㉔真賀騒動

広々としたフローリングの上にどこから持ってきたのかヨガマットを敷きストレッチをしている二人。

開脚の姿勢の明音が足を百八十度に広げ胸元をぴたりと床につけ、隣の伊扇も同じ姿勢だが腕をピンと伸ばすだけ。

プルプル小刻みに震えたあと、長い息を吐いてどこかやり切ったような顔をする。


「ふーん、そんなことがあったのね」

「こ、怖いですぅ」


申し訳なさそうな秋灯が一連の出来事を話すが、明音が身体を起こす。

目を細めてにやつき顔で言う。


「あんたも大概ね!前は不用意に動くなって言ってたのに。これで私の事言えないわよ」

「‥‥すみません」


【機工ノ世界】の人型機械にはじまり、これまでは明音が衝動的に動いて秋灯がそれを止めるという構図だったが。

今は全く言い返せない。


「真賀ってアレでしょ。東京を出る時に橋の上にいた」

「魔術と食事で勧誘してきた人ですね。やってる手口は変わってませんでした」

「ふーん。アレがそんなに人を増やしてたなんて、入るヤツの気が知れないわね」


右頬だけを上げて、イーという顔をする。


「えとえと、会ったことがあるんですか?」

「試練の宣誓があった次の日に、川崎方面に続く橋の上にいて新世紀なんとかってグループに勧誘されまして。本人は魔術が使えると言っていましたが」


確か炎を掌から出していたが、魔術か手品か定かではない。


「真賀、真賀。‥‥‥聞いたことがあるような無いような」

「魔術師で真賀って人がいるんですか?」

「うーん、有名な大家ではないですけど。どこかで聞いた気が。‥‥‥‥‥すみません、思い出せないです」


しゅんとする伊扇。

彼女の暴風を体験した後だと、真賀がやっていたことはちゃちく見える。


「でも、なんでまだこの場所にいるのかしら?もう四国はすぐそこよね」

「まだ二四時間経ってないんじゃないですか?」

「そうかもだけど、期限ギリギリでしょ。そんなに大所帯なら移動も大変そうだし、もっと鳴門市の方へ進んでおきたいものじゃない?」


明音が首を捻り疑問を口にする。

確かにそうだが、久しぶりに冴えたことを言う。


「‥‥一応何かあったときに逃げる準備だけしておいてください。先輩は特に病み上がりですし」

「もう元気よ」

「まだ顔が白いです」


明音に苦言を示しつつ台所の方へ。

一抹の不安を残しつつ、とりあえず夕食の準備をする。


試練の行動規定の微妙なニュアンス。

ずっと試練者プレイヤーは避けてきたが、ここにきて敵が終末の何かではなく、人の可能性がある。

小人数ならともかくあれだけの数。


秋灯は明音には見えないよう、自分の腰回りとポケットの中身を探る。

革製のホルスターに嵌めた黒い鋼と、折りたたまれた白い紙束の感触を指先で確かめた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


