㉕真賀騒動2
「結局こうなるのかー」
半壊した平屋の外。近くの公園の茂みに隠していた摩擦零ベッドを引っ張り出して乗り込む。
伊扇を固定している時間もなく、なんならさっきの全力放出で疲弊しきっているが、それでも走るよりは早い。
未だ明音は本調子ではないし、本職の魔術師と戦うのはまだ厳しい。
【巨獣ノ世界】のできるだけ外周。
崩壊が大きかった中心部を避けて、反時計回りに神戸市西側の垂水区の方を目指す。
多少道路面に瓦礫が散乱していてベッドがガタガタ揺れるが、それでも接地面の摩擦がないため滑走できる。
「むぅ、なんで逃げるのよ」
「あの人数は無理ですよ。というか病み上がりなんだから魔力使わないでください」
口をへの字に曲げて不満を漏らす明音だが、その顔は平時よりも色が薄い。
つい一昨日まで寝たきりだったので、普通なら身体を動かすのも辛いはずだが、それを本人が自覚しているかどうか。
加えて真賀が使ったおそらく催眠系の術式。
強烈な甘い匂いと共に、真賀本人に対して共感と信頼をいつの間にか抱かせる。
東京と今回とで二回ともかかっているが、今の所鼻栓くらいしか対処する手段が思いつかない。
何故か明音も伊扇も特に効いているそぶりはないが、距離の問題かそれとも纏う魔力が関係しているのか。
「残り二時間弱。このまま明石海峡大橋の方へ向かいます。四国に着きさえすれば、流石に攻撃してこないでしょう」
塩ビパイプの操縦桿を握り前方を確認。
すでに市街の交通網は大まかに把握している。
「う、うしろに何かいます!!」
ベッドの後方。微風を放出していた伊扇の視線の先に、さっき見た紙製の蜂が数匹浮いている。
二対の翅を高速で瞬かせ、少し距離を開けて追随してくる。
更にその後ろには、真賀を先頭に黒外套の一団。
全員が陸上選手顔負けの速度で走っている。
「しつこっ!まだ追ってくるのか」
「どうする?やっぱりやる?」
「やりませんって」
先頭の真賀だけは目で見えるほど、身体に薄蒼を纏っている。
「や、やっぱり魔力を使ってます!」
「‥‥身体の強化。魔力ってほんと便利ですね」
やや嘆息の混じった秋灯の声。
うんざりするように後ろを見据えるが、真賀の速度が頭一つ抜けて早い。
他の黒外套は明音と同じく試練が始まってから魔力に目覚めたらしいので、まだ慣れていないのだろう。
徐々に真賀との距離が縮まっていくが、これ以上速度を出せば道を曲がることができなくなる。
「俺があいつらを引きつけます。その隙に出来るだけ終末再現都市の境界ぎりぎりにいてください。淡路島の手前、明石海峡大橋で落ち合いましょう」
明音に操舵を無理やり押し付け、ベッドの端へ。
「は⁉んなの許すわけ、」
「病人は黙っててください」
眉間に青筋を浮かばせた明音が即座に反論してくるが、言葉を遮り躊躇なくベッドから飛び降りる。
意外と早くて、路面の上を丸まって転がる。
「俺が追い付かなかったら先に四国に入っていてください!」
起き上がり服についた汚れを払いながら、後ろに向かっておざなりに叫ぶ。
巨獣に壊されていないルートは残してきた地図に記入してあるし、今回のような場合の対処法は事前に伊扇と相談しきっている。
「ざっけんじゃないわよっ!!」
ベッドの上で明音が怒号を交えて飛び降りようとしているが、それを伊扇が必死に止めている。
暴れる猛獣を押し付けて悪いなと思いつつ、今の明音は伊扇に抑えられるくらい貧弱だ。
とりあえず、今はそれよりも。
「他の者は風を使った少女を追え!絶対に逃がすな!我らが四国へ辿り着くためには絶対に必須だ!!」
目の前まで辿り着いた真賀が、他の黒服に檄を飛ばす。
なぜか伊扇を狙っているような口ぶり。
数人が道の脇に逸れて、ベッドを追いかけていく。
残ったのは真賀と取り巻きの黒外套で計五人。
「さてようやく観念したかな。さっきの異様に速いベッドといい、これは是非とも仲間になってもらわなければ」
「なんでそんなに俺達に拘るんです?他にも
「無論君たち以外も勧誘しているよ。たださっきの彼女と君は何が何でも欲しい」
芝居じみた大仰な身振りで髪を掻き上げる真賀。
