⑰京都へ向けて

【星骸ノ世界】を出て数日後。

過度の重力に晒されていたため全身に酷い筋肉痛が残り、動かす度声を上げそうになる。

また、明音に制裁を加えられた箇所――主に鳩尾当たり――も、少し痛みが残っている。

割と満身創痍な状態。流石にどこかで休息を取りたい。


「先輩、そろそろ降りてきてください」


視線を上げ、民家の屋根上にいる明音に声を掛ける。

【星骸ノ世界】で活躍していた明音だが、既に魔力による身体強化をごく普通に使っている。

今も偵察と称して民家の屋根をぴょんぴょん跳ねて進んでいるが、明らかに人外の動き。


「あらもう着くの?早いわね」


ぴょんと六、七メートルの高さを飛び降りる。

バトル漫画の住人みたいで、正直羨ましい。


「きょ、今日はもう。終わりですか?」


荒い呼吸音と上ずった声が後ろから聞こえる。おそらく一番満身創痍な伊扇。

【星骸ノ世界】を出た当初は筋肉痛によって全く動けず、二日ほど明音の背中におぶさっていた。

今日は一日歩いていたが、途中からだいぶ辛そうにしていた。


「ノルマ分は進んだんで終わりです。あと予定してた日数より余裕が出てきたので、京都の終末都市に入る前に一日お休みにしようかなと思うんですけど、どうです?」

「日数は足りそうなの?」

「今のペースで進めば残りの終末都市の滞在も合わせて、だいたい一週間で四国に到着できます。今日がちょうど試練が始まって半月、十五日目なので一週間は余裕がありますね」

