第36話

三六



 扉の向こう側、そこは水墨画のような、白黒の濃淡でのみ色彩が構築された部屋だった。水墨画をモチーフにした仮想現実に飛び込んだとしか思えない。目の前にいるアシェラさんも僕自身も、墨画の濃淡でその姿が見える。まるでアバター姿でここにいるみたいだ。

 部屋の奥には、玉座。部屋の天井に届くほどの大きさの甲冑を着た牛の顔をした人物が玉座に腰を下ろしている。そして、その牛の顔の人物の左右に四人ずつ、老人男性が控えていて、部屋への侵入者である僕らを見ているのだった。

 アシェラさんが先に口を開く。まっすぐ、その玉座にいる牛の顔の巨人に対して。

「この十王町には不思議な碑が残っていますね。その碑にはただ〈天一天王寺てんいちてんのうじ〉とだけ書かれている。天一天上てんいちてんじょうならわかる。天一神信仰に於いて、天一神てんいちじんが天上に帰るため、この期間は天一神の祟りはなくなる。この期間を天一天上といい、なにかを選ぶときにその吉凶を表す一つの指針として暦に記載されているからね。でも、天王という単語がくっついているのがどういうことか、わからなかった。でも今わかりましたよ。あなたは疫病の神である牛頭天王ごずてんのうと天一神が〈習合〉してひとつになった存在ですね? この土地では、災厄除けと方角の吉凶が強く結びついていた。方角を司るのは陰陽と修験」

 玉座の右にいた老人男性のひとりがアシェラさんに答える。

「そうじゃよ、この土地は医者がいない時期であれども医学が信仰と強く結びついていた。薬学の仏、薬師如来と習合した神も多いでのぅ。疫病を退治する神である素戔嗚すさのおとの習合は言うに及ばず、じゃ。今、町にまた〈災異〉が訪れている。中央の役人どもの仕業じゃな。そうじゃろう、元麻布呪術機構の呪禁師よ」

「僕の所属は元麻布呪術機構の奈落図書館クラブ・タルタロス。その呪禁師として、この町の病巣を摘出しに参りました」

 アシェラさんの言葉を受けて玉座の牛顔巨人が太い声でうなずく。

「呪禁師よ。貴様が今回の〈ササラ〉ということか。そして〈ササラ〉が従えるは伝承通り赤き熊……〈赤熊しゃぐま〉ということだな」

 牛顔は僕をちらりと見て嗤った。

 ササラ? 赤熊? この土地の方言か?

 牛顔巨人は言う。

「今宵の赤熊はみそぎもせずこの〈二十三夜〉にやって来たようだな」

 アシェラさんが僕に振り向き、

「るるせくんがお風呂も入らず、ここに来ただろう、と怒っているのさ」

 と、笑いをかみ殺しながら言う。

 話を重ね合わせると僕がその赤熊っていうのになってしまうというわけだけど……僕がこの件と関係があるってことになっちゃうじゃんか。どういうことだ、これは。部外者じゃないの、僕は。実は最初からこのプログラムに仕込まれていた人物ってことだろ、それって。

 背筋が凍ってきた。僕は白梅春葉が赤黒曜石を僕に刺したときに言った「おかえりなさい」の意味をただ、考えていたのだった。


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