第9話



 ある休日、蘆屋アシェラさんの家の中。

 僕は応接間のソファに寝そべり、携帯ゲーム機でテキストゲームをしていた。テキストゲームとは文章を読んでいくタイプのゲームだ。僕の失読症は治って数年経っていた。僕は高校二年生になっていたのだった。

 今日はクラスメイトのアシェラさんの家にお邪魔しているのだ。アシェラさんの家は世田谷区蘆花公園にある。

「るるせくん。君ってやつは、いつもそうやってごろごろしながらゲームをしていて。職務怠慢だよ」

「職務って、なんの職務ですか」

「学業だよ。学業に励み給え。学業の神様で三大怨霊のうちがひとり、菅原道真に呪い殺されるよ」

「怖いこと言わないでくださいよ!」

 対面といめんに座るアシェラさんは、珍しく日本の新聞を読んでいる。

 いつもは外国の新聞ばかりを読んでいるアシェラさんが、だ。

「連続通り魔殺人事件……か。警察もうちの父親の探偵事務所に事件の解決を依頼しにやってくればいいのに。園田乙女くんに言わないとダメだね」

 最近、起こっている、連続通り魔殺人事件。ここ一か月で、十人もの被害者が出ているが、犯人は捕まらない。

 アシェラさんのお父さんは探偵業を営んでいる。アシェラさんも、いずれはその道に進みたいと思っているらしい。

「数年前の、白梅春葉が起こした事件を、思い出すねぇ」

 アシェラさんが出した名前に、びくりとする僕。

「白梅……春葉?」

「そう、白梅春葉。白梅の起こした、通称〈森の賢者連続殺人事件〉を思い出すよ」

「もしかして、アシェラさんのお父さんも関わっているんですか、その事件……」

「〈森の賢者連続殺人事件〉は、いわゆる〈賢者タイム〉……つまり性交渉後の恍惚状態の男性……ばかりを狙った連続殺人事件だった」

「け、賢者タイム……」

「野外で隠れて性交渉をしていた人間を襲うため、その特殊性からなかなか犯人が捕まらなかったんだよね」

「は、はぁ」

「組織犯罪の可能性も出てきたため、警視庁組織犯罪課第四課の園田乙女くんが事件の担当になり、僕の父にも捜査依頼が来た」

「ドラマみたいですね」

「そんなもんじゃなかったさ。犯人だった白梅春葉は、被害者の血液を飲むことから、相手が失血で青ざめるって意味で、青ざめさせる鬼……〈青鬼〉と言われてたな」

「相手が青ざめる……」

「生き血をすすってたのさ。女性の前で、相手の男性の血液を、ね。ひどい事件だった。僕の父と園田くんが捕まえたけどさ。春葉は、犯行を一人で行っていた」

「なにが目的だったのでしょう、その事件の、犯人にとって」

「快楽殺人、さ。恋愛や性愛に対して、うまく関係性を築くことができないタイプの者の、犯行だった」


 ……快楽殺人、か。

 常軌を逸した殺人。目的は、快楽。


「自分の過去の呪いに勝てなかった奴が起こしてしまった犯罪だったな。悲惨な事件だったけど、だいたい野外で性交渉してるって奴らも、犯罪といえば犯罪だった」

「確かに」

「面白いことに〈森の賢者〉ってのはダブルミーニングで、森の中や公園の茂みで殺人が起きていたことによる命名でもあったのさ。ひどい命名さ。死んだ奴らも浮かばれないだろうなぁ」

 僕はアシェラさんを見る。珈琲をすすっている。

「白梅は精神鑑定が済む前に病院を脱走して、それからどうなったのやら」

「ま、まるでその新聞に書いてある事件も白梅が起こした事件であるかのように聞こえますけど」

「そうは言ってないさ。ただ、思い出しただけさ」

 春葉の、八重歯を見せる屈託のない、あの殺人鬼シリアルキラーの笑みを僕は思い出す。

「ああ、そうだった、るるせくん。白梅は茨城県にある入院施設から脱走するときに、看護師や警備員を片っ端から殺して逃走したらしい。そういえばるるせくんも茨城県の病院に入院経験があるのだっけ?」


 僕は携帯ゲーム機をスリープさせ、目を瞑った。

 目を瞑ったけど、イメージはなにも思い浮かばなかった。

「白梅……春葉、か」

 僕がぼんやりとし思案しているとアシェラさんは立ち上がり、僕に言う。

「るるせくんも珈琲を飲むかい。僕の自慢の珈琲メイカーで淹れた珈琲はおいしいよ」


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