⑮愛知県名古屋市

「二人とも大丈夫?」

「ええ。問題ないです」

「は、はい」


赤茶け荒涼とした大地の上、警戒しつつ視ているが範囲が広い。

火山の噴火口のようなせり上がった急斜面が辺りを囲み、その傾斜の付け根付近。

いくらか斜角が緩くなった箇所に腰を下ろすが、周りは山頂のように草木が一本も生えていない。

あるのは大小混ざった岩の群れ。距離を比べる物もなく次第に遠近感が狂いだす。


「思ったより出てこないわね」

「ここに来た最初は何もなかったですから」

「ただの登山だと思ってたのに。やっぱり終末の世界は大変そうね」

「ですね」


背中越しの明音と話しつつ、視線は外に固定。

近くの地面の一部が変に均され、そこに人が嵌まっていたかのような跡が残る。

辺りにはバックパックやテントなど、荷物が散乱している。


「時間経過か規則性が無いのか。伊扇さんはさっき見えました?」

「い、いえ。その気が付いたら地面に倒れてて。‥‥‥すみません」


頭を横に動かし伊扇の方を向くが、それだけで普段の何倍も力を使う。

口角の開閉とわずかな腕の上げ下げだけで、身体にかかっている重さが日常のそれと違うことを感じ取る。


「俺も同じです。前兆とかも何もなかったですよね」

「ですです。ご飯に集中してたのもあるんですけど‥‥」

「ねぇ、」

「普通に重力が強くなってるだけだと思ってたのに。こんなギミックがあるなんて」

「わ、私が通ってきた【悪天ノ世界】より、正直厳しいです‥‥」

「ねぇ、、」

「伊扇さんは【汚穢ノ世界】は通らなかったんですか?」

「えと、少し入ったんですけど。あそこはその‥‥寒気がしたというか、多分すごいまずい場所で。魔術師が負けた世界だと思うから、」

「ねぇったら!!」


どこか引け目が滲んだ伊扇の言葉。

それより大きく明音が声を張り上げる。

過度の重力下でも平然と立ち、先の方を指差す。


「あそこ、なんかおかしくない?」

「えっと、どこです?」

「四角く尖った岩の横よ。黒い点が集まってる気がするわ」


明音が示す先に視線を移すが、岩の横に僅かに黒い斑点があるような。

地面から一メートルほど浮かんだ宙空で、光沢のある黒い硝子片が徐々に集まり球体然の形を成していく。


「ちょっ、さっきのやつです!」

「りゃぁぁぁあああああああ!!」


秋灯がそれを見止めたと同時に、明音が即座に地面を駆ける。

体表が薄紅の大気に揺れ、人が出していい速力を超えて。

十メートル先に浮かぶ掌ほどの大きさの黒い真球にアッパーカットを見舞う。

黒い硝子片が辺りに飛び散り霧散して、今回は重力の負荷はなかった。


「す、すごいですぅ」

「身体強化。‥‥もう普通に使えるですね」


薄紅の輝線を目で追いつつ、感嘆を漏らす。

存在を知ったばかりのはずの魔力を使いこなし、当たり前のように身体に纏っている。

ただでさえ素の肉体が強い明音のフィジカル面が強化され、人外の領域に入っている。


秋灯は腕を捻り、reデバイスの画面を点ける。

カウントの表記は『17:58:19』。

すでに【星骸ノ世界】に入って六時間が経過していた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


標高の高い山頂にいるかのような巨岩の地肌が剥き出しになった急斜面。

ごつごつした大岩の群れが斜面に張り付く形で置かれ、勿論それも時間が止まっているため恐ろしく硬い。

足元の砂利も見た目に反して硬く固定されていて、転べば身体に突き刺さって血だらけになる。


「やっぱり身体が重いですね」

「みたいね。いい感じの負荷だわ」

「なに言ってんすかあんた」


まるで身体に数十キロの重りをぶら下げているような感覚を覚えつつ、慎重に斜面を降りる。

視線の先で軽快に脚を運んでいる明音の言葉は正直意味が分からない。


「伊扇さん。大丈夫ですか?」

「ぜぇぜぇ、だ、大丈夫です」


少し後ろの伊扇は斜面に縋るように手足をつき、荒い息を零す。


「厳しそうだったら魔力を纏ってください。‥‥全力で離れるんで」

「い、いえ。まだ、いけます」


掠れる言葉で、それでも意思をはっきり示す。

伊扇が魔力を纏えばこの場所でも十全に動けるはずだ。

その代わり局所的な突風が吹き荒れるが。


現在、愛知県名古屋市の中区付近。

この場所には終末再現都市の一つ【星骸ノ世界】が再現されている。

巨大隕石群の衝突で人類が滅んだ世界。地球の表面を月面のような穴ぼこに変え、落下の衝撃により半径数十キロの圏内を吹き飛ばし、そして人が住めない大地に成り果てた。

凡そ終末の要因としては想像しやすい、ありきたりに終わった世界。


再現された推定半径十数キロの巨大なクレーター。ぐるりと囲む斜面の外も大地がせり上がり、そこそこな登山をしてきたが、クレーター内に入ってようやくreデバイスのカウントが起動した。


【星骸ノ世界】の説明文は、他の世界と違って短い文章が少しだけ。

既に隕石が墜落した後であり、諸々を吹き飛ばしているので【機工ノ世界】の人型機械アルフ・オートマタや【汚穢ノ世界】の泥人形など敵性のギミックが無いと判断した。時間が止まっているため、有毒ガスや未知の細菌などもないと思ったが。


