⑯あった
「明音先輩。そこから三時方向、五メートル先!」
「三時ってどっちよ!」
「九十度右!今の場所から右周りです!」
未だ東の空は白むことなく、星が墜ちた世界は宵闇が続く。
光源の乏しいクレーターの中は夜の深さに比例するように星骸(せいがい)の数が激増した。
「今度は十一時方向。左斜め前に三メートル!」
「左、左。‥‥無いわよっ!」
「もう少し下、地面スレスレ!」
直上から降り注ぐ重力が、身体を地面に縫い付け筋肉と骨を軋ませる。
秋灯は自由の効かない身体に歯を食いしばりつつ、その先に檄を飛ばす。
日の出まで残り二時間。
視界に頼ることのできない世界で明音に指示を出し続ける。
流石に野生児じみた明音でも、暗闇に溶け込む暗い色を持つ星骸(せいがい)を見つけるのは至難だ。
宙空に突然浮かび上がるそれは気配も何もなく、秋灯は辺り一帯に意識を伸ばし続けることでギリギリ察知する。
ただ。
「熱っつ‥‥‥」
秋灯は自分の額に手を当て、その温度に驚く。
まるで長時間付けっ放しにしたパソコンの筐体のような。
これほど意識を拡げ続けることが無かったが、鼻から脳みそが溶け落ちそうだ。
「ふぅーーーー、息熱っつ」
「秋灯!次!!」
思い切り息を吸い込み身体に空気を入れ、脳みそを冷やす。
今は熱さよりも周りの状況のほうが逼迫している。
「今度は、えっと‥‥‥‥後ろ!そこから百八十度回って十メートルくらい!」
「ほんと、忙しいわね!!」
数分から数秒おきに星骸(せいがい)が現れるが、迎撃が追い付いていない。
大気から黒い硝子片が集まり結晶化し、すでに辺りにはいくつか宙空に鎮座したまま。
普段の何倍もの重力によって秋灯と伊扇は地面に釘付けにされ、唯一動ける明音だけが星骸(せいがい)を砕いている。
「はひゅ、はひゅ、」
「伊扇さん、大丈夫ですか?」
「‥‥‥は、はい」
池にいる鯉のように口をぱくぱくさせる伊扇。
その半身は地中に埋もれていて、意識も朧気だ。
確か重力が強いと血の循環が滞って、身体の機能不全を起こすらしいが。
秋灯自身、額の熱に加えて視界がぐらつくような身体の倦怠感がある。
reデバイスのカウントは『04:04:19』。
残り四時間でようやく一日だが、今の状況が続けば撤退も考えざるを得ない。
ただこの世界から出ようにも結局反り建つ崖のような内壁を登る必要がある。
高重力でろくに身動きが取れない人間が二人もいては撤退自体難しい。
「秋灯、次はっ?」
「えっと、ちょっと待て。‥‥‥これはマズイ⁉」
視線を明音に移し、再度意識に集中するが。
辺り一面に現れる星骸(せいがい)の数が更に増える。
加えて大きさも握りこぶし大からボーリング玉並みに大きくなる。
これはもう、限界だ。
「明音先輩ハウス!」
「は?」
「戻ってきてください。早くっ!!」
秋灯の切迫を孕んだ叫び声に紅い軌跡が近づいてくる。
加えて身体を無理やり動かし、下に埋まっている伊扇を掘り返す。
酸欠気味の青白い顔を見下ろすが、最終兵器な彼女を使うしかない。
「なんなのよ。早く壊さないと」
「先輩、全力で伊扇さんを摑まえておいてください。地面から浮きそうになったら頑張って耐えて」
草木一本も生えていない荒涼とした大地では支えになる物がない。
直下の地面は解凍済で硬い岩肌を軽く耕しているが、他の未解凍の場所は刺々しい岩がごろついている。
空に巻き上げられ墜ちれば、最悪死ぬ。
「あとできれば俺の事も掴んでください。多分飛ばされるので」
「何する気なのよ?」
「ここは伊扇(竜巻製造機)さんに頑張ってもらいます」
明音が伊扇の腰に手を回し身体をガッチリ固定する。
されるがままの伊扇は、意識がはっきりしていないが。
「伊扇さん、すみませんが魔力を使ってください」
「‥‥こひゅ、こひゅ、」
「伊扇さん?」
「‥‥こひゅ、こひゅ、」
「これは‥‥」
頬をぺちぺち叩くが応答無し。
目は開いているが、間近にいるにもかかわらず視線が合わず口からは荒い呼吸音だけが漏れ出る。
今の状況、生き残るには彼女に魔力を使わせるしかない。
秋灯はこれまでの伊扇との経緯を思い返す。
一番初め、スーパーの棚に叩きつけられるという衝撃的な邂逅。
身体強化とは如何ほどかを見るために行い、すぐに後悔することになった運動公園での突風乱取り。
彼女の魔力が暴発するのは、おそらく過度なストレスがかかる場面。
コミュ障であり、対人関係が苦手な彼女が今もっとも意表を突かれることは。
一瞬の逡巡。他に思いつけず、秋灯が声を上げる。
「あとで死ぬほど怒られますので。‥‥‥すみませんっ!!」
とりあえず、その胸を揉んだ。
「は?あんた何して?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥はぅはぅあぁうああやきゃぁやぁあぅああああああああああ!!!!!!!!!」
