第30話
三〇
温泉郷から奥まったところに来て、周囲に誰もいないことを確認してからおっさんはイヤホンを付けた。再生機器の電源を入れた途端、おっさんは痙攣を始めた。隠れて僕らは見ていた。おっさんは、リズミカルに、拍子とメロディを、韻律のついた、でもでたらめな言葉でわめきだした。そのリズムにあらがえないように、まるでダンスのように歩いている。
おっさんが歩く先々の、灯りの付いた家々のなかから、食器が割れる音や悲鳴が聞こえてくる。家々の悲鳴も、大音量である。これは発狂と言われても仕方がないレベルだ。
歌い踊るおっさんを尾行しながらアシェラさんに訊く。
「おっさん、イヤホンで音楽を聴いても、その曲を歌ってないですよね?」
「ダーヴニングだよ」
「ダーヴニング?」
「律動的圧出の運動障害。これを祈り、ダーヴニングと呼ぶ。おっさんのも本来宗教と関係ないのに読経と呼ばれているんだろう」
「どういうことですか。運動障害?」「そう。運動障害を治すために湯治に来ているんだよ、彼は。そして、湯治で癒えていないか、毎夜確かめるため歩いているのだろうけど」
「毎夜確かめてるんだけど、ダメみたいなようだね」
「家々の発狂は?」
「ダーヴニングで引き起こされたトゥレット症候群」
「トゥレット症候群?」
「なにかをきっかけに自分の意志と関係なく叫んだり痙攣したりする」
「なんでそんなことが引き起こされたので? おっさん、呪術師かなにかなので?」
「バカだなぁ、るるせくん。この前の大規模災害は磐司磐三郎と磐次郎という悪鬼の祟りとされていたんだ。だから、被災したときに僧侶が読経して歩いたんだ。被災したときのことがおっさんの読経でフラッシュバックしているのさ」
「ダーヴニングで読経を思い出して、トゥレット症候群になっている、と」
「だからそう言ってるじゃないか。探偵である僕の父に連絡を入れてから、僕らも温泉に入ろう」
知っていた。災害という鬼の爪痕と、すがるような祈り。そこに僕の出る幕はない。
こうして僕とアシェラさんは、次の日、仙台に戻り、電車に乗って茨城県へ向かったのだった。
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