第39話
三九
月待塔のその部屋は、入ってからはずっと水墨画の世界の中にいるようで、白と黒のその間のグレースケールで世界が構築されていたのだけれども、牛頭がその巨体が持つにふさわしい太い筆を硯にひたすと、筆先には〈朱色〉が、灯がともるように赤く色づいた。
牛頭が言う。
「この土地に訪れたとき、赤熊よ、貴様は赤い服を着ていたな。あれはわざとか」
僕は答える。
「赤色が好きなんですよ。だからTシャツが赤かったのは、わざとと言えばわざと、かな」
「なるほどな。全国各地に〈
「赤べこってだから赤いのか」
「赤い服を着ていたのは自衛本能ということか。ふふ、面白いな、赤熊。で、あの天狗が刺した赤黒曜石で裂かれた傷自体は、まず、ツベルクリン反応のように病魔が赤熊、貴様の体内に蔓延っているかを見定めるため、そして、予防接種の意味合いもあったのだ」
「つべる……くりん?」
はぁ、とため息を吐くアシェラさんから助け船。
「ツベルクリンていうのは、結核菌感染の診断に用いられる抗原のことだよ。でも、結核菌や非結核性抗酸菌に感染した場合、BCG接種の結果としても、陽性反応が起こることが多いから、そういう地域では、結核の感染診断手法としては用いられないねぇ」
「へぇ」
「へぇ、じゃないよ、るるせくん。天一天王様が筆下ろしするんだからさぁ」
「やめてくれません、筆下ろしって、その言い方」
「新しい筆に初めて墨汁を付けるのを筆下ろしって呼ぶんだぜ」
「知ってますよ!」
「なにを怒っているのやら」
軽口をたたき合っていると、グレースケールの世界で一点だけ朱色に染まっているその筆で、牛頭は僕の腹部にばつ印を付けた。
朱色のバッテンが体内に染みていく。清涼感が身体を突き抜けていく。すると、痛みに終わりが訪れた。効果は一瞬で、だった。
「よかったね、るるせくん。さて、と」
蘆屋アシェラさんはくちびるの片方の端を上げて薄く嗤う。「じゃ、とっととこの場を終えようか」
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