明音のこれまで聞いたことが無い程剣のある声。
それに一瞬遅れて、伊扇の顔が真っ赤に染まる。
彼女の叫び声と共に翠色の大気が辺り一帯に吹き荒れていく。
暴力的なまでの翠が、荒野を駆け宙空に浮かぶ星骸を次々と壊していく。
「ぁあぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁああああっぁぁぁあぁああぁぁあああ!!!!!!!!」
「あ、死んだこれ」
高重力の世界にも拘わらず身体にかかる浮遊感。
地面に張り付いていたが、真下から抗いようもない風が吹き上がる。
「ちょっと、なにやってんのよ!!」
ジェットコースターが高所から急降下する一瞬前のような。
身体が完全に地面から離れるが、ギリギリ天高く舞い上がる前に首根っこを掴まれる。
明音が伊扇の腰に手を回したまま、巨木のように地面の上に屹立していた。
「た、助かりました」
「話は後よ。いいから足でも掴んでなさい」
地面に押さえつけられ、風から身を守るように明音の両脚に縋りつく。
見た目みっともないが、容易に吹き飛んでしまうため仕方ない。
その後数分間。
伊扇は翠の嵐を起こし続け、浮かぶ星の亡骸を一掃した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翠色の暴風が収まり、星骸が現れる頻度も落ち着いた頃。
ようやく東の空が薄っすら白味を帯びてきた。
「‥‥‥‥あれ、ここは?」
過度な魔力放出の反動か、もしくは羞恥心が限界に達したのか、気を失っていた伊扇。
小さな呟きを漏らし重そうに身体を起こす。
申し訳程度に掛けられた男物のパーカーを摘まみ、辺りを見回す。
「あら、起きたのね」
近くにいた明音が声を掛けるが、なぜか両手が土で汚れている。
「白峰さん。‥‥どうして私寝て?」
「さっきの覚えてないの?」
「えとえと‥‥」
首を傾げ考え込む。
確か、全身にかかる重力から身動きが取れなくなって。
意識もほとんど落ちかけてて、でも胸に違和感があって。
自分がなぜ魔力を暴発させたのか思い出し、顔が真っ赤に染まっていく。
使い切りほとんど残っていないはずの魔力だが、僅かに体表が薄い翠に染まる。
「さ、さっき突然‥‥」
「秋灯には一応制裁を加えておいたから」
明音が親指を横に突き立て、先の何かに示す。
目線を動かすが、そこには土下座の姿勢で頭だけがちょうど地面に埋まった秋灯がいた。
「この度は誠に申し訳なく、」
土の中からくぐもった声が聞こえてくる。
「えとえと‥‥‥‥?」
「土下座じゃ足りないから、埋めたわ」
「いや、あれだと死んじゃうんじゃ」
「少しならいいでしょ」
見えている首の裏辺りが真っ赤になっている。
次第に身体がプルプル震えだし、土で汚れた頭が勢いよく出てくる。
「ぷはっ、死ぬっ!」
「死んどきなさいよ」
「いやこれで試練のリタイアはちょっと」
「不埒なことをしたのよ。死刑よ」
鋭い刃物のような冷気を孕んだ明音の声。
道中で秋灯に対し雑に振る舞うことはあっても、これほど怒りを露わにした姿は見ていない。
「伊扇さん、この度は誠に申し訳ございませんでした」
秋灯が土を払い、少し近づいてきて。
再度地面に座り綺麗に土下座をする。
「い、いえ。そのし、仕方なかったかなと思うんですけど。でも、こういうのはもう、」
「はい。金輪際もう二度とこのようなことが無いように努めます」
秋灯の顔が見れず、堪らず視線を下げる。
さっきの状況。おそらく魔力を暴発させるために咄嗟にやったのだろう。
身体に圧し掛かる重力になすすべなく地面に磔にされ、使い物にならなかった自分が悪い。
悪いのだが、異性のそれも歳が近い男性に胸を触られた。
生まれてこの方そんな機会は勿論なかったし、なんなら異性と触れ合う機会も極端に少なかった。
忌避感やら羞恥やら申し訳なさやら。
種々の感情がぐるぐるない交ぜになって、自分でもよく分からない。
「顔がキモいわね。反省してないわよこいつ」
「‥‥いや、そんなことないですよ」
ちらりと見上げると、秋灯の顔がほんの少しだけにやけていた。
単純にキモいなと思った。
「次同じ事したら死刑。‥‥やっぱり今死刑のほうがいいかしら」
「いやいや、俺今回もけっこう頑張って、」
「みんなそうよ」
弁明している秋灯に向かって、明音が近づく。
指の骨をポキポキ鳴らし首を二、三捻る。
いつの間にか斜面の上に日が登り、クレーターの中を照らす。
夜の事が嘘のように静けさが佇み、空気が澄んで気持ちのいい朝焼けの中。
足の裏を天に向け逆さに埋められた奇怪なオブジェが出来上がる。
土の中、酸欠と疲労で意識が薄れていくが秋灯は一つ思う。
けっこうあったなと。
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