㉖明石海峡大橋切断

陸と陸を繋ぐしなる弓のような弧を描く巨大な建造物。まるで巨大な銀の糸が海面を超えて、どこまでも続ているような。精巧に組み上げられる鋼のフレームと光沢のある橋桁の路面が陽光を浴びて輝き、視界を埋め尽くす空の青とのコントラストが芸術的な絵画のようで美しい。海底から延びる二本の主塔は太いケーブルを支え天高く屹立していて、見上げると首が痛くなる。


四十年以上も前にこんなものを建てた当時の建設関係の人はすごいなと明音は感嘆を漏らす。


現在、神戸市垂水区の西南側。瀬戸内海に浮かぶ淡路島と目的地の四国鳴門市まであと少し。

半壊していた市街を摩擦零ベッドで滑走し、追手の黒外套の群れを置き去りに――途中明らかに走る速度が落ちていた――ようやく明石海峡大橋の前まで辿り着いた。


道中ずっと推進力の風を生み出し続けていた伊扇は疲れ切った顔でベッドに身体を預けている。

明音自身もベッドの進行方向を変えるため――秋灯が取り付けたブレーキや操縦桿は効きが悪かった――足で足で踏ん張ったり、ツルハシで無理やり地面を掻いたり、秋灯を追おうとして伊扇に全力で止められたりして身体が少し疲れている。


ただ、今はそれよりも。

真っ直ぐ伸びる橋梁の床板を歩き、その先に視線を移す。


「‥‥‥何よこれ」


数メートル先、橋の床板とそれを支える鉄の鋼材で組まれた補剛桁、両隣に伸びる二本の太いケーブルが切断されている。海面には落下した橋の残骸が僅かに散らばっていて、向こう岸と言う言い方でいいか分からないが、切り取られた五十メートルくらい先で路面が続いている。


断面は鋭利な刃物で斬られたように凹凸が無く余りに綺麗すぎて、凡そ人間業ではないそれに背筋がぞっとする。

まさかこれを同じ試練者プレイヤーがやったとは、あまり考えたくない。


「えとっ‥‥ど、どうして、こんなの?」


終始唖然としていた明音の後ろで、いつの間にか追いついてきた伊扇が同じように驚きの声を上げる。


「‥‥‥そっか、だから真賀とかは神戸にいたままだったのね」


昨日秋灯が悩んでいたが、接触してきた《新世紀解放軍》という一団はなぜかまだ四国に入っていない。

ここに来るまで伊扇を狙っている口ぶりだったが、なるほど。これを伊扇の力で飛び越えたかったのか。

ただ、


「風穂野、これ飛び越えられる?」

「むりむりむりむりむりむり、むりですっ!」

「‥‥そうよね」


高速首振りの強い拒絶。

確かに伊扇の風なら人を空に吹っ飛ばせるが、問題は方向と着地。

なんとなく海面に落ちていく伊扇とそれに巻き込まれた秋灯の姿が脳裏をよぎった。


「他に渡るには‥‥」


明音は視線を真下に向ける。

白波が打つ音と潮の匂いが鼻に掠めるため分かっていたが、海面は忙しなく動いている。

規定によって船やボートの類の乗り物も禁止されているし、流石に摩擦零ベッドで海の上を走ることはできない。


泳ぐにしても距離があるし、見た限り潮の流れも速そう。

せめて身体が万全であれば、秋灯と伊扇を担いで遠泳もできそうだが――多分魔力を纏っていたら余裕な気がする――秋灯が心配してくる通り、身体の節々が火照ったように熱く違和感が残る。

遠泳は最後の手段として、他に手は。


明音と伊扇が寸断された橋の上で悩んでいると、突然。


――グッォォォォォオオオオオォオオオオォオオオオオオオッ!!!!!!


