第24話

二四


 大浴場に着く。先に入っていたのは、青野氏だった。

 僕は浴槽につかって、お湯をかき分けながら歩く。

 手を振って僕は青野氏に近づいていった。

 アシェラさんは、遠くで一人、お湯を楽しむことにしたようだ。てぬぐいを頭に乗せて、目を瞑って湯船につかって、動かない。


「さきほどはお恥ずかしい場面をお見せしてしまいましたね。でも、元カノのツツジに音楽のイロハを教えてもらったのは事実なんです。音楽に興味を持ったのも、ツツジに当時のヒット曲を教えてもらって、それにハマったからなんです」

「当時のヒット曲かぁ」

「ええ。今じゃ『なつメロ』と呼ばれちゃいますね。ヒットしなかった、僕ら二人だけの秘密の『なつメロ』も、何曲かあった。でも、今は絶対にその数曲は聴かない」

「思い出すからですか、当時を」

「さっき、ツツジが僕に平手打ちしたでしょう。気性の激しい娘でね。別れたのもツツジのドメスティック・バイオレンスに耐えられなかったからなんです」

「はぁ。大変ですね」

「でも、サドにはサドの良い部分があってね。その『今じゃ絶対に聴かない数曲』を部屋に流しながら、ツツジに首を絞められながらするセックスは最高だった」

「…………」

 僕は口元までお湯につかって、恥ずかしさを紛らわせる。

「その『2人だけのなつメロ』を聴きながらするセックスで迎える絶頂は、何にも代えがたかった。だから、今は聴かないようにしているんです、『2人だけのなつメロ』だけは」

 僕は口から息を吐く。お湯から気泡がぶくぶく出てくる。僕なりのごまかしだ。

「すみませんね、こんな話をして。それじゃ。先にあがります」

 そう言って、青野氏は男湯の大浴場から先にあがっていった。


 僕とアシェラさんが湯船からあがって部屋に向かうと、青野さんの彼女のまどさんが、部屋をドンドンと叩いている。ノックにしてはおかしい。

 僕がまどさんにどうしたのかと尋ねると、まどさんが温泉からあがって部屋に戻ろうとしたら、カギを忘れていた、という。

 スマホで連絡を取ると、青野氏は先に部屋に戻っているから、カギはなくて大丈夫だ、という。しかし、呼んでも部屋を開けてくれない。電話にも出ない。

「さっきまで、音楽が流れていたんです。彼が聴いていたのでしょうから、部屋の中にはいるはずなんです。どういうことでしょう」

 僕は、何かに気づいた気がして「あ……」と声を漏らした。

「元さやに戻……げふっ!」

 アシェラさんにみぞおちに拳でパンチを食らったので、僕は黙った。

 アシェラさんは、

「宿の人にカギを開けてもらいましょう。なにか変だ」

 と言い、宿のスタッフを呼ぶことにした。

 カギを開けるスタッフ。

 部屋に入ると、青野氏がうつぶせに倒れていた。

 アシェラさんと僕は駆け寄って、脈などを調べた。

 青野氏は、死亡していた。

 窓にはカギがかかり、閉められていた。部屋のドアも、カギがかかっていた。

「密室だ……」

 僕は思わず声にする。

 まどさんが青野氏の死体に抱き着いた。

「きっとあの女が……ッ」

「あの女って、私のことかしら?」

 部屋の外からやってきたのは、青野氏の元彼女のツツジだった。

 てっきり僕は痴情のもつれでツツジさんが犯行に及んで殺害したのだと早合点していた。でも、違うっぽい。ツツジさんは今、僕らの目の前にいる。

「ん? 事件性はない? 密室で死んだのは、偶然?」

 僕が首をひねっていると、アシェラさんは言う。

「クジラに襲われて吠えるとも、クジラが吠えるのを好むとも言われている蒲牢。彼、青野英氏は、蒲牢だったんだよ」

「え? どういうことです、アシェラさん」

 アシェラさんは、きざっぽく笑う。

「どうしようもならんものが、どうにかなる。これは僕自身の思想でもある。この『事件』は、解決したよ」


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