第19話

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 メモパッドを甚平の懐にしまって、アシェラさんは倒れている情けない僕に言う。

「るるせくん、駅から降りて最初に言ったじゃないか。一応僕らだって未成年で高校生なのだから、日が暮れないうちに宿に着いておかないとそれはそれで警察がやってきたり面倒だよ、と。保護者なしの旅だからね。結果、こうやって警察のお世話になってしまっている」

 倒れたまま僕は返す。

「園田警部、ヨーヨーの糸で図形をつくってやる気満々みたいですよぉ」

 園田警部はヨーヨーを大きく振りかぶり、魚をかたちづくる。それからまたヨーヨーを回して、糸で五芒星をつくって、そこでヨーヨーの動きを止めた。

「邪魔をするなら公務執行妨害です。あなたたちの狙いはなんですか。話し合う余地は、まだありますよ」

 修験道の格好をした裏鬼道衆、二人のうちひとりが口を開く。その声は低く、よどんだ沼地の中から聞こえるような不気味さだ。

「モガミさまの命により、異物は排除する。〈異物混入〉こそがこの地が厄災と疫病の地と化した元凶」

 アシェラさんは「ふぅむ」と唸る。

「モガミ? ああ、〈疱瘡神〉を茨城県北部では〈モガミ〉と呼ぶね。なるほど。道祖神の部外者排除術式はやっぱり君たち裏鬼道衆が張ったのか。黒幕はモガミ……ねぇ」

 裏鬼道衆ふたりが同時に得物である錫杖を構える。僕はもっさり、のろのろよたよたと起き上がる。腹から血が出ていて痛い。だが、僕だって戦わないと。

 僕が拳を構えるか否か、その瞬間に裏鬼道衆のひとりが飛び出して、僕に突っ込んで来る。

 得物は錫杖。鈍器だ。僕は両腕をクロスして防御しようとした。だが、錫杖を下から上にスウィングして弾かれた。クロスした手が解かれ、体勢を崩した僕は後ろに吹き飛ばさ、転びそうになる。手をバタバタさせたところに錫杖が一閃。

「えっ」

 目を丸くするしかなかった。錫杖は金属製の〈杖〉だ。なのに、僕の右腕を肩の根元から切断した。

 僕の右手はくるくる回転しながら二メートルは垂直に飛んでいく。一呼吸遅れて、僕の肩の根元から血液が吹き出る。吹き出ながら仰向けに倒れて、痛みで転げ回る僕。

「うぎゃあああああああああああああぁぁぁぁああああぁぁああああ!」

 涙と鼻水と大量の汗を出しながら、僕は痛みに転げ回る。

「園田くん、るるせくんの止血を頼む」

 頷く園田警部は運転手をしていた警察官と一緒に僕の止血をするために駆け寄ってきてくれる。

「全く。嫌だよね、ひとと対話をする気がない姿勢の狂戦士ってさ。僕は、嫌いだな」

 やれやれ、という風に、アシェラさんは言った。

「十王町と助川町には十五カ所以上の修験道場があったんだってね。まだ面影が残っているところもある。仏教の僧侶は経典を学んでくるだけでなく、多くは治水技術などを会得してきて、各地で治水工事の指揮を執ったことが、民衆のこころを得るその起因となった。同じく、修験道は山にいて〈薬学知識〉や〈医術〉を持って里に降りてくる。だから人々に支持された側面もある。と、なるともちろん疱瘡神との繋がりも見えてくるし、君たち自身がモガミってワードを出したことで、こっちもどう動いていいか、わかるってもんだよな」

 アシェラさんは、最前まで乗っていたパトカーに近付き、懐からメモパッドを取り出して、ページを一枚破ってフロントガラスに貼り付ける。付箋でもないのに、粘着力があるかのように張り付く。

 アシェラさんは、右手で九字を切って拝詞を捧げた。


れの神床かむどこす けまくもかしこ天照大神あまてらすおおかみ。 

 産土大神等うぶすなのおおかみたち諸々もろもろ大神等おおかみたち大前おおまえに、かしこかしこみももうさく。

 大神達おおかみたちひろあつ御恵みめぐみをかたじけなまつり、たかとおと神教みおしえのまにまに。

 なおただしき真心持まごころもちて、まことみちたがふことなく。 

 わざはげましめたまひ、門高いえかどたかく、身健みすこやかに。 

 ためひとためくさしめたまへと、かしこかしこみももうす」


 それからアシェラさんはひとこと。

「出ておいで、鬼一口おにひとくち


 パトカーが〈化けた〉。いや、パトカーに〈取り憑いた〉のか。そしてその取り憑いた〈異形〉は裏鬼道衆二人に刃の歯を持った大口を開けて獲物を狙う要領で飛びかかる。


 骨を砕く音と、グシャアァ、という、鮮血が噴き出す音がして、僕は音のでどころ……、裏鬼道衆だったモノの姿を痛みにもがきながらも凝視する。

 視るもおぞましい四つ足の鬼が、裏鬼道衆二人の頭蓋骨に、同時に噛り付いていた。

 ごきゅごきゅごきゅ、と噛み砕き殺すその血しぶきが刃で出来た歯の間から吹き出し、砂利道を血液で赤黒く濡らす。

 倒れて止血されている僕と、止血作業中の園田警部と運転手さんに、シャワーのごとく脳漿と血液が浴びせられた。

「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 断末魔は耳をつんざくかと思いきや、頭蓋が咀嚼されて声を失う。絶命したのだ。四つ足の鬼の咀嚼音が雨降りしきるなか、聞こえた。吐きそうになる。僕は吐かないように耐えるが、そもそも腕を切断された痛みで脳内がぐるぐる回っている。普通の精神状態になれない。

 ひとり余裕のアシェラさんはあごに手をやり、

「僕が使役してる〈式神〉にも、たまには餌を与えないとね」

 と、くすくす笑う。

 それから種明かしをするように、呟く。

「どうせ追っ手が来るだろうと思って事前にメモパッドへ文字を刻んで〈呪符〉にしておいてよかったよ。備えあれば憂いなし、だねぇ。でも、向いてないんだから僕に戦闘をやらさないで欲しいよね」



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