「ひやァッ!!な、なに⁉」

「今のって‥‥」


伊扇が跳び上がり、明音が耳を押さえる。

まるで獣のような野太い咆哮。

止まった世界で聞くにはあまりに大きすぎる生き物の声。

ここからでは見えないが、明らかに神戸市街の方から聞こえてきた。


この場所に再現された終末は【巨獣ノ世界】。

ここに辿り着くまで、市街のあちこちに家屋やビルの背丈と同じくらいの、特撮映画の怪獣に似た獣を見た。

ただ、他の廃墟や道路と同じように全部時間が止まっていたはずで。


「あれを解凍できるのって‥‥‥」


《時間解凍》の範囲拡張。

遠慮と若干の優越が混じった顔で「簡単なんですけどねー」と言っている後輩の顔が思い浮かぶ。

それに少しむかついて、そもそもあんな意味不明な方法、脳みそが何個もないと絶対にできない。


「あいつ、無事じゃなかったらただじゃ済まさないわよ‥‥‥‥‥」


拳を強く握り心配を零す。

とりあえず次会ったら、鳩尾に全力殴りをしようと決めた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


執拗なまでに後ろを追ってくる巨獣。

他にいた試練者プレイヤーに近づき、そちらに気を取られたり。

止まったままの構造物を壊せず脚を取られたりと、距離を稼ぐことはできたが。

それでも通ってきた路を辿るように、ずっと追いかけてくる。


まさか真賀共々摩擦解凍を施して転ばせたことに苛立っているのか。

それとも距離を詰めてくる巨獣に今日最後の解凍を実行し、半壊しかけたビルやら道路面やら広範囲を黒一色に変えて、巨大な陸ガメが大地の上を転げまわる様を見て、「ざまあwww」と笑っていたことに腹を立てているのか。

正直真賀に追いかけられていた方がまだマシだった。


後ろを逐一確認しつつ、乳酸が溜まる太腿を懸命に動かす。

視界のずっと奥、数百メートル先で巨獣の図体が大地を揺らし、その一歩が神戸市街の大気を震わせる。

屹立する巨体とその頭部に備わる巨大な眼球が、ずっと秋灯に焦点を当てている。

まるで機銃にロックオンされているような錯覚を感じ、さっきから冷や汗が止まらない。


明石海峡大橋まで残り五キロ弱。

今なら陸上長距離選手並みの、もしくはそれ以上のタイムが出せる気さえする。


「ああ、もうほんと‥‥‥‥‥しんどいっ!!!」


天に向かって愚痴を叫ぶ。

走って逃げて走って逃げて走って逃げて、全力疾走してばかりで本当に嫌気がさす。


――グッォォオォオオオオオッ!!!!!!


それに呼応してか知らず、巨獣も空に向けて咆哮を上げる。

大気を揺らし身体がびりびりと震え、耳の奥がツーンと痛くなる。


いい加減、諦めてほしい。


明石海峡大橋まで続く高速道路の上。

長いトンネルをくぐり巨獣の視界からは完全に見えなくなったはずだが、それでも尚進路を変えずに追ってくる。

規定の一文に巨獣は人を優先的に襲うと書かれていたが、まさか人の選り好みをするのか。


「‥‥先輩が神になったら、安心安全安定な化け物が出ない世界にしてほしい」


未だ微塵も興味を持てない神の座。

他人任せだが、明音かもしくは伊扇がなってくれれば、世界がこんな終末を辿ることはないかもしれない。


片側三車線、幅の広い高速道路の上。

防音用の透明のガラス壁が扇形に天井を覆い、そしてその先。

ガラス壁の終端で視界が開け、念願の明石海峡大橋の主塔が目に入ってくる。


「‥‥‥‥やっと、見えた」


もう体力が限界で膝に手をついて立ち止まる秋灯。

呼吸を整えるが、心臓の音がうるさくて、足も痙攣しているのかじんわりと痛くて。

そこに二つの人影が近づいてくる。


「秋灯ぃぃいいいいいいい!!!!!!!」

「ぷげらっ!!!」


怒りを孕んだ叫びと共に強烈な拳が鳩尾に入る。

今日一番の衝撃。こいつ元気だ。


「今度あんなことしたら絶対に許さないわっ!!」


僅かに震えが混じった声で、胸倉をブンブン振り回してくる明音。

こいつやっぱり元気だ。


「すみません、もうしません、だから、ちょっと、待って‥‥」


全身の疲れと呼吸ができなくて、もう意識が飛びそうで、後ろから追い付いてきた伊扇が止めに入る。


「あ、明音さん。そのくらいで‥‥‥‥秋灯さんがもう、」

「ちっ、仕方ないわね」


舌打ちを残し、手を離す明音。それでも顔には青筋が立ったままだ。

少し咳き込んだ後、秋灯が軽く身なりを正す。


「‥‥伊扇さん、助かりました」

「い、いえ。でも、無事でよかったです」


伊扇の労いの言葉が今は沁みる。

改めて二人を見やり特に変わらず無事なことを確認して安心するが、それを掻き消す様に耳に轟音が届く。


――グッォォォォォオオオオオォオオオオォオオオオオオオッ!!!!!!


