第4話



 僕は一度死んでいる、存在として、社会的に。

 失読症に陥った、あのときに。

 だから。殺されるなんて、今更の話だ。

 修験道者たちに包囲された。男たちの目は殺気を放っている。「何故僕を殺そうとするのか」とは、言えなかった。こいつらは〈僕とは別のロジックで生きている〉のは明白で、それは僕をここに連れてきたアシェラさんだって同じだ。〈僕らの論理はかみ合わない〉。考えるまでもなかった。人道的な倫理観がどこでも通じるだろうなんてお花畑なことは、さすがにこの状況下で思うはずがなかった。

 僕は無力だ。だが、ぶん殴らないと気が済まない。

 僕は呟く。

「哀しくも振り捨てがたく名残惜しい都に、飲みこまれた僕の物語を」

 そう、都で、僕は檻のなかに飲み込まれた。でも、抜け出そうとは思えなかった。

 肩を鳴らし、息を整え、僕は呟き続ける。

「末世の月日はそれでも地に堕ちはしない。ほそい柳のような魂を雨風は梳くのに、解けはせず、かなぐり捨てる今日は僕をあさましくさせる」

 僕はあさましい。だって、それでも〈生きることを望む〉のだ。

 曇天の夕方に、神社の灯がつく。

 僕は雨が打ち付ける、ついたばかりの神社の灯籠を見る。

「多分にセンチメントが過ぎたな」

 さあ、死のダンスを踊ろうか。

 僕が拳を握り締めると、修験道者たちも構える。

 息をのむ。


 と、脇の茂みから手が伸びてきて、僕を強引に引っ張った。

「うひっ」

 僕は茂みの中へ、引きずり込まれてしまう。相手の手は物凄い強い力で、引き込まれたのは一瞬で、だった。


 びっしょり濡れたぬるい温度の服と服がもつれ合い、重なる身体と身体の湿度で、僕は目眩がする。

「うふふっ。久しぶりだねっ、るるせっ!」

 引きずり込んだ相手に僕は押し倒されている。

 水滴が目に染みて、瞬時目を閉じた僕が瞳を再び開ける。僕は仰向けに倒れさせられていて。押し倒した相手の顔を、声を、仕草を、僕が忘れるはずがなかった。

 雨は勢いを増して降りかかる。


 僕を押し倒したその相手は小柄な女の子で、白いワンピースを着ていた。女の子は両手を地面につけて覆いかぶさり、鼻先がぶつかりそうな距離まで僕に顔を近づける。

 僕は茂みの中の暗い視界に目が慣れる。

 女の子は歪んだ嗤い顔を見せて、僕の首筋を舐めてから唇を離し、猫のような仕草で舌なめずりをした。白いワンピースは泥と水に塗れて台無しになっていたが、構う風もなかった。彼女らしかった。


 ……その白いワンピースを着た、僕を押し倒した相手は、間違いなく僕の初恋の相手だった。

 白梅春葉という名前の、女の子だった。

 白梅春葉という名前の、殺人鬼シリアルキラーだった。


「こんなところで会うなんて奇遇だねっ、るるせっ。失読症は治ったのかなっ?」

 仰向けになりながら、覆い被さる春葉に僕は言う。

「治ったよ」

 涙が出そうだった。

「春葉は、また疼きだしちゃったんだっ、殺意が。この恋は、たくさん殺さなくちゃ治りそうもないやっ」


 僕は「なんで春葉がここにいるの」という一言が言えなかった。言ってはいけない気がした。


 白梅春葉が、ゆっくりと立ち上がり、茂みから境内の真ん中まで歩いて行き、四方を囲む修験道者たちにサバイバルナイフを握って対峙する。

 その瞳には狂気が宿り、八重歯で魅せるその口元は嗤っている。


「やっぱり、殺しをしてるときだけが、本当の春葉になれるっ。恋は盲目って言うけどそれと同じだよねっ。殺意は盲目なのだよっ! えっへん!」


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