その姿があまりに胡散臭くて、さっきはこれの仲間になってもいいかもと思っていたのだから魔術は怖い。
「俺なんてごくごく普通の魔力も使えない一般人ですが」
「時間解凍のおそらく別の使用法。規定に縛られた試練で乗り物の徴用。魔術以外の技術だからこそぜひとも欲しいのだよ」
「そんな大層なものじゃないんですけど‥‥」
《時間解凍》の拡張は、コンビニアイスが食べたかったら偶然出来ただけだ。
そもそも次の課題によって全く使わないかもしれない。
「それにだ、君‥‥‥‥‥‥‥‥魔術が使えるだろ」
「いや何言って‥‥‥‥?」
「君の眼と顔立ち。ずっと覚えがあったが、これだけ言葉を交わして確信を得たよ」
あまりに不意な一言で特に反応できない秋灯。
真賀は一瞬瞑目し、更に言葉を続ける。
「《禄積ノ國》。人の身に余る奇跡の回収と保管を生業にする、術師界に君臨する大家以上の不文律。君は彼の國の関係者では?」
「‥‥‥‥‥‥」
「たった一度だけ、私は彼の國の人物と会ったことがある。まるでこちらを襤褸を纏う乞食のような、羽虫でも見るかの如く冷めた眼を向けてきた。彼の國の術師が外の術師を嫌っていることは知っていたが、神に成りえるこの私を‥‥」
想い出してかギリギリと奥歯を噛み、視線の先に別の誰かを見ているのか忌々し気な目を向けてくる。
何がそれほど悔しかったのか、秋灯にはさっぱり分からない。
「術師の才覚は血統によって実力が決まる。貯蔵できる魔力量も術式構築の精度も生まれた瞬間に上限が決まる。どれだけ修練を積もうとも、どの大家も原典に近しい術式を秘蔵し公表しようとしない。九装も陸襖も勾久慈も花簪児も帯姫も伊扇も傘祭も。國に引き籠る《禄積》の連中も、因習と因縁に囚われる血統主義者どもが」
「‥‥‥‥‥‥九装?陸襖?だれ?」
「腐敗しきった術師界を制裁し、酷く遍く平等な世界に作り替える。そこに君臨するのは神たる私だけでいい」
憎々し気に言葉を吐き捨てる真賀を、どこか他人事のように見つめる秋灯。
内心の感情は困惑が半分、「大人がキレる姿って怖いなー」が半分。
本当に魔術師界、それも大家の事情などさっぱり分からないが。
とりあえず真賀の願いの源泉が、上流の術師に対する劣等感だということだけは分かった。
「君のその眼。九装の餓鬼と同じ、こちらを見下げ憐れむ様な目。それが私は気に食わない」
「さっきから意味が分からないんですが‥‥」
「いいんだ。これは私の自己満足だ。だが、神たる私を見下すことなどあってはならない」
どこぞの誰かに受けた侮蔑を隠そうともせずぶつけてくる。
あまりに理不尽すぎて秋灯の頬が下がる。
「君を嬲れば少しは私の傷も和らぐだろう。あの少女らも含めて全員我の従僕にしてやろう」
その言葉で、当事者意識の薄かった秋灯が初めて反応を示す。
普段より瞼を持ち上げ濃い黒目が浮き、明音に見せたことのない能面のようなそんな顔。
「そう、それだ。まるで道端に落ちる塵でも見るような眼。私は君を蹂躙し屈服させ、君が欲しいのだ」
「はあ‥‥‥‥‥もう黙れ」
後ろ頭を掻きつつ、うんざりするように言う。
腰に忍ばせていた拳銃の銃把を右手で握り、人差し指を引き金に掛ける。
左手には厚みのある短冊のような紙札を数枚指の間に挟み込む。
「ほんと今日は厄日だな。こんな妄想癖で頭の可笑しい
嘆息も混じり掌をヒラヒラと、どこかおどける秋灯。
「聞いておきたいんですが、
「無論試している。悪意でなく、自身の願いでもって動けば特に罰もなかったよ。あれはずいぶんと拘束力のない規定だ」
「そうですか。それが聞けて安心しました」
首を捻りその場で軽く屈伸。肘を伸ばし銃口を真っすぐ構え、戦闘態勢を整える。
同じく真賀も体表の薄蒼がより色濃く変わっていく。
後ろでずっと空気だった黒外套も、ようやくかと言う様に身体を震わせる。
秋灯の一瞬の瞑目、そして。
「ばーーーーーーーーーーか。戦うわけねえだろぉっっ!!!!!」
全力で隣のビルに駆け込む。
きょとんとした真賀が一瞬遅れて背中に怒声を浴びせてくるが、とりあえず必死に逃げた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