東の空が薄く白み、僅かに橙色の太陽が顔を覗かせる早朝。

革靴で路面をコツコツと叩き、服の衣擦れと細い呼吸の音。

静寂な世界に響く人の雑音が家の外から聞こえてくる。


「すまない、誰かいないだろうか」


声量を落としつつも、張りのある声。

玄関の戸口を軽く叩き、再度声を掛ける。


明らかに家の中に人が居ることを確信している動き。

秋灯は掛けていた布団をゆっくり持ち上げ、同じく起きていた明音と目配せする。

神戸市に再現された【巨獣ノ世界】への警戒と加えて真賀の件もあったので、全員でリビングに雑魚寝をしていたが、案の定早朝から厄介なことになった。


「‥‥‥試練者プレイヤーよね。どうするの?」

「とりあえず俺が出ます。多分昨日の真賀って人だと思うので」

「危なくない?逃げちゃった方がいいんじゃない」

「いえ、まだ神戸市に滞在しなきゃいけないので。ただ何かあったときに逃げる準備だけしておいてください。あと伊扇さん起こして」


声を極力落とし、明音と言葉を交わす。

まだ布団の中で深い寝息を立てている伊扇を一瞥し、ゆっくり玄関へ向かう。


用心のため腰のホルスターに収めた小型の拳銃に上着越しに手を触れる。

道中の警察署で解凍していた日本の警察に採用されているニューナンブM60。

五連装のリボルバー型で、ほとんど手に納まるほど小さい。

その他、解凍していた猟銃やらクレー射撃用の散弾銃も携帯したかったが、流石に銃身を隠せないため置いておく。


未だ玄関の外からどこか白々しさを孕む声が耳に届く。

何もこんな朝から来るなよと思うが、そもそもどうやってこの家を見つけたのか。


玄関の鍵は開けず、ドア越しから声を掛ける。


「‥‥なんでしょうか?」

「こんな早くにすまない。私は真賀トシアキ、昨日少年を勧誘させてもらった者だ」


ステージ上で演説していた声より今は多少柔らかくなって。

曇りガラスの先の真賀が、深々とお辞儀をしているのが分かった。


「勧誘はお断りしたはずですが?」

「どうしても君らが気になってしまってね。再三勧誘して申し訳なく思っているのだが、腹を割って話したいんだ。どうか時間を貰えないだろうか」

「‥‥‥‥‥‥‥」


秋灯は玄関前とその先に認識を拡げる。

戸口にいるのは真賀と思しき男性一人。

少し遠くに他の家屋に隠れるようにこちらを伺う十二人の、おそらく信者がいる。


「こちらから危害を加えることは無い。それに規定には試練者プレイヤー同士仲良く試練に挑むようにと記載されている。神々が定めた規定を破る度胸は私にはないよ。それに不安であれば私の手足を縛ってくれてもいい」


そこまで言うのか。

あまりな真賀の譲歩に多少面食らう。


このまま断り続けても、頑なに玄関前に居そうな気がする。

勝手口から出て逃げることも出来るが、昨日は追手を警戒していたにも関わらずこの場所を特定された。

何らかの手段で、他の人間を尾行ないし探知する技術を持っていると考えられる。


一、二分に及んだ秋灯の逡巡。結論として早朝からの追いかけっこは嫌だ。


「‥‥‥‥分かりました。起きたばかりなので、少し待ってもらっていいですか?」

「ああ、全然構わないよ」


喜色を含んだ素直な声が返ってくる。

何故だろう。今の真賀からは昨日のような気味悪さを感じない。


玄関からリビングへ戻るが、まだ寝ぼけている伊扇の頬を明音が延ばしこねていた。

簡単に事情を話しつつ、隣の部屋から出てこないよう伝える。

明音は不満げな顔だが、一応了承した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「すみません。お待たせしました」

「いやいやこちらこそ。こうやって家に上げてくれるとは思わなかったよ」


木目の綺麗なリビングテーブルで対面に座り、用意したコーヒーを出す。


「昨日は驚かせてしまってすまなかったね。突然声を掛けてしまって、びっくりしただろう」

「いえ、それよりも急に家に来たことに驚きました」

「それも重ねてすまない。少年達がちゃんとご飯を食べられているか気になってしまって」


真賀が前に置いたコーヒーを躊躇なく飲む。

そっちのマグカップには舌先では分からないぐらいに睡眠薬を盛っている。

効き目が出るかどうかは分からないが念のため。


「でもそれも杞憂だったがね。この家は庭の方も含めて全て解凍されているね。普通の解凍範囲では足りないし、一日三回しかない使用回数を全て使っているとも思えない。参考までに方法を聞いてもいいかな?」


フローリングの床とリビングのドア。

当たり前のように引いて座った椅子と開けたキッチン棚。

流石に家全体に施した《時間解凍》についてバレているみたいだ。


秋灯はコーヒーを一口啜り、正面の真賀を油断なく見つめる。


「教えてもいいですが、その前に。昨日俺は走って逃げたはずです。後ろを確認しましたが、特に尾行もされていなかった。終末再現都市は範囲が限定されているとはいえ広いし、あの場所から距離もある。それなのにどうやってこの場所を見つけたんですか?」

「ふむ、そうだね。できれば新世紀解放軍に入るという確約を貰えれば、私の保有する知識は伝えられるが、」

「それは興味ないです」

「そうかい。まあ今はそれでいいだろう。‥‥‥どうやってここを見つけたか。それはこれさ」


真賀の掌に淡い光を伴う見た目球体の魔方陣が灯る。

同時にそこから、握りこぶしくらいの紙でできた蜂が浮かび上がる。


「これは‥‥‥‥?」

「魔術の一つで式神系統の術式さ。昨日はこれに後を尾けさせた」


二対の翅を細かく振動させ、本物の蜂より可愛らしい顔で。

折り紙で作った蜂がまるで生きているかのように空中を飛ぶ。


秋灯は見えていなくても地形の把握ができるが、小さい物。

それも空中を飛んで動いている物は補足しづらい。


「本当に魔術師だったんですね‥‥」


伊扇が雑に生み出す風とも違う、精緻な術式とそこに魔力を通すことで奇跡のような結果を得る。

紛うことなき物理から外れた魔術の産物。


「私は魔術師であるが、ただの末席。分家のそれも落ちこぼれの部類だ。今の止まった世界でも魔術師、それも大家本家の化け物が参加している。私が新世紀解放軍などと、世迷いごとのような組織をつくったのは、徒党を組まねば彼らに対抗できないと考えたからだ」


