第6話



 春葉。彼女は白梅春葉だった。僕が失読症に陥って入院したときに出会った少女が、白梅春葉だった。そうだった、春葉は〈殺人鬼〉だった。

 失読症とは、文字が読めなくなる病だ。僕の場合、こころの病として失読症になった。

 春葉は僕のこと、僕が失読症だったことも、覚えていてくれたんだな。

 血に塗れた神社の境内を眺めながらそんなことを思う。人殺しの現場でそれを思うのは感覚がズレている、と思えなくもなかったが、僕は春葉との再会のことを反芻していて、指でつくったピストルの構えで裏鬼道衆を撃ち殺して僕にその〈見えないピストル〉を〈仙砲〉と呼ぶのだと教えてくれたことが僕には嬉しくてたまらなかった。


 春葉は、裏鬼道の残り二人にも、僕にも、聞こえるように大きな声で言う。

「ひとがつくったに過ぎない世界を〈社会〉って呼ぶんだ。その社会の〈外側〉に、本当の〈世界〉、言い換えれば人知を超えた宇宙みたいなもの、が存在する。それが本来の意味での〈世界〉。神に通じる〈回路〉だねっ! 〈数秘術〉って術式に顕著だけど、〈社会〉の外側にある〈世界〉に〈触れる〉ことが神の御業に通じる道だ、って理解から〈魔術〉、それに本朝の〈呪術〉が術式の根本にあるんだよね。〈生命〉の持つエネルギーを〈神に通じる回路〉にぶち込んで〈変換〉したのが〈術式〉ってこと。……ひとが生活をしていると〈社会〉の中では絶えず人生で〈承認〉が問題になるよね。それは取るに足らない問題。だって〈世界〉の中では承認なんてミジンコみたいな存在なんだからね。ミジンコに過ぎない承認を渇望して気にしている〈自分〉なんて、矮小な存在に過ぎない。ヘルマン・ヘッセの『デミアン』に出てくる有名なたとえ話をすればいいかなっ? 〈鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、ひとつの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ〉。卵の中にあるひとつの世界って呼んでいるのが〈社会〉だよ。そしてその卵の中から抜け出ようと戦って、破壊したその先にあるものこそが、〈世界〉なんだよ。〈永劫回帰〉は神の御業の一端に触れるために、ある」


 話し終えた春葉は、

「じゃ、かかってきなよ?」

 と、付け加える。

 それを合図に、挟み込むように飛びかかる裏鬼道二人。春葉はそのうち一人の頸動脈を左手のナイフで掻き切る。血液が吹き出るより速く、くるっと回転してもう一人の男の得物である錫杖を握る腕を切断する。くるくる飛んで腕は錫杖ごと地面の血だまりに落ち、それと同時にその最後のひとりの喉元もナイフで切り裂いた。

 早業だった。圧勝、とはこのことだ。

「るるせっ!」

 白梅春葉は僕を呼ぶ。

 茂みから出る僕。

 春葉は汚れてしまったワンピースのポケットからなにかを握って、右手をポケットから取り出す。

 取り出して右手で持つのは、赤黒く輝く宝石だった。

「これはね、黒曜石だよ。赤黒曜石レッド・オブシディアンだねっ! 〈厄災除け〉になるの」

 僕は「へぇ」と言って、それから自分の腹部を見た。

「へっ?」

 刺さっている、尖った赤黒曜石の先端が。

「疫病と厄災の土地へようこそ、るるせ。じゃ、またねっ」

 春葉が刺さった赤黒曜石を僕の身体から抜き取る。

 腹部から血が流れ出る。間を置いて激痛が襲ってきた。

 身体が崩れ落ちた。

 雨が僕の身体を打ち付ける。

 それを、残った灯籠の明かりが揺らぎながら照らしている。

 顔を上げると、いたはずの春葉はいなくなっていた。

 痛みからくる耳鳴りに混じって、白梅春葉の声で、

「おかえりなさい」

 と聞こえた。

 僕はその場に倒れて、そのまま痛みにもだえながら、雨に打たれ続けた。意識が遠のいていく。


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