横倒しになったビルが幾重にも敷き詰められ、人が入るのも躊躇われる壊れた都市。
足元にはコンクリート片と窓ガラスと建物だった何かの残骸と。
抜き身の鉄骨と折られた太い柱の根元がまだ残る。
【巨獣ノ世界】で最も崩壊が顕著な都市中心部。
普段なら即座に回れ右して迂回するだろうその廃墟を、秋灯は息を切らして進む。
窓が割れて刃物のように尖った断面を持つガラス片の先に、ギリギリ身体を捻って入れる。
九十度回転しているオフィスビルの中、視線を直上に固定したまま散乱したデスクを飛び越える。
路ともいえないその路を、足元も確認せずにまるで知っているかのように進む。
後ろの黒外套は秋灯が選ぶ悪路に速度を出せず、魔力で強化した身体を活かしきれていない。
「はぁはぁ‥‥‥‥‥鼻から脳味噌出そう」
常時索敵全開。後ろの真賀と、周囲を囲む廃墟構造。
自分の認識を広げたままにしているが、頭が熱を帯びてきた。
足元に散乱する硝子片。辛うじて足場にできそうな一部平らになった破片で一歩。
その先のひっくり返ったオフィスチェアの背もたれで二歩。
更に先のデスクの上で液晶がひび割れ横になったディスプレイで三歩。
本来足の踏み場もないはずの廃墟の中を、跳ねるように進んでいく。
進路の先、ドアが瓦礫によって塞がっているが、人一人ギリギリ通れる僅かな隙間に身体を差し込む。
周りの残骸の破片が額と腕の皮膚を引っ掻き、赤い線を残すが今は構っていられない。
後ろの真賀の苛つきを孕む怒号が耳に届く。
もしこの都市の時間が動いてたら、諸々巻き込んで突っ込んできそうなそんな勢い。
背中には真賀が出した紙の蜂が追随してきて振り払えないが、それならより通りづらい路を選ぶ。
さっきは構えるそぶりを見せていた拳銃は既にホルスターに仕舞い、もとより人に向けて撃つ度胸なんてない。
それに万が一真賀を殺してしまったら、その十字架なんて背負いたくない。
真賀とのさっきの会話で色々と意味深なことを言われた気がするが、今は逃げる一択。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ‥‥」
荒い呼吸音を響かせ【巨獣ノ世界】をひたすら逃げる。
東京【機工ノ世界】からずっと、事あるごとに全力疾走で逃げている気がする。
秋灯は明音のように魔力を纏うことも、伊扇のように風を生み出すこともできない。
戦闘があればただ無様に必死に逃げるしかない。
そろそろちゃんと、一人でも戦えるようになりたい。
秋灯は心の底からそう願う。
瓦礫の隙間を抜けた先、視界が開ける。
元は駅前のロータリーだったのか、ぽっかり空いているような広場。
人が作った建築物――レンガ造りの駅舎や神社のような二つ折りの屋根、植えられていた大きな樹木――が丹念に押しつぶされ、地面には巨獣と思しき巨大な足形がアスファルトの上に刻まれている。
首をもたげた視線の先、まだ若干の形を残すビルの横。
爬虫類のような角鱗に覆われた黒褐色の肌と背中には刺々しい甲羅。
ビルより若干低いくらいの背丈、それでも五十メートルくらいはある。
陸ガメに似た顔を持つ巨獣が、ビルに寄りかかる姿勢で止まっている。
秋灯は後ろを一瞥した後、小走りで巨獣の太い両脚に近づく。
至近距離で見ると給水塔のようで、これが生き物の脚だとは思えない。
その横を通り過ぎ、駅前のロータリーから真っ直ぐ伸びる幅の広い道路の上を走る。
その間、目線はずっとの巨獣の体躯に固定されていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「‥‥‥‥ここでいいか」
足を止め巨獣と広場の先に向き直る。
両脇の建物群は瓦礫の山と化しているが、路面の上にはそれほど散乱していない。
「はぁはぁ、意外と早いじゃないか」
後ろには追い付いてきた真賀の声。息が切れて、怒気が混じっている。
他の黒外套は更にその奥、まだ走っている最中。
「そちらは魔力を纏ってるくせに遅いですね」
真賀をほとんど視界に入れず、おざなりに答える。