伊扇からそれとなく聞いた、現代の魔術師界を仕切る大家と言われる術師たち。

排他的な血統主義者が多く、前時代的な閥族的社会構造をそのまま保持しているらしいが。

魔術師界の事情も常識も知らない秋灯にその単語を当たり前のように口にする真賀。


腹を割って話すと言っていたが、確かにそうらしい。

真賀の今の表情は、大家に対する忌避感のような感情が見て取れる。


「どうして君の後を尾けたのか。それは、年若い子供らが飢えていないか心配だったのと、単純に興味があったからだ。ここまで辿り着くのは大の大人でも過酷だ。通過してきた終末再現都市はどこも厳しい環境で、道中も世界が止まっているせいで物資の不足に嘆いてきた。時間解凍の範囲も回数もあまりに足りない。そのはずが、昨日見た君の顔には悲壮感も疲労感も見えなかった。だからこそ気になった」


滔々と語る真賀は、この一カ月を思い出しているのか苦虫を噛むような険しい顔をしている。

《終末再現都市》はともかく、物資に関しては不自由を感じていない秋灯は少し気まずそうに鼻先を掻く。


「私が組織した新世紀解放軍でも十六人がリタイアした。終末再現都市もそうだが、何よりも食事と寝床。これが一番手酷かった。一日たったの三回では最低限生きていけるだけで、他に気を回す余裕がない。慣れない長距離の徒歩移動によって足を壊し、日々の節制が課される生活で心身が休まらず体調を崩す者も多かった。なんとか仲間たちをこの場所まで辿り着かせたが、それでも本当にギリギリだった」

「それはまあ、大変でしたね‥‥」


哀愁漂う真賀の言葉に、つい慰めの言葉を掛ける。

今の世界で団体行動をするとそれだけ気苦労が多いのだろう。


「どうやっているか定かではないが、君は解凍の回数を増やせるか、もしくは範囲を拡げられるのだろう。橋の上で君と初めて会った時、もっと必死に勧誘しておけばよかったよ」

「ええと。解凍はそれほど難しくないんですが‥‥」


五十数名の試練者プレイヤーを抱えていながら、範囲の拡張が出来る人間がいないらしい。


「いやすまない。こちらの事情を君に吐き出すべきではないのだが、」

「いえ、まあ。‥‥‥コーヒーのお替りいります?」

「うん、もらおうかな」


真賀のあまりの曝け出し具合に、必要以上に警戒していた自分がなんだか馬鹿みたいで。

秋灯は小さく嘆息し、キッチンに向かう。

一応追加の睡眠薬は用意していたが、今度はいらないか。

再度マグカップを真賀の前に差し出す。


「ありがとう。私はこの試練を乗り越えて行くために、誠実な願いを持つ試練者プレイヤーを集めている。我らの仲間の内で誰かが神になりさえすれば、きっと世界は良くなる。そんな願いを持つ者のための集団だ」

「あれだけの人数。他の試練者プレイヤーをよく集められましたね」

「やり方は皆同じさ。こうやって腹を割って真摯に話す。そうやって一人ずつ集めてきたのさ」


皆違いはあるものの世界を変えたいという分不相応な願いを持っている。

そんな癖の強い試練者プレイヤー達を五十人規模でまとめているのは、相当だと感じる。


「少年の名前を聞いてもいいかな」

「鐘ヶ江秋灯といいます」

「秋灯君。再三勧誘して申し訳ないが、これで最後にしようと思う。私がつくった新世紀解放軍に入ってもらえないだろうか。君のような若さと才気に溢れる人にこそ入ってほしいんだ」