「これはほんと、疲れますね」


クレーター内はこれまで当たり前のように感じていた重力が変容していた。

自分の体重がおそらく二倍程度。もしかしたらもっとあるかもしれないが、それほど重力が強くなっている。

高重力場。漫画やアニメなどで似た描写はあるが、それを感じる日が来るとは。


「一旦休める場所を探しましょう」

「もう少し西側に進んでおいた方がよくない?」

「いや、身体がもう限界なんで」

「わ、私も休みたいです‥‥」


明音だけは元気が有り余っているのか、高重力の世界を楽しんでいる。

ただ、秋灯は脹脛と二の腕が筋疲労でプルプル震え、伊扇に至っては全身が小刻みに震えている。


「そうね。‥‥‥‥あっちなら座れそうじゃない?」


少数派の明音が渋々辺りを見回し、先を顎でしゃくる。

大岩の横、傾斜が緩くなっていて三人座っても余裕があるほど開けている。


「いいですね。時間もちょうどなんでお昼にしましょう」

「や、やったですぅ」


張りのない声を出して喜ぶ伊扇。

おそらく彼女が最も疲れている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


クレーター内側は遠近感が狂うほどの広さがあるが、中心地は平らになっている。

しかし名古屋市南西部の伊勢湾側は一部湖のように浸水していて通行ができない。

四国方面に行くためには反時計回りに斜面を廻るか、もしく素直に中央付近を突っ切るか。


ただ、なんとなく。

クレーターの中央。墜落した隕石があるであろう箇所に近づくのは本能か第六感か、警鐘を鳴らしている。

肌がぞわりとするような泥人形を最初見た時と同じく嫌な気配。


それは明音も同じらしく昼食に用意していたおにぎりを手に持ちつつ、ずっとクレーターの中心を見ている。

この人の野生の勘は常人よりもずっと鋭そうだ。


「お、美味しいです!!」

「お粗末様です」


一人伊扇がおにぎりに饒舌を漏らす。

美味しく食べてくれるのは嬉しいが、緊張感が抜けている。


「あんたいつの間に用意してたのよ」

「今朝出発する前ですね。終末の世界だと食料を用意できなそうですから」


おにぎりやらサンドイッチやら。

携帯食の準備はしていた。


「なんかピクニックみたいね」

「どちらかというと登山とかハイキングでは?」

「一緒でしょ」


少し空気が和む。

まだ手元のreデバイスは『21:28::37』。

二時間半しか経過していない。


そのまま談笑を続けるが、明音が突然黙る。


「‥‥‥‥何かしらあれ?」


きつい目じりを更に上げて、遠くのほうに目を凝らす。

眉間に刻まれた皺を見て、睨みを利かせたこの人の顔は怖いなと場違いな感想が浮かぶ。


「どうしまっ‥‥ぐぅ!?」

「きゃっ!」


声を掛けるが、突然全身の身体が重くなる。

まるで直上にある大気が質量を持ったかのように、地面に押しつぶされる。

秋灯が座っていたキャンプ椅子から倒れ地面に膝立ちに、明音は少女のような甲高い悲鳴を一瞬だけ漏らす。


「あぁぁぁ!!わ、私のおにぎりっ!!」


後ろでは全身地面に嵌まっている伊扇が、別の悲鳴を漏らす。

手から零れ落ちたおにぎりが、大気にプレスされている。


「なんだよ、これ‥‥」


何が起こっているのか分からず辺りを見回す。

少し先で、いつの間にか立ち上がっていた明音がのしのし地面を踏みしめる。

この重力場にも関わらず平然と歩き、既に見当がついているのか、進路の先に何かが浮かんでいる。


「なに‥‥すんのよっ!!」


怒号と共に宙空に浮かぶ黒い水晶。人が映るほどの透き通った鏡面と、漆塗りのような黒い球体を全力で殴りつける。


見た目より脆く、簡単に割れて黒い硝子片を辺りにまき散らす。

同時に全身にかかっていた重力も収まり、元の――といっても普段より重いが――状態に戻る。


「明音先輩、今のは?」

「急に黒い玉が浮かんでたから、殴ってみたわ」


腰に手を当て、誇らしげに胸を張る。

根拠も何もないが今は明音の行動に助かった。


「あれがこの世界のギミックですかね。普通に重力だけでも厄介なのに‥‥‥」


【汚穢ノ世界】でも同じことを思ったが、やはり終末の世界はどこも一筋縄ではいかない。

散乱したテントや椅子とぺちゃんこになったバックパックを見やり、短く嘆息した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


