百禍を刻む、君の因果律
成瀬川るるせ
第1話
死にゆく、あるいは死んだ世界、そして崩壊する世界から、光という形で広がりのなかに残るのは、その世界の否定である。それは、次にやってくる世界の表現ではない。ひとつの世界から別の世界へのメッセージであろうか。死にゆく一人の老人は、生の徴を残すではないか。だが、われわれがいなくなった後で、私が知った虚しさの体験などいったい誰がするだろうか。いったい誰が、そのときにあの叫び声を上げることなどできようか。あらゆる可能なものを手にしながらも、燃え上がりながら、過剰な軽快さで死んでいく生が発するあの叫び声を。
(ジョルジュ・バタイユ『有罪者 無神学大全』江澤健一郎・訳より)
一
こめかみに閃光の瞬きのような痛みが走った。電撃の糸が引きちぎられるのを、痛覚が捉えた。
僕は隣にいる蘆屋アシェラさんの横顔を見る。藍染めの甚平を着ていて西洋人とも東洋人とも言えない顔つきをしたアシェラさんは僕を無視してまっすぐに、踏み入れた土地の駅前通りを見据えながら言う。
「こめかみに痛みが来ただろう。これは〈
赤いシャツにカーゴパンツの僕、成瀬川るるせが後ろを振り返ると、改札より奥、駅の構内は消失していた。駅だった場所は箱状のコンクリートの塊になっていた。閉じ込められたのが視覚的に僕にもわかった。
「アシェラさん、これはどういうことで」
「だから閉じ込められただけだよ、るるせくん。予定通り僕は
「は、はぁ」
「煮え切らない態度だね、るるせくん」
「アシェラさん。駅がなくなっちゃって明らかに異空間に閉じ込められたっぽいのに、余裕ですね。僕はおなかが痛くなってきました。怪奇現象どころじゃないです、これが幻覚や幻影でなければ物理的に駅がなくなっちゃったんですよ」
「るるせくんは小心者だなぁ、だらしない。幻覚だったら二人で集団幻覚じゃないか、あはは。るるせくん。僕らが滞在する民宿に入れば、ひとまず安心だよ。ほら、地図を渡すから、先にチェックインしといてくれたまえ。僕はこの香炉を野中もやいに早く渡す必要性が出来たからね。暗くなる前に会ってくるよ」
アシェラさんが僕に地図を投げてよこす。僕はそれをキャッチした。
「安心って、閉じ込められてなにが安心なのか僕にはわからない。事の経緯がさっぱりなんですが。今回はなんなんですか。また厄介ごとは僕、嫌ですよぉ」
「民宿で話そう。それまで話はお預けだ。一応僕らだって未成年で高校生なのだから、日が暮れないうちに宿に着いておかないとそれはそれで警察がやってきたり面倒だよ。保護者なしの旅だからね」
携帯電話をいじろうとしたら画面がバグった。
「うぅ、携帯電話のナビゲーションが使えない。地図頼りに歩くかぁ。アシェラさん、早く落ち合って事情を僕にわかるように説明してくださいよ。いつも通り口車に乗せられて、今回は茨城くんだりまで来てみたらこれですもんね。責任を取ってください」
「じゃ、僕は伊福部岳に行ってくるよ」
「雷神、でしたっけ。いるんですか、そんなの」
「いるよ。野中もやいは、怪盗だけどね。鍵という鍵は雷神の技で開錠出来るんだ。その技術で野中はここ茨城県北部で怪盗をやっている」
「あー、もう。その雷神だか怪盗だかに早く会って渡してきてください、仙台で買った桐の箱に入ってる黒いお茶道具を渡すんですね」
「香炉だよ。それも仙台は伊達藩の伝統工芸品、埋もれ木細工の、ね」
「くぅ、仙台まで行くって言うからついていって、そのお茶道具を買って、途中で茨城に寄るというから下車してみたらこれですよ」
「わかったわかった。民宿へ行くんだよ、るるせくん。僕の知り合いが経営しているから、悪いようにはしないはずだよ」
「へーい、わーりましたよーっと」
夏の盛りの午後四時。僕は茨城県の助川町に降りて、海の近くにあるという民宿を目指して歩くことにした。アシェラさんは僕と反対方向、西の山の方へ歩いていく。
僕の高校二年の夏休みは、開始早々、碌でもなさそうな始まり方をした。僕は早く東京都杉並区の高井戸にある自分の家に帰りたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます