㉓兵庫県神戸市

「速いなー」


手元で広げた地図を確認しつつ、感慨深く零す。

辺りには現代の街より多少角が丸くなった家々。白雪のように層状につくられた外壁と嵌め込まれるように置かれているドアや窓。最近目新しさも消えてきたおそらく3Dプリンターの家屋。

ただ【微睡ノ世界】にあったものほど無機質ではなく、どれも違いがはっきり分かる。


「伊扇さん。お疲れさまでした」

「は、はいぃ‥‥‥‥‥‥」


括られるのがしんどかったのか、視界が遮られているのが怖かったのか。

道路上に四つん這いになって地面を称えている伊扇。

そういえば最初に会った時も畳に頬ずりしていたが、魔術師特有の歓喜の示し方だったりするのだろうか。


現在は武庫川を渡り、兵庫県神戸市の東端に位置する東灘区に入った。

京都市を出て僅か三時間強、名神高速道路を直進し凡そ七十キロの距離を走破した。


やはり道路滑走用摩擦零ベッドを使うと驚くほど速い。

スクーター並みの速度で道路を滑り、左右に曲がるのに神経を――主に両手の握力を――使ったり、風力の伝わり方や操縦桿周り等、突貫工事をした器具ついて改善点は多いが、それでも歩くよりもずっと楽だ。