黒い玉。【星骸ノ世界】からそのまま星骸(せいがい)と呼ぶことにした。

星骸(せいがい)は二、三時間に一度の頻度で近くに現れた。

人を狙っているのか偶然なのか、少なくとも泥人形のように意思は感じられない。

だいたい目視できる範囲内の空中で小さい黒色の破片が大気から濾されるように集まり、真円の球体が出来上がる。

一帯に重力を発生させるまで若干のラグがあるため、形を成す前に迎撃できれば高重力にはならない。


三人でそれぞれの方角を受け持ち監視を続け、今のところ五体無事に迎撃できている。

【汚穢ノ世界】で震えていた少女はどこにいったのか、バリバリ活躍している明音。本当に助かる。

既に真夜中。この世界に滞在するのも残り六時間を切った。


「ぐふぇ‥‥またですか」

「痛いですぅ」


重力に押しつぶされ身動きが取れない秋灯と伊扇。


「秋灯!今度はどこ⁉」

「えっと、ちょっと待って‥‥東一五メートル先です」

「了解っ!」


紅い軌跡が闇夜にぼんやり浮かぶ。

秋灯が示した大まかな方向を進み、手慣れたように星骸(せいがい)を叩き割る。


「ふぅ。‥‥二人とも大丈夫?」


声を掛けてくるが、流石の明音にも疲労の色が見える。


日が沈み辺りが暗くなってから、夜の闇に隠れる星骸(せいがい)を見つけるのが困難になった。

一応周りを目で確認しているものの、突然宙空に現れる黒い玉を形を成す前に見つけるのはほぼ無理。

そのため一旦重力を浴び――というか回避できない――その中で唯一動ける明音が赤い魔力を滾らせ迎撃していた。


「大丈夫です。地面に潰されるのも慣れてきました」

「お腹の中がぐるぐるしますぅ」


服を払い砂ぼこりを落とす。

足元の地面は既に解凍済みで、いつ磔にされてもいいよう土を耕している。


「でもあんた、なんで場所が分かるのよ?」

「えっと、勘ですかね」


《時間解凍》の前準備。構造の把握がここでも役に立った。

見つけづらい黒い球体も、周りに意識を伸ばせば場所を見つけられる。

ただ、神経を使うため常時張ってられないのが難点だ。


「何よそれ。超能力みたいでズルいわね」

「普通に魔力を使ってる先輩のがズルいんですけど」


高重力をものともしない魔力を纏った明音はすさまじい。


「そ、その。足手まといなってすみません」

「いえ。伊扇さんは最終兵器なので温存していてください」

「さいしゅう?」

「どうしようもない状況になったら、魔力を使ってください」


申し訳なさそうな顔の伊扇だが、彼女が魔力を全力で使えば周りの星骸(せいがい)を一掃するくらいは容易にできる。

その代わり秋灯と明音と、そして本人も諸共に吹き飛ぶことになるが。

できれば、そんな状況は来ないでほしい。


「流石に眠くなってきたけど、これだと寝れないわね」

「やっぱり終末都市だと徹夜する羽目になるんですね」


ひしゃげた椅子を戻して、欠伸を噛み殺す明音。

眠気覚ましに秋灯がコーヒーを淹れようとして、携帯用のガスコンロが過度の重力に耐え切れず壊れていた。

またどこかから調達してこなければ。

一応ステンレス製の魔法瓶は無事だったので、自分用に淹れていたコーヒーを飲む。


「私も欲しいわ」

「ブラックなんで苦いですよ」

「牛乳ないの?」

「流石に腐りそうなので持ってきてないですね」

「ふーん。砂糖は?」

「それはあったかな‥‥」


散乱したバックパックから、携帯していた調味料を探す。


「あれ?ないですね。乾パンの氷砂糖でいいですか?」

「大きいから溶けなくない?」

「先に口に含んで、その後飲めば甘くなりますよ」

「‥‥まぁそれでいいわ。はい」


乾パンから白雪の結晶のような氷砂糖を取り出し、あんぐり開けられた明音の口に放りこむ。

魔法瓶も手渡し、それは流石に自分で飲んだ。


「うーん、まだ苦いわ。今度からもっと甘くしておいて」

「いや、それ俺用なんで」

「私が飲むのも考えておきなさいよ」

「それは知らん」


気怠い雰囲気を漂わせつつ、雑な会話が続けられる。

砕けたもとい、あまりに自然体なそれに伊扇が尋ねる。


「えとえと、お二人は時間が止まる前からお知り合いなんですか?」

「ん?知らないわよ。高校は同じだったけど」

「俺は顔と名前だけは知ってました。学内では有名人だったので」


ついこの前まで、高校に通っていたはずだが。

なんだか遠い昔のように感じる。


「そ、それにしてはその。お二人とも接し方がすごい慣れているというか、」


伊扇の指摘に、明音と顔を見合わせる。


「そうかしら?三週間くらい一緒にいるし普通じゃない?」

「ですね。時間が止まってから一日が濃かったですから。それにこの人、見た目だと近づきづらい美人って感じですけど、中身は雑なゴリラですから。気を遣う必要もそんなないし、」

「あ?」

「いえ、良い意味でですよ。良い意味で」

「ゴリラのどこが良い意味なのよ」

「いや、だって魔力使ってからほんとにゴリラ並みに。というかゴリラも超えてる」

「ならその力を見せてやるわ」


場を和ます小粋な冗談のはずが、鳩尾に拳を入れられる。

振りかぶることもなく助走もなかったはずなのに、内腑に衝撃が届く。

秋灯が軽く嘔吐くが、その様子をなんとも微妙な顔で伊扇が見ている。


「‥‥いいな」


ほとんど聞こえないくらい小さな声で。

伊扇のそんな呟きが聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る