」

「磐司磐三郎と磐次郎が生まれた洞窟である上人洞で、誰もいないのに読経が聞こえる、というものだ」

「鬼屋敷の再来ってのは?」

「鬼屋敷付近の謎の読経で発狂するらしい」

「うひー」

「大規模災害は磐司磐三郎と磐次郎という悪鬼の祟りで、被災したときに僧侶が読経して歩いたんだとさ。でも発狂事件は今、僧侶と関係なく起こっている」

 木の化石で出来た地元の工芸品、埋もれ木細工を買うアシェラさん。

「発狂するなんて妖精かなんかの仕業としか思えない、僕には」

「案内所のお姉さんに鬼屋敷の場所は聞いたよ。矢投坂という場所で、交通の要所だそうだ」

「じゃあ、誰が声を出しているんですかね、アシェラさん。大人のむふふな社交場にでもなってるのかな」

「なんだい、そのむふふな社交場って。るるせくんは発言がこれだから社会的信用がないのだよ」

「ほっといてくださいよ!」

「さ、鬼屋敷に行ってみよう」



 温泉郷は観光地だけに土地の再整備を急いだみたいだけど、土砂災害の爪痕がそこいらに残っていた。普通のひとにはわからない程度だが、僕はバイトで交通警備員をやっていたことがあるので、ちょっと観ればそれくらいはわかる。

 鬼屋敷を前にして、僕はアシェラさんに尋ねる。

「屋敷には誰もいないし、それに誰が発狂するんです? 観光客はバス移動だから歩いていませんよ」

「ま、現場はわかったことだし、僕らも宿にチェックインして温泉に入ろう」

「まるで現場を観ただけで即座に理解した風じゃないですかぁ」

「そうだよ、もうわかったよ。本当はるるせくんにも、わかったんじゃないかな」

「どういうことです?」

「温泉に入ってから、コーヒー牛乳でも飲もう」

「へいへい、わーりましたよーっと」



 温泉をたっぷり堪能すると夜になった。老舗の温泉宿で、アシェラさんは公安からの許可証を見せて、湯治のため長期滞在しているひとのリストを見せてもらった。

「このなかに夜のウォーキングを日課にしている方がいますね?」

 フロントのひとにアシェラさんが尋ねる。

「いますよ。その方ならちょうど出かけるいつもの時刻です。ああ、あの方です」

 フロントのひとが指さす人物は、五十がらみのひげ面のおっさんだった。

「追うよ、るるせくん」

「おっさん、読経とも発狂とも関係なさそうな顔してますよ。ザ・労働者、って感じ」

「関係あるかないかの君の基準は、僕にはわからないな、るるせくん」


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