「全く餓鬼の癖に手こずらせてくれる。魔術も使わず魔力も纏わず‥‥君は私を嘗めているのかな?」
「いや、元から使えませんから」
「使えない?ははっ!非魔術師の雑種共さえ魔力に目覚めているのに、國の血統の君が使えないはずが」
「使えませんよ。そういう体質なんです」
勿体つけず、特に隠しもせず言い放つ。
その口ぶりはかつて魔術に関わる機会があったとでもいうように。
「魔術の構築ができず、魔力量もごくごく微量。あんまりに才能が無かったので國を追い出されました」
明音にも伊扇にも、誰にも明かすつもりのない自分の過去。
それは真賀も同じだが、もう話してしまっても問題ない。
「はは‥‥‥‥‥‥そんなわけが。だって君は、」
「ふぅ、やっと終わった」
何か言いかけるが、それを遮るように秋灯が一つ零す。
ようやく目の前の真賀に焦点を合わせ、この一カ月慣れ親しんだ言葉を紡ぐ。
「座標軸固定、完了。認識拡張、完了。立体展開、完了」
「何をしている?」
「記憶開始‥‥‥‥完了」
不可解そうな真賀の顔に口角を吊り上げて応える。
「これであなたも追われる側だ」
「まさか、お前っっ!」
「
真賀の制止、それより先に。
秋灯が視ていた景色の先から光の格子が空へ弾ける。硝子片が雪のように舞い降りる幻想的な光景。
その中で、人の世を終わらせた終末の獣が時間の檻から解放される。
「グッォォォォォオオオオオォオオオオォオオオオオオオッ!!!!!!!!!!!!」
止まった世界に巨獣の咆哮が登る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「はははっははっはあはははははっっ!!」
タガが外れたように笑い声を上げながら、地面を全力疾走する秋灯。
勿論進路は巨獣とは反対方向。背にはビルと同じ背丈の陸ガメのような巨大な獸。
停止させられていたことに対する怒りを示す様に咆哮を上げ、そして一歩。
瓦礫が積もるビルの残骸にその太い足を下ろす。
「貴様っ!!ばかがががあぁぁぁぁぁああぁぁあああ!!!」
大地が揺れる凄まじい轟音。
出遅れた真賀が地面に手をつき非難の叫び声をあげる。
ただ、そこは魔術師か、体表に淡い蒼を纏い即座に起き上がってくる。
秋灯は全力で走りつつ再度reデバイスを起動。
開けたはずの距離を一気に詰めてくる真賀を一瞬だけ見やり、再度別のプロセスを実行する。
「調律相認識‥‥完了。記憶開始‥‥完了」
「待て待て待て待てっ!!また何をっ!!!」
「
止まった世界で人に生存を許す神様チート、停止したはずの物に外力を再現している《生存調律相》を解除する。
真賀の足元の路面と加えて巨獣が踏む大地が光を飲み込むほど黒く変色していく。
まるでスケートリンクのように摩擦が働くなった地面に真賀が頭から転び、そしてその後ろの巨獣も同じ。
一歩。つるりと滑り姿勢を崩し、数百トンはある体躯がゆっくり地面に頽れていく。
「まてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまてまて!!!!!!!!!!!!」
真賀の甲高い悲鳴。
けれど自分も巻き込まれかねないので構っている余裕はない。
この一カ月の内、最も早い全力ダッシュ。
真賀以外にも黒外套も混じった数人の悲鳴と、推定五十メートルの巨体が倒れる衝撃音。
まるで隕石が墜落したかのような、大気を揺らす凄まじい激震。
細かい瓦礫片が砂ぼこりと混じって背中から吹いてきて、身体を丸めてその衝撃波に耐える。
飛んできた木片が額に当たりこめかみから血が流れる。
勢いよく転がったせいで、身体のいたる所が痛い。
よろけつつ立ち上がり、額を拭って瞼を開く。
霧のように砂ぼこりが立ち込める先、黒々しい硬質感のある皮膚しか残されていない。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
ほんの少しだけ申し訳なさそうな泣きそうな顔になって、けれど頭を思い切り振り。
再度全力で市街を駆ける。
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