第37話

三七



 牛頭ごずは、その巨体を揺らしながら言う。

「裏鬼道の者たちが動き始めている。モガミの旗印を立てて、な」

「モガミとは疱瘡神ほうそうしんを指しますね。モガミの切除がこの土地の病巣だと僕は考えている。けど、裏鬼道衆は〈異物混入〉がこの災厄をもたらした、と語っていた。果たしてどちらなのでしょう。モガミとはどこの誰を指しているのか。異物混入とは言うけれど、異物とは誰か」

 と、アシェラさん。左右の老人たちがなにか言おうとするのを牛頭は手で制する。

「元麻布呪術機構の呪禁師だ。わたしが相手をしよう」

 黙る老人たちは、不満そうな顔だ。

「『本草綱目』は知っているか、呪禁師」

「『本草綱目』は本朝の本草学の大百科的書物。本草学とはすなわち草木などを中心にした薬学」

「そうだ。大陸由来の薬学知識を詰めた書物が『本草綱目』。裏鬼道もその歴史のなかで多く参照してきた書物だ」

「でしょうね」

「だが、江戸時代、それと対抗するように〈蘭学〉が栄えてくる。海から来たオランダ医学だ。山の薬学、修験道のそれとは体系が違う。知識が山から下りて来るのではなく、海から渡ってくる、というわけだな」

「と、なると〈異物〉とは」

「そう。本朝に〈渡来〉した知識体系がそうだ」

「なるほど。それなら裏鬼道の奴らが白梅春葉と一戦交えたのにも納得がいく。春葉の〈術式〉は、それこそオランダの哲学者、スピノザの汎神論はんしんろんの影響を色濃く受けているみたいだしなぁ」

「スピノザの汎神論?」

 と、言葉を挟んでしまう僕。

「全ての〈術式〉は生命力を〈呪力〉に変換して行使する」

 と、アシェラさん。僕はぼんやりと思い出す。

「春葉も似たようなことを言っていたような」

「もしかして、だけど。〈生命〉の持つエネルギーを〈神に通じる回路〉にぶち込んで〈変換〉したのが〈術式〉ってこと、ってな風に言ってなかったかい」

「言ってました」

「だろう。そもそも白梅春葉の〈圧縮しない〉で殺傷するタイプの術式は、その〈神に通じる回路〉が世界中どこにでもあって、ない場所なんて存在しない、言い換えれば〈この世界は神に満ちている〉という思考で現実にエフェクトをかけないと変換できないタイプの〈術式〉なんだ。ずっともやもやしていたけど、確信が持てたよ。この〈世界は神に満ちている〉という世界観こそが、スピノザという哲学者の思想体系である〈汎神論〉だ」

「だとしたら、それがどうしたんですか、アシェラさん」

「白梅春葉は蘭学サイドの人物だ、ということだ。本草学の裏鬼道とやり合ったのは、元々両者は対立しているからだ」

 牛頭は頷く。

「その通り。モガミと白梅は対立しておる」

 アシェラさんは言う。

「あの殺人鬼シリアルキラー、白梅春葉は全国指名手配の快楽殺人犯だ。そのあいつが一人きりでこの町に降り立っただけで、平将門が茨城県から起こした天慶てんぎょうの乱の再来をする、と警視庁組織犯罪課第四課の園田くんをして言わすということはつまり、この町が発端で本当に内乱が起こるということに違いないだろう」

 そこに僕。

「でもさ、アシェラさん。あと三日でこの土地は消し飛ぶんでしょ」

 左に控えていた老人が口を開く。

「内乱が起こるのも中央の役人たちは想定済み。それは元麻布呪術機構も同じく天文密奏で知っていたこと。じゃから呪禁師、あなたが遣わされたのじゃろう。じゃが、血みどろの死闘を演じているうちに、うやむやのうちにこの土地を空間ごと扼殺して、〈民衆に見せたくない〉ものと一緒に消し去るのが〈政府〉の〈燃え尽きた地図計画〉じゃ。そして、戦乱のデータが、〈政府〉には残り、海外交渉に使えるカードが出来上がる」

 アシェラさんは顎に手をやり、

「民衆に見せたくないもの?」

「そうじゃよ」

 老人は、ふひひ、と息を吐きながら肩を上下させた。

「知りたいか、呪禁師」


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