自分より一回りくらい上の大人が愚直に頭を下げてくる。

最初こそ全く入る気は無かったが、これだけ誠実に勧誘されたら。

秋灯は鼻先を掻き、少し悩む。


「‥‥‥‥‥すみません、俺は、」

「臭っさいのよぉっ!!!!!!」


秋灯が言葉を返そうとした瞬間、隣の部屋から明音が出てくる。

ドアを蹴破り真っすぐ真賀の前に。その顔面を躊躇なく殴りつけた。


椅子が倒れる喧しい音と共に、リビングの先に真賀が吹っ飛ぶ。


「先輩っ⁉ちょちょちょ、なにしてっ!!」

「あんたほんとに分かんないのっ!さっきからこいつ臭っさいし、あんたのことをキモい目で見てんのよっ!」


髪が逆立ち嘗て見たことが無いほど怒髪天をついている明音。

臭いというが、確かにさっきから妙に鼻先が痒くて甘い匂いが。


秋灯は再度鼻をこすり、無意識に掻きすぎていて頂点がひりひりする。


「いやでも、俺は」

「いいから正気に戻りなさいよ!」

「ぷべらっっ⁉」


明音の高速平手打ちが秋灯の頬を打つ。

最初何故かあんまり痛くなくて、けれど徐々に痛みが増していき。

というか痛すぎ。


「‥‥‥‥なるほど、意識を惑わす魔術とかですかね」


頬が二倍に膨れた秋灯がようやく正気を取り戻す。

さっきまで暈けていた感覚が、今ははっきり感じ取れる。

自分でもなぜ真賀の言葉に心が揺れていたかさっぱり分からない。


床の先で倒れていた真賀がむくりと起き上がる。


「まさか、こんな暴力的な試練者プレイヤーがいるとは。これだけ密閉している場所でよく正気を、」

「よくも私の後輩を誑かしてくれたわね。万死に値するわ」


真賀の口上も聞かず、両腕を構える明音。

体表から薄赤の魔力が漏れ出しそれを身体に纏うが、病み上がりなのだから止めてほしいと秋灯は思う。

ちなみに伊扇は隣の部屋であわあわしている。


「ふん、非魔術師風情が本物の魔術師たる私をよくも」


先ほどまでの気さくさがなんだったのか、不遜と不満を孕んだ棘のある声。

忌々し気に明音を睨みつけ指をパチンと鳴らす真賀。

同時に外で待機していた黒外套を纏う信者がぞろぞろ入ってくる。


「ひぇっ!!こんなにっ!!」


後ろの伊扇が人の多さにきょどりだす。


「力づくはスマートな勧誘ではないが‥‥抵抗は無意味だ。私の仲間になるか、もしくはここで試練をリタイアするか選びたまえ」


垂れていた前髪をかき上げ、口の端を吊り上げ言い放つ。


「こんな数屁でもないわ」

「彼らは元は非魔術師だが、魔力に目覚め今は魔術を使えるようになった。たかだか魔力を纏うだけのお嬢さんとは違うのだよ」

「ふん。人数が増えた途端強気になるなんて小物ね」


明音と真賀の舌戦を聞きつつ、今の状況にどことなくついていけていない秋灯。

この平穏な日本にいながら、なんで即座に臨戦態勢に入れるのか。

どこの戦闘民族なのだろう。


「秋灯君。君なら分かるだろう。これだけの数を相手にするのは合理的ではない。ぜひとも私の仲間に、」

「あー‥‥うちの先輩が嫌がってるので無理ですね」

「君にも願いがあるだろう。新世紀解放軍であれば試練のクリアなど容易い」

「いえ、ほんと。しつこい宗教勧誘はお断りです」


正気に戻った秋灯だが、まだ鼻の先に強烈な甘い匂いが漂う。

おそらくこの香りが正気を狂わせていた元だが。

淀んだ空気を換気するのに、うちにはちょうどいい人力送風機さんがいる。


「伊扇さん、全力ですっ!」

「え⁉‥‥‥い、いいんですか?」

「早く!」


短く言葉を交わす。

同時に、明音の背中を引っ張り伊扇の足元で床に這いつくばる。

一応伊扇自身が飛ばないよう、彼女の脚も固定する。


「なにをしている?」

「えとえと‥‥‥‥‥‥‥‥‥どりゃあやおあああぁあああっぁあぁぁあぁぁぁああああああ!!!!!」


数瞬の沈黙のあと、伊扇の気の抜けた怒号と共に彼女の内から濃い翠の魔力が解放される。

室内に小型の台風が現れ、彼女を中心に家具やら襖やらドアやら。加えて一部の外壁と屋根を吹き飛ばす。

【星骸ノ世界】で一度体験した彼女の全力魔力放出。

嘗ては胸を揉みしだくという奇行に走るしかなかったが、鍛錬を積んだ今の彼女なら意図して使える。


解凍されている家諸共、翠の大気の渦が真賀の一団を飲み込む空へ誘う。

空中錐揉み飛行が受け身さえ取らせてくれないのは、実証済み。


「流石です伊扇さん」

「はぁはぁ‥‥‥あ、ありがとうございます」


へなへなと床に倒れる伊扇に肩を貸し、足の踏み場所のない倒壊しかけている家の中を進む。


「ほら、先輩も逃げますよ」

「‥‥ええ」


動かず唖然としている明音に声を掛けるが、臨戦態勢に入っていたからか不満げに応えた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

部屋の奥で見守っていた二人。


明音「なんでへこへこしてるのよあいつ!」

伊扇「‥‥‥変な匂いがしますぅ」


明音「あんなにやにやしてて気持ち悪いのにっ」

伊扇「秋灯さんなんで気づかないんでしょう?」


明音「臭いキモい生理的に無理」

伊扇「うーん、やっぱりどこかで見たような?」


明音「限界だわ……」

伊扇「明音さんっ⁉」


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