⑬暴風少女
一階のスーパー横に併設されたフードコートにて、調理した料理を並べていく。
伊扇の好みが分からなかったので今日の料理は無難にカレーにした。
勿論食材は握りつぶさず食べやすい大きさに切っている。
その他、総菜各種。唐揚げやとんかつ、餃子なども並べていく。
家電売り場で見つけた発電機を使い、トースターやレンジで加熱もしておいた。
ほとんど時間が動いていたときと同じ基準の――なんなら選びたい放題なのでそれ以上に――食事を用意できた。
一通りの準備を終え、一息ついた秋灯が売り場一帯を見渡す。
店内は薄暗く、入り口近くのガラス窓から陰った日光が刺すだけ。
天井に取り付けられている蛍光灯は点かず、冷蔵棚の機能は停止している。
《時間解凍》を実行してしまうと、当たり前だが、指定した空間の時間が動き出す。
ただ電気や水道、ガスなど、インフラ設備の供給は停止しているので使うことはできない。
なので二、三日もすればこのスーパーの売り場から、主に生鮮食品辺りから異臭が漂ってきてしまう。
できれば部分的に《時間解凍》を指定できたらいいのだが、まだそこまでの余裕はない。
時間が止まっまま物の位置を動かせたら便利な気がするが。
漫画とかで似た描写は見かけるものの、今のところやり方の検討はつかない。
独り悶々と考えていると、明音と伊扇がエスカレーターを降りてくる。
勿論エスカレーターは動いていない。
「こ、これだけの量の食べ物が!すごいです!とても美味しそうです!」
「準備ありがと秋灯。寝床の用意と一応バリケードも設置しておいたわ」
途中から駆け出し、テーブルに齧りついた伊扇が感嘆を漏らす。
ゆっくり歩いてきた明音は伊扇の背中を優しく見つつ労いの言葉を掛けてくる。
「他にもお惣菜とかお刺身とかまだまだ残っているので、好きなだけ食べてください。先輩もありがとうございました」
「い、いつもこれだけの量を準備しているんですか?」
「そうですね、いつもこれくらいは。スーパーやコンビニなどお店一つを解凍をすることが多いので。どうしても余ってしまいますが」
「余る?‥‥私は解凍がうまくいっても、ほとんどカンパンとカロリーメイトと保存食品と、お水だってすごく貴重で、、」
喜びから一転、負のオーラが漂いだす。
道中相当ひもじい思いをしていたらしい。
「ほらほら食べるわよ。秋灯がせっかく用意してくれたんだから、冷めちゃう前に食べましょ」
全員席に着き、食事を始める。
合間に伊扇から同行の返事を聞こうと思っていたが、フードファイターもかくやというスピードで食べ出す。
会話を挟む暇もなく、鍋に入ったカレーを並々とお皿に注ぎ、それもすぐに食べ終え。
無言で離席し、お刺身と春巻き、焼き鳥、ピザ、パン、諸々を両手に抱えて戻ってきて再度食べ出す。
一心不乱に、まるで数日間獲物にありつけなかった幼獣のように食べ進める。
一体その小柄な身体のどこに入っているのか不思議だ。
伊扇の食事量に圧倒され、ようやく。
「ふぅ‥‥ごちそうさまでした。こんなにお腹いっぱいになったのは半月ぶりです!」
「お粗末さまでした」
満足したのか、満面の笑みで両手を合わせる。
彼女の食事姿を眺めているだけで、正直お腹が膨れた。
「よ、よく食べたわね。どこにそんな量入るのよ」
「私その、魔力の生成にカロリーを使われているらしくて。だから、食べてもすぐに分解されてしまうんです」
恥ずかしそうに話すが、聞き馴染みのない内容だ。
「魔力の生成?」
「えとえと、食べた物とか体力を使って右胸の臓器で魔力が生成されるんですけど。私の場合、食事をしたら胃で消化されていく途中で使われてしまうみたいで。だから、その、お腹がすぐに空いてしまって‥‥‥」
彼女が食事に悩んでいた理由はこれみたいだ。
「胸の臓器って心臓じゃなくて?右側に何もないでしょ?」
「物質的な臓器じゃなくて霊的な臓器らしくて‥‥だから質量は無くて、魂とかと似た物らしくて」
「へぇーそんなのがあるのね。私にもあるのそれ?」
「えっと、基本的に生き物であれば心臓の反対にあって。ただ、魔術師じゃない人は機能が落ちてるらしいです。白峰さんの場合は多分活発的に行われていると思いますが、」
明音が自分の右胸を摩りながら感慨深そうに聞いている。
ただ人前で胸を揉まないで欲しい。
食事が落ち着いたので秋灯は確認したかったことを伊扇にぶつける。
「伊扇さん。一つお聞きしたのですが、東京からどうやってここまで進んでました?今日の姿を見ていると、体力的にだいぶ厳しかったと思うのですが」
「えとえと、私は魔力の制御がすごく下手なんですけど、一応身体の強化ができて。だからそれを使っていて。でも魔力を纏うと、勝手に風が出てしまって、そのせいで吹き飛ぶこともよくあって。素の身体も弱いし、短時間しかできないし。‥‥‥一気に進んで、一日中休んでを繰り返してました」
「なるほど、お昼から民家で休んでいたのはそういう理由だったんですね」
「いえ、あれは。‥‥休んではいたんですけど、お腹が空きすぎてて、それを紛らわせるために寝てて‥‥」
身体強化が余程ピーキーなのか。
魔力を纏っている姿をぜひ見させてもらいたいが、それ以上に。
彼女の食糧事情はすごく大変そうだ。
「でしたら時間解凍の拡げ方を教えましょうか?」
「本当ですか!?ぜひ教えて欲しいですっ!」
「うーん多分難しいわよ。秋灯のやり方だと頭が二、三個ないとできないわ」
目を細めた明音が横から苦言を入れてくる。
コツさえ掴めば成功できると思うが、いかんせん自分の感覚を言葉にするのが難しい。
「えっと、‥‥‥‥やっぱり難しいですか?」
「多分感覚を掴めればなんとか「すごく難しいわ」
強く言葉を被せてくる。
「とりあえず今日は伊扇さんが時間解凍を使い切ってるみたいなんで、また明日お教えしますね。多分やりながらの方が伝えやすいと思うので。それとこの流れで聞いておきたいのですが、明日からどうします?こちらとしては一緒に行っていただけると嬉しいのですが」
自然な流れで同行の可否を問う。
予定を入れて断りづらいかもだが、是非魔術師――魔術は使えないらしい――に同行してもらいたい。
「えとその‥‥さっきお伝えしたように身体があまり強くなくて。魔力で強化してもすぐに切れてしまって、近くにいると吹き飛ばしてしまうかもしれないし‥‥進むスピードをお二人に合わせる自信がなくて」
「そこはやってみて調整しましょう。辛ければ先輩におぶってもらって構わないですし、魔力の強化がどの程度か分かりませんが、同行が難しかったら地図で集合場所を決めて夜に落ち合うみたいな形を取ればいいと思います」
目を伏せ自信なさげに言いよどむ伊扇。
想定していた内容なので、つらつら返す。
「えっと、でも、私がその、色々してもらってばかりで‥‥」
「風穂野は私たちと一緒に行くのは嫌?まだ半日しか一緒にいないけど私は一緒にいて楽しかったわ。四国まで二週間はかかるし、終末再現都市も回らなくちゃいけない。あなたが少しでも私たちと一緒に行きたいと思ってくれるなら一緒に行きましょ」
明音のド直球の勧誘。
ここで下の名前で呼ぶのはわざとか天然か。
少なくともこの少女を気に入っているのは間違いない。
「‥‥わ、私も一緒にいさせて欲しいです」
「やった!よろしくね風穂野!」
震えた子リスのような自信なさげな姿だが、ようやく承諾をもらえる。
メリットの提示だけでは彼女からいい返事をもらうことはできなかったかもしれない。
隣にいる明音の感情をなんとなく眩しく感じた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「‥‥‥伊扇さん、身体強化はとりあえず禁止です」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ハイ、すみません」
よろよろと秋灯が地面の上から立ち上がる。
髪が逆立ち服が擦り切れ、見える肌には打撲と擦り傷の痕がちらほら。
全身土と草で汚れていてボロ雑巾のような見た目。
その前で。地面に正座し土下座している伊扇。
彼女もまた秋灯と同じくらい服も髪も乱れている。
「すごかったわね。秋灯十メートルくらい吹っ飛んでたわよ!」
遠くで惨状を眺めていた明音が近づいてくる。
この先輩は人が芝生の上を転げ回る様を見て爆笑していた。
伊扇の同行が決まった翌日。ショッピングモールから二、三キロ進んだ先に大きめの公園があった。
魔力について実験と、その後約束していた《時間解凍》の練習をする手筈となった。
魔力で人の運動性がどれくらい変わるのか、また彼女の危惧する風とやらが如何ほどなのか確認したかったが。
結果として、伊扇の脚力、膂力、運動性、全てが飛躍的に向上した。
魔力をほとんど感じ取れない秋灯にも見えるほど、彼女の周囲に薄翠色のオーラのような何かが滞留し、数歩力を入れただけで解凍した柔らかい芝生の上に足形を残し、視線で追いきれないほどの速度を出した。陸上トラック程の広い公園を端から端まで風のように移動する様は、常人から外れたものだった。
これだけだったら歓迎できる。なんなら一人でも余裕で試練を達成できそうだが。
問題は伊扇の周りで常時吹き荒れている暴風だった。魔力の多寡によって強弱を変え、彼女が魔力を放出すればするほど芝生の上に局所的な突風を生み出した。
事前に聞かされていた秋灯は距離を開けて観察していたが、それでも暴風圏の中に入っていたらしく近すぎたと後悔したときにはすでに地面を転がっていた。
厄介なのは巻き起こる風が伊扇を中心にしてではなく――勿論彼女から吹いてくる風もあるが――方向に規則性が無いという点。
高校生男子一人を易々と吹き飛ばす、推定風速三十メートル毎秒超えの突風。
電柱やら家屋の屋根を根こそぎ空中に飛ばしそうな風が脈絡のない方向から吹いてくる。
見えないトラックに横から追突されるような、そんな感じ。
一番初めは何が起こったのかも分からず、気づいたら空を見上げていた。
そして、なぜか伊扇もまた地面の上を転がっていた。
聞けば彼女も自分で発生させてしまう風を制御できず、自分に向かって吹くことがあるという。
擦り傷や打撲があったのは、道中で自分が生み出した風によって吹き飛んでいたかららしい。
「伊扇さん、魔力の量をもう少し抑えられませんか?」
「や、やってみます。‥‥‥‥えい!」
秋灯、伊扇の二人が地面に押しつぶされる。
真上から大気の壁が降ってきた。
「ちょっと入れ過ぎですね。もう少し少なめで、」
「や、やってみます。‥‥‥ふん!」
腹から顎に向かって突き上げられ、身体が浮く。
伊扇はさらに高く浮いて地面にべちゃりと落ちた。
「‥‥魔力を一旦解きましょうか。イメージで変わるかもしれません。蛇口を少しだけ捻るイメージで魔力を纏って見てください」
「わ、分かりました。‥‥‥‥ちょっと、ちょっとだけ、くうぅうう」
薄翠色の魔力を霧散させた伊扇――その余波で脇腹に強い衝撃が奔った――が再度力むが、男梅みたいなものすごい形相。
出力の調整が難しそうだが、少女が人前に晒していい顔ではない。
段々身体の周りに薄翠色が見えてきて、左側からの突風で吹っ飛んだ。
地面を転がるのは今日で何度目だろうと、秋灯が力無く空を見上げる。
「‥‥‥一旦諦めますか」
「す、すみません」
一時間ほど粘って見たものの、流石に厳しかった。
彼女も魔力の出し入れによって、だいぶ疲弊してしまっている。
「伊扇さんすごいわね!あんなに人って飛ぶのね!!」
もしものことを考えて明音にはだいぶ遠くで待機してもらっていたが。
好奇に輝いている目をみて、もっと近くに来て貰えばよかったと思う。
「あの、その‥‥ほんとにすみません。自分で制御できなくて、試練が始まる前はここまでじゃなかったんですけど、時間が止まってからどんどん抑えられなくなって」
「魔力が増えてるんだっけ?」
「は、はい。それになんか流れ方もちょっと変わってるみたいで」
「へぇー、私にもそれがあるのよね。纏うイメージだっけ。うーーーーーーん‥‥‥‥」
明音がその場で唸りだし、それに併せて体皮の周りに僅かに薄紅色が滲む。
「こんな、感じよね‥‥‥‥」
異質な紅を纏った明音が身体をゆっくり動かし、その場でジャンプ。
建物の二階まで到達しそうな高さまで跳躍した。
「できたわ!秋灯見てっ!私もできたわよ!!」
一瞬で身体強化に成功した明音。
伊扇曰く明音は普段から魔力を無意識に使っていたみたいだが、これはあまりに早い。
月面の上にでもいるように、芝生の上をぴょんぴょん飛びながら無邪気に自慢してくるが。
目の前の少女のことをもう少し考えてほしい。
「うそ‥‥‥‥‥‥こんなに早く」
四つん這いになって地面に項垂れている伊扇。流石に声をかけられない。
明音の身体強化は伊扇と違い全くの無風だった。
「あっ、えっとごめんなさい。でも伊扇さんもできるし‥‥‥風が吹くだけで」
その風に悩んでいる。
「とりあえず伊扇さんの身体強化についてあとで考えましょう。もしかしたら身体を鍛えたら使いやすくなるかもしれません。あと明音先輩、身体の調子はどうです?」
「これすっごく疲れるわね!身体の奥から何か漏れてるみたい!」
「今日は予定地点まで移動してないので一旦普通に進みましょう。歩きつつ先輩のそれについても試してみますか。あと疲れたので時間解凍の練習はまた後で」
「はい、すみません、お願いします」
「二人とも疲れたら私に言って。おんぶするわ!」
諸々想定外のことが起こったが、一日中この場所にいるけにもいかない。
昨日一日の疲労感より今の方が疲れている気がするが、ノルマの三十キロを進まなければ。
それにしても、明音が身体強化を使えるようになるまで一瞬だった。
まさか見ているだけで魔力を纏えるようになるとは。
伊扇に教えてもらいつつ四国に着くまでにマスターできればいいと考えていたが彼女の適性の高さに驚かされる。
時間停止後の世界は魔力が流しやすくなっているらしいがそれにしても早い。
少し心配になりつつ、公園の中を人外の動きで駆けまわっている明音を見て。
それも杞憂かなと思う。
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