「きゃっ!!!」

「‥‥さっきからうっさいわね!」


伊扇は悲鳴をあげてしゃがみ込み、明音は耳を押さえつつ胡乱な目を後方に向ける。


「今は話してる余裕がないんでした。早く逃げましょう」

「えとえと、これってやっぱり」

「絶賛追いかけられ中です。真賀を撒くために巨獣を解凍しました」


秋灯の言葉に、信じられないものを見るような二人の目。

明音はともかく伊扇にきつい目を向けられるのは少し切ない。


「あんた、終末の世界の物は解凍しないほうがいいってあれだけ言っていたのに」

「真賀が思いのほかしつこくて。これしか方法がなかったんですよ」


二人を急かしつつ明石海峡大橋の方へ。

太いケーブルが繋がれているアンカレイジ――巨大なコンクリートの躯体――近くに、摩擦零ベッドが停まっている。


「あのあの、秋灯さんっ。それなんですけど、橋が‥‥」

「通れないのよ」

「え?」


二人の神妙な顔と言葉に、変な声が出た。


「見た感じだとバッサリ斬られてみるみたいで、完全に寸断されてるわ」

「‥‥それマジ?」

「マジよ」


敬語も抜けて、再度聞く。

明音の言葉を頭で反芻し、眼を閉じて意識を集中。

自分の認識をまだ見えない橋の先に向けるが、確かに橋の路面が切り取られ断絶している。


既に後方には止まった建物に足を取られつつも、トンネルの直上辺りを歩く巨獣の姿が余裕で見える。

《終末再現都市》から出れば追ってくることは無いと思っていたが、そも四国に行く道が無い。

他には岡山の方に瀬戸大橋があった気がするが、試練の期限的に移動がギリギリ。

摩擦零ベッドを使っても辿り着けるかどうか。


「‥‥‥‥‥‥‥‥ヤバくね?」


本音が漏れた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「秋灯さん秋灯さん秋灯さん!ほんとにこれでいいんですか⁉大丈夫ですか?いけますか?怖いです、ほんと怖いです!!」

「オールオッケー、バッチグーです」


伊扇の早口を適当に流しつつ、ベルトと縄とハーネスで彼女の身体をベッドに固定していく。

すでに巨獣は目と鼻の先。その一歩が大地を揺らし振動がありありと伝わってきて、目線を上げても全景を視界に収めきれない。


神戸市街の建物とか、他の試練者プレイヤーを狙えばいいものを。

何故これほど執拗なまでに追ってくるのか。

その行動が生物的にというより、どこか機械的に感じる。


「‥‥角材置いてきたわよ」

「ありがとうございます」


橋の先から戻ってきた明音が一瞬伊扇を見て、すぐに視線を外す。

見てはいけないものを見たみたいなそんな顔をしている。


「秋灯さん、四国に着いたらこのベッド捨ててください。絶対捨ててください。いや絶対捨てます」


うつ伏せの姿勢で頭だけ上げて、珍しく頑なな意思を示す伊扇。

それを黙殺し作業を終える。

明音と自分の身体も簡易的にベルトで固定し、これで準備は完了。


「ねえ、ほんとにこれしかないの?」

「瀬戸大橋まで迂回している余裕はないですし、もし万が一、億が一あの巨獣が神戸市の外まで追ってきたら最悪ですから」

「でも四国に着いても追ってきたら」

「流石に海上は進んでこないでしょう。それに鳴門市まで来ても神様とか天使とかがなんとかしてくれますよ‥‥‥きっと」


目線を明後日の方向に移す。

無責任だが、そもそも神様とかがこんな試練にしたのが悪い。

秋灯が立てた計画、それは摩擦零ベッドを使って橋の寸断箇所を飛び越えるあんまりに安直なもの。


「計算上はこの摩擦零ベッドと伊扇さんの風があれば絶対に飛び越えられます」


摩擦抵抗を省き、放物運動と空気抵抗。飛んだ際のベッドにかかる空力抵抗と三人分の体重。

それらをざっと計算し――正直物理的計算方法があっているか自信はないが――机上の結果では五十メートルは跳べる。


他の方法もざっと考えたが、ベッドよりも面積の広いカーペットなどを《摩擦解凍》して簡易的なボートに仕立てるとか、ロープを飛ばして対岸まで結ぶとか。

時間があれば色々実験できたのだろうが、巨獣が迫る今そんな余裕も時間もない。


「伊扇さん、お願いします!」

「ううぅぅ‥‥‥はいぃっ!!」


くぐもった伊扇の声だが、最後はやけくそ気味に叫ぶ。

彼女の手のひらから爆発的な風が吹き荒れ、固定した身体を伝ってベッドに推進力を与える。

初速は緩やかに、次第に速度を上げていくベッド。

締め付けられる伊扇の身体が心配だが、一応秋灯が着ていたパーカーをクッション材に巻いている。


秋灯、明音はベッドにしがみつきできるだけ姿勢を低く。

体感では車のスピードに近いかそれ以上。時速百キロもあれば、計算上は飛び越えられる。


両脇につけられたブレーキ――先端にブラシがついたツルハシが塩ビ管で固定されている――で進路を調整。

切断箇所直前に置かれた、ジャンプ台に見立てた三角の太い角材を目指す。

左右の青々しい空と海の景色が一気に流れていき。


「そろそろですっ!!!」


身体に圧し掛かる風の壁で、声を張り上げてもほとんど響かない。

目先に置いた斜めの角材にガタンとベッドの前脚が触れる。


「‥‥‥‥‥‥魔術擬き《instant-mine》」


それとほぼ同時に、誰にも聞き取れない声で秋灯が呟く。

ベッド裏に貼り付けた短冊のような紙札。それが起爆し直上に向けて力を加える。

指向性地雷と同程度の威力。けれどその音は兵器と違ってかなり小さい。


そのままベッドが空中に射出され、秋灯と明音の身体が宙に浮く。

まるでスローモーションのような滞空時間。


「おぉぉぉおおお!!!」

「「きゃぁぁぁぁぁあああああああああ!!!」」


全員が叫び声を上げて、目算五十メートル強の大跳躍。

跳んでいた時間はわずか数秒。身体が投げ出されそうになって必死にベッドにしがみつく。


もう一度ガタンと大きな音を立て、ベッドが対岸の路面に触れる。

ベッドフレームが衝撃で歪むがギリギリ壊れていない。


「まだっ!!」


対岸に着いたことで一瞬安心するも、着地した衝撃で進路が大きく左に傾く。

これでは橋の高欄にぶつかり海に落ちる。


秋灯は用意していたベッド下部のパラシュートの紐を引っ張る。

後ろでナイロン生地の傘が大きく開くが、それでもまだ止まらない。


「先輩ブレーキ!」

「引いてるわ!!」


両側のツルハシで路面をガリガリと掻き、明音も反対側でツルハシを握っている。

伝わってくる振動で掌の皮膚が剥け、苦々しい顔になる。

それでも速度を出し過ぎた摩擦の無いベッドは止まらない。


「足りない‥‥」


高欄まで僅か十数メートル。

明音と伊扇に目を向けベッドから蹴り下ろすか、一瞬の逡巡。

それよりも早く、濃い紅を纏った明音の身体が進路直上に跳躍する。


「ふんっ!!りゃぁぁあぁああああああああああ!!!!」


相当な速度を出しているはずのベッドの、その先端フレームを両手で受け止め、ハンマー投げの姿勢で無理やり進路を曲げる。明音の身体を軸に高欄をすれすれで躱す。


路面上に明音を置き去りに尚もベッドは直進し続け、秋灯は急いでブレーキを、伊扇は自力で固定具を外す。

秋灯、伊扇が元の場所まで急いで駆け戻る。


「先輩っ!!!!」

「明音さんっ!!!!」


明音が力尽きたように路面に寝転がり、紅い魔力は全て霧散している。


「先輩!!身体は!意識はっ!!!!」


倒れた明音を抱き上げ身体を揺する。

【微睡ノ世界】にいた時と同じく、顔が真っ青に変わっている。


「‥‥‥‥くふっ。慌ててやんの」


閉じられていた瞼が開かれ、鼻をつついてくる。

秋灯の焦った顔が面白いのか笑いを堪えていた。


「ふぅ、大丈夫よ。魔力を一気に使ったから、ちょっと疲れただけよ」


一呼吸の後、秋灯に支えられながら明音が起き上がる。

言葉とは裏腹に身体は辛そうで、額に汗が浮かんで血色もだいぶ悪い。


あれだけ無理をするなと伝えていたのに。

また症状が再発しそうで、内心で気が気でない。


「その、すみません‥‥‥」

「なに謝ってんのよ。こういう時は一連托生でしょ。それに着けたんだからからいいじゃない」


明音の言葉に、ようやく長大な距離を跳んだことに実感が湧いてくる。

たった数秒の出来事だったのに、どっと疲れた。


「無事でよかったですぅ!」


伊扇が涙声になりながら明音に飛びつく。

先輩の身体は割と瀕死な気がするが、なんとか踏ん張って受け止めていた。

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