「なんか思ってたよりも楽ね。もう少し大変だと思ってたのだけど」

「いやいや、何度か死にかけているじゃないですか。また泥人形が出てきたらどうするんすか」

「‥‥‥あれが出ても今なら逃げきってみせるわ」


飛躍的に身体能力が向上した今の明音であれば、泥人形数体を倒すのは容易だろう。

それでも、倒すと言わない辺りトラウマが残っているらしい。


「やっと、休めますぅぅ」


声に力のない伊扇が道路の上に頽れた。

今日一日歩ききったし、体力も少しは上がってきている。


「今日もたくさんご飯を食べましょう。伊扇さん何かリクエストはありますか?」

「えとえと、脂っこいものが食べたいです!とんかつ、唐揚げ、ハンバーグ、それから‥‥」


【星骸ノ世界】でやらかしてしまったので、食事に関しては全て彼女の注文を聞きご機嫌取りをしている。

今でも若干声が上ずったり怯えの目を向けられるが、それでもだいぶましになった。


「とりあえず夕食は近くのスーパーで選んで、宿は高そうな旅館にでもしますか」

「やったですぅ」


秋灯は鞄から付箋が張られたムック本を取り出す。

這い寄ってきた伊扇と共に本を確認するが、今いる琵琶湖の南西側周辺の趣のありそうな旅館に当たりをつける。

道順を頭に入れ、再度歩き出すが。


「明音先輩、行きますよ」

「‥‥えぇ」


なぜか後ろで遠くの方を眺め、動かない明音。

背中しか見えないため表情が分からないが、泥人形でも思い出して怖くなったのか。


「私は今日サウナに入りたいわ!」


小走りで駆け寄ってきて、その顔が一瞬陰っていた気がするが特にいつもと変わらない声。

溌剌に自分の意見を主張する姿から、杞憂だったと感じ取る。


「最近ブームですしね。でもヒーターが動くかわからないですよ?」

「テントサウナなら用意できるんじゃない?」

「解凍しろと?」


雑談をしつつ、少し歩調を緩め旅館に向かう。

明日一日何をしようか。とりあえず休んで、できれば温泉に入って。

久しぶりの休息に想いを馳せていく。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


二十畳ほどある畳とフローリングが混ざった和モダンな客室。

豪奢な調度品とアンティークの家具、奥の床の間には掛け軸が掛けられている。

障子戸の先には縁側が設けられ、その先には鹿威しや景石など風情のある日本庭園。


時間が動いていた世界だったら一介の高校生にはまず泊まれないだろう高級旅館。

先ほどまで明音、伊扇と共にノリノリで敷地全体の《時間解凍》を行ったが。


正直落ち着かない。

なんだか自分が根っからの庶民だったことに気づかされる。

マーキングのように和室の隅に荷物を広げ、一人で使うには広すぎる客室を見渡す。


「‥‥‥‥風呂でも行くかな」


嘆息が混ざった声を漏らす。

最低限タオルを手に持って部屋を出ていく。


温泉は各部屋に専用の個室風呂が備え付けられていたが、残念ながらお湯が張られていなかった。

蛇口をひねっても水が出なかったので、離れにあるらしい温泉に向かう。


遠目から白い湯気が立っているのは見えていたのでお湯は張られている。

源泉かけ流しか、ポンプなどの機械で汲み上げているのか。

時間が経てば冷えてしまうかもしれないため解凍直後の今のうちに入っておきたい。


脱衣所でさっさと着替え、屋内に併設された檜の浴槽に入る。


「くぅぅぅうううううううう」


思わず声が漏れ出る。

疲労の溜まった身体に、温泉の熱が沁みていく。


明音や伊扇がいる手前、あまり顔には出さなかったがだいぶ疲れている。

ここまで素の身体だけで進み約四百キロ強の距離を歩いてきた。

履いてきた運動靴の裏面は削れ、指の爪が剥がれかけ、できていたマメもつぶれている。

そもそも【星骸ノ世界】での過重重力による筋疲労が身体に残っている。


やっておきたいこと。準備しておきたい物はいくらでもあるが。

明日は流石に寝ていようか。


最低限、明日の作業を考えつつ、熱気で頭が回らない。


「露天に行くか」


一旦頭を冷やすため、屋外の露天風呂へ向かう。

すでに外は真っ暗で照明も灯っていないため、滑る石畳を慎重に進む。

月明かりだけが頼りだが、温泉から立ち込める白い湯気でほとんど見えない。


足先で湯が張られていることを確認し、一気に入る。

外気で冷やされていたのか、こちらはちょうどいい温度だ。


「はぁぁぁぁぁぁ幸せーーー」

「おっさんくさいわよ秋灯」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥は?」


突然、暗がりに紛れた湯気の奥から聞き覚えのある声がする。


「‥‥えっと、なんでいるんですか?」

「なんでって、私が先に入ってたからよ」

「いや、こっち男湯じゃ?」

「一つしかなかったでしょ。ここって貸し切り用だから」

「いや、でも、えっと‥‥‥‥‥とりあえず俺出ます!」

