㉗鳴門市到着と深夜の暗躍
明石海峡大橋を渡り切り、淡路島の中を進む。
両脇に緑を囲むなだらかな傾斜の山林と、その合間に表れる瀬戸内海の眺望。
空との境目に一線水面の筋が描かれ、青のコントラストが美しい。
鳴門市手前までの大鳴門橋まで道路距離で約五十キロ。
徒歩移動であれば二日は欲しい距離だが、摩擦零ベッドを使えば一日と掛からず走破できる。
途中壊れかけのベッドフレームを補修しつつ、だいたい三時間ほどかけてゆっくり南下していく。
後ろを追ってきていた巨獣は幸いにも神戸市垂水区の境界ギリギリで止まり、不気味にこちらを見下ろしてくるだけで動きを止めた。《終末再現都市》の範囲内を出れないのか、もしくはターゲットにしていた人間が遠くなりすぎたのか。
どちらにせよ、これで安心して四国を目指せる。
緩い下り坂の道を黒ずんだ四本の脚を持つキングサイズのベッドが滑らかに進む。
秋灯は操縦桿の塩ビパイプを握りつつ、後ろで猫のように丸まって寝ている明音に視線を送る。
元々病み上がり、本当であれば動かすのも億劫のはずの身体で魔力を無理に使ってまた体調を悪くさせてしまった。
普段の苛烈さが鳴りを潜め、病人のように青白んだ顔は見ていて申し訳ない。
「‥‥‥‥‥‥魔力か、」
溜息が混ざったように一つ零す。
可視化できるほど濃い魔力。それが明音の身体を傷つけていた原因だが、心底羨ましいと感じる。
それが自分には手に入らないもので、ずっと前に諦めたはずだけれど。
ぼんやり明音の寝顔を見ていると、同じく心配そうに見ていた伊扇と目が合った。
そういえば今日ずっと風を生み出し続けているが、この娘はいつになったら魔力切れを起こすのだろう。
「‥‥‥伊扇さんは身体とか大丈夫ですか?」
「えと、はい。だいじょう‥‥‥‥‥‥お腹がすごく空きました」
疲れの色が見える声で、しみじみ空腹を訴える。
魔力を大量に消費しているため今日はいつも以上に食べそうだが《時間解凍》の回数がもう残っていない。
手持ちの食料はないし、どうしようか。
気怠さを孕む緩んだ空気で会話を続け、道の先に大きな吊り橋が現れる。
明石海峡大橋ほど長い径間ではないが、こちらの大鳴門橋も渦潮の中に然と立つ巨大な構造物だ。
あの橋の先が目的地の鳴門市。この第一試練の目的地。
白糸のようにまっすぐ伸びる路面を進み、対岸の景色が段々と近づいてきて。
東京からここまで約六五〇キロ、長かった旅の終わりを感じつつ、それ以上に今日はさっさと寝たいなと風情も何もない感情が湧く。
主塔をつなぐ二本のケーブルの終端、巨大