次の試練でも止まった世界が舞台なら重宝するかもしれない。


一旦、郊外の小さめの平屋を解凍し明音と伊扇を休ませる。

まだ頬が青白い病み上がりの明音は寝ていろと言っても忙しく動き、今はちょっと気持ち悪そうな顔をしている。

伊扇に至っては白目を剥いていて体力と精神が限界だ。魔力に関してはまだまだ余裕みたいだが。


「とりあえず俺は周りを見てきます」

「ええ。気を付けるのよ」

「先輩こそしっかり安静にしていてください」


ソファで横になる明音と、床に五体投地して手だけヒラヒラ上げている伊扇。

それに言い残し玄関を出る。

既にreデバイスのカウントは始まり、神戸市に再現された終末の世界。【巨獣ノ世界】にいる。

ただこれまで通ってきた《終末再現都市》。【汚穢】や【星骸】の世界と比べれば、それほど街並みに変化はない。


秋灯はまっすぐ伸びる幅の広い道路を進み一旦大阪湾の方へ。

港側のコンビナート地帯を抜け、波返しが付いたのっぺりした防波堤の上を一人歩く。

僅かに見える西側、神戸市中央区の景色を視界に収め。


「‥‥‥‥‥‥‥やっぱりか」


どこか諦めが混じった嘆息を吐く。

視界の奥には高層ビル群が頽れた廃墟の街。

その壊れ具合は東京に再現された【機工ノ世界】を超える。


【機工ノ世界】は戦争跡地のように、砲撃や銃弾の痕跡があったが。

こちらはまるで何かに薙ぎ倒されたかのようで、ビルとビルが折り重なり崩壊具合が著しい。


「あっちに行くたくないなー」


顔を引きつらせ、しゃがみ込む。

四国鳴門市に辿り着くには、神戸市の奥。

垂水区から淡路島に続く明石海峡大橋を渡らなければいけないが。

あの壊れた街を通過したくない。


加えて、視界の中。崩れたジェンガのように瓦礫が散乱するビル群の周り。

高層ビルと同じくらい背丈を持つ何か。


「‥‥ガメラみたい」


背中に刺々しい甲羅を背負い、二足歩行で崩れたビルに寄りかかる。

見た目、陸ガメに似た何か。シネマや特撮に出てくる怪獣のような、まさしく《巨獣》が鎮座している。


全く身動きをしないことから、おそらく時間は止まっている。

それでも巨大な怪獣が今にも動き出しそうな様は背筋に冷たい汗が伝う。


目を凝らして見つめるが、それがちらほら。

高層ビルに並ぶ背丈のものから、他にも家屋と同じくらいか。

一番小さくて十トントラック並みの大きさ。確認できるだけで十体はいる。

もうなんだかげんなりする光景で、やっぱVRの世界に逃げ込んだ方が良かったのではとさえ思る。


まるで大怪獣バトルの世界観。

百年後の世界はこんな怪物が蔓延る可能性があるのか。


明音が倒れている間、京都に隣接する他の《終末再現都市》。大阪府の【逆態ノ世界】についても観察してきた。

重力が反転し空に向かって墜ちそうになるあの世界。歩くのも微かに残る都市の残骸に掴まるしかなく、今の明音は長時間滞在できないと判断して神戸市に来てしまったが。

この判断で良かったのかどうか。


そのまま堤防の縁を歩き続け、段々と巨獣と壊れた街が鮮明になってきて。

不意に一つ思う。


あれを解凍したらどうなるのだろう。


今までの《終末再現都市》では生き物らしい生き物はいなかった。

そもそも普通に時間停止している現代都市でも、生き物は見かけない。


もしあの巨獣を解凍して動き出したら。

胸中に湧いた疑問。《時間解凍》の拡張ができる試練者プレイヤーはおそらくほとんどいない。

他の試練者プレイヤーを妨害する意味でも、この【巨獣ノ世界】に滞在しきったら。


いつの間にか怪しく上がる口角。

誰も見てないにも関わらず秋灯は、それを手で隠した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


街中を哨戒という体の好奇心で歩くが、中央区に近づくにつれて建物の倒壊具合が顕著になる。

推定二十階建てのビルが傾き、隣接する同じく背の高いビルにもたれかかり、そのビルもまた向かいのビルに寄りかかっている。まるでドミノ倒し。地震でも戦争でもない、もっと外力が直接、そして雑に加えられたような倒れ方。


「やっぱ亀だよな‥‥」


秋灯が頭をもたげ、直上を見据える。

この街を倒壊させた原因であろう巨獣が、倒れるビルを踏みつけ、そして静止している。

口の端から延びる大猪のような鋭い牙。背負う刺々しい甲羅と重そうな体躯を支える太い脚。

黒と灰が混ざった硬質感のある外皮。見た目、陸ガメに近いが、それが二足歩行で直立している。


なんでこの体重で立っているのか首を捻り、巨獣の足元をうろうろする。

しげしげと爪先を触ったり、六角形の鱗のような肌を引っ掻いたり。

止まっているためただ硬いだけだが。


「――ん?‥‥‥‥声?」


秋灯が巨獣に気を取られていると、崩れた街の中から音が響いてくる。

遠くて何を言っているのかは分からないが、おそらく人の声。

《終末再現都市》で動いているのは試練者プレイヤーか、もしくはこの終わった世界に関する何か。

【機工ノ世界】の人型機械や【汚穢ノ世界】の泥人形だ出てきたらたまったのもではない。


秋灯は、明音と伊扇がいる東灘区の方を見つめ逡巡した後、瓦礫が重なる路面を歩いて声の方へ向かう。

段々と言葉の解像度が上がっていくが、その内容に既視感がある。


倒壊を免れたオフィスビル群の中、半円にくり抜かれ低くなった広場と中央だけ一段高くなったステージ。

野外コンサート会場のような見た目で日比谷公園に似た場所があったような。

低い位置に敷設された客席には黒い外套を纏う人間が凡そ五十人弱。

ステージ上でマイクを手に、今もなお薫陶を垂れる人物も同じような外套を纏っている。


動いていることから、全員が試練者プレイヤー

ただ、これだけの人間を目にするのは皇居の宣誓以来だから一カ月ぶり。

列島縦断によってこれまで数人、試練者プレイヤーを見かけることはあったが、伊扇を除いて声を掛けることは無かった。明らかに警戒していたり、なんなら《終末再現都市》のせいで気にする余裕もなかった。