「いいわよ別に。明かりが無いから見えないし、近づいてきたら殺すけど」


光源が乏しいごつごつした岩に囲われた露天風呂。

月明かりに照らされて分かるのは白い湯気くらい。

ただ、声と気配と。水を滴らせる音でそこにいるのが分かる。


淑女ならもっと動揺してくれと思う。


「ほ、本当にいいんですか?」

「あんた結構疲れてるでしょ。出てけっていうほど鬼じゃないわよ私」

「いやいや俺は大丈夫ですよ。全然‥‥‥」


疲労がバレていたことにほんの少し動揺しつつ、内心それどころではない。

出ていったほうがいいのか、浸かっていてもいいのか迷う。

半身をお湯に入れた状態で、落ち着きなく視線を彷徨わせる。


「あぁもう、寒いんだから肩まで浸かりなさいよ!入らなかったらそっちに行くわよ。私の裸見てお互い気不味くなるわよ!いいの?」

「えっと、入らせていただきます。だからこっち来ないでください」

「なんかその言い方アレなんだけど‥‥‥まぁいいわ」


変な脅しの仕方をされて、諦めたようにお湯に浸かる。

マナー違反ではあるが、一応タオルを腰に巻き付け、顔は白い湯気とは逆の庭園の奥に固定する。

肩先は冷えてしまっていたが、頭が別の理由で茹りそうだ。

疲れを癒すために入ったお風呂で、なんで緊張しているのだろうと秋灯は思った。


「‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」


お互い特に会話をすることなく、沈黙が続く。

少しだけ余裕が出てきた秋灯は、頭の位置はそのままに視線だけは白い湯気に向ける。

見てしまえば明日から顔を合わせづらくなり、これまで培ってきた信用を損ない試練の進行に支障をきたす。

自分の願いを叶えるためにも、明音と行動を共にするのは必須だ。


だが、しかし。見たいものは見たい。


秋灯の頭が疲労と緊張と、温泉の熱気で狂いだし。

まともな判断もできず、煩悩がむくむく顔を出す。


とりあえず見ていることを相手に悟らせなければ気まずくなることもない。

自分の眼球の視界の端ギリギリに移動させ、顔は恐ろしく無表情に。

僅かな月明かりが、石畳にこぼれ出たお湯と反射し露天風呂の輪郭が見える。

肝心の明音がいるであろう場所は白い湯気が濃く、その先が見通せない。


余りに暗すぎる。月よもっと仕事しろ。

風よもっと吹け。邪魔な湯気を吹き飛ばせ。


初めて本気で、神に祈った。


「‥‥その、秋灯。ありがとね、ここまで一緒について来てくれて」

「見てないです!‥‥‥‥‥‥‥‥‥なんすか急に、改まって」


反射で叫ぶが、その言葉で頭が急速に冷めていく。

煩悩のまま眼球を動かしていた自分が情けなく感じる。


「見たら記憶が無くなるまで殴るから」

「うへぇ」

「‥‥‥‥‥今までちゃんと伝えていなかったでしょ。こういうの顔を見て言うのも照れくさいし」


明音の声音は恥ずかしさを孕みつつも、真摯さが混じっていた。


「終末都市でも、時間解凍も。道順も準備とかも、色々やってくれて。私一人だったら、こんなに順調に進めなかったわ」

「いや、だって俺は。‥‥先輩に助けてもらって、学校で見つけてもらえなかったら俺は」

「それについて十分恩を返してもらっているわ。ほんと十分すぎる程にね。あんたは分かってなさそうだけど、宣誓のあと一緒に着いて来てくれるって言ってくれて、本当は嬉しかったのよ。私も心細かったのね」


明音がこれほど心情を吐露とするとは思わなかった。

普段は苛烈で強引でプライドが高くて、それでいて優しくて。


それでも彼女も高校三年生の女の子だった。怖くないはずがない。

時間が止まって、知り合いが一人もおらず誰も頼れないこの世界で。

人智を越える現象を目の当たりにして、心細くないはずがない。


「だからね秋灯、ありがとう。あなたを見つけられたことはとても幸運だったわ」


その感謝は秋灯にとってあまりに不意打ちで、目が僅かに潤む。


秋灯にはどうしても叶えたい願いがある。

試練者プレイヤーが抱くような世界を変えたいななどという、身の程知らずの願いと違って。

小さく、ちっぽけで、情けなく。昔破ってしまった約束をただ守りたいだけ。


彼女はもう覚えていないけれど、秋灯は明音のことをずっと前から知っていた。

時間が停止した世界で扉に挟まった秋灯が彼女と出逢う前よりずっと前から。

彼女から返しきれないほどの暖かさをもらったから。


名前も違う、記憶もない。

けれど、今度こそ。明音という存在を守りたい。


結局言葉を返すことが出来ず、お湯が冷めるまで秋灯は黙り続けた。

気づいた時には既に明音は温泉から出ていた。


「‥‥‥‥さむっっ。出るか」


身体を震わせ、冷えた石畳をつま先立ちで歩いてそそくさと屋内に戻る。

憧れの先輩との混浴を放心していて不意にしてしまった。

なんだかすごく勿体ないことをした気がした。

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