「私達はこの静止した世界で奇跡を手に入れた!魔力とは本来、人に備わった生物としての基本的機能であり、権利でもある。我らは誰もが等しく奇跡を扱うことが出来るのだ。しかしっ!我らが世界に敷かれた禁制は、個々人が持つ個性である奇跡を否定した。魔力に負荷をかけ、魔術を遠ざけ、目に見えない世界を否定したのだっ!なんたる暴挙、なんたる傲慢、これが今代の神であったとは、私は嘆かわしい!」


どこぞの新興宗教の演説会のような光景。

客席の更に後ろ。壊れたビルの鉄筋がむき出しになった柱の陰に隠れつつ、秋灯の頬が盛大に引きつる。


「確かにっ!人の個性を否定した結果、純然たる平等の下、科学による文明は発達したが、それは人由来の無限に等しい魔力というエネルギーを欠いた世界でもある。どこまで行こうとも資本主義の下、資源、燃料、エネルギーが不足し、上流階級のみが資産を保有する歪な世界にしかなり得ない!」


中央で演説している試練者プレイヤー

東京【機工ノ世界】を出る直前、橋を占拠していた一団のリーダーだった気がする。

確か名前は。


「私が設立した新世紀解放軍は、魔術師のみが持つ魔力という奇跡のエネルギーを皆が扱うことが出来る。誰しも平等にそして個性を伸ばし、独自の奇跡を行使することが出来るのだ。私は人の奇跡を否定しない。我らは人の権利を否定しない。我らは人の可能性を信ずるのみである!同士諸君よ、我々こそが願いを叶えるにふさわしい人間である!」

「「「「「真賀!真賀!真賀!真賀!真賀!真賀!真賀!」」」」」


割れんばかりの大歓声。

リーダーらしき人間の名前を客席の黒外套が連呼しているが、真賀という名前だった。

熱狂と絶叫と、今の演説のどこに感動する要素があったのか分からないが、客席の中には涙を流す者さえいる。

異質な光景に全身に鳥肌が立った。


一分ぐらい熱狂が続き、真賀が手で軽く制しシュプレヒコールが納まっていく。

ただ、まだ演説を続けるのか口元にマイクを近づける。


「我らが意思を聞いていただけただろうか。そこにいる君はどう思うかね!!」


突然、ステージ上の真賀の目が一点を見つめ、客席の最後尾にいる秋灯をはっきり捉える。

同時にさっきまで熱狂の渦にいた信者たちが、真賀の視線に追随し秋灯の方へ振り向く。

約五十人の視線が秋灯を捉え、一瞬全力離脱を考えるものの、流石にこの数を敵に回せば勝ち目がない。


秋灯は諦めたように柱の陰から出て、客席の最上段。

高い場所からステージを見下ろす。


「おお、やはり東京で見たいつぞやの少年。どうだい、君も我らと一緒に、」

「いえ、大丈夫です」


玄関先で訪問勧誘を断るように、片手を挙げ軽くお辞儀を返す。

秋灯のぼそぼそ喋る声が、ステージ上まで届いたのか定かではないが、そのジェスチャーで分かったらしい。

マイクを握る真賀がさらに言葉を続ける。


「無論強制はしないが、道中は食べ物に困っただろう。我々は試練者プレイヤーに炊き出しも行っているから、せめて食事だけでも」


真賀が示す先。ステージの端には大きな寸動鍋がずらりと並んでいる。

同時に黒い外套の群れが一個の蟲のように秋灯の退路に回り込む。

皆張り付けたような笑顔をしていて、それがあまりに不気味だ。


「ほんと、大丈夫なんで」


もう一度断りを入れ、黒外套をかき分ける。

ステージから離れ、崩れたビル群を抜けて。

後ろではまだ何か言っているが、追ってきてはいない。


とりあえず全力で壊れた市街を駆けつつ、少し考える。

なんであの距離で見つかったのか。ステージ上の真賀からは、柱の先まで見えていないはずなのに。


やってしまったと長い溜息を零す秋灯は、壊れたビルの窓をぴょんと跳び、家の中を通り抜ける。

市街を大きく迂回して追手に警戒しつつ、明音と伊扇がいる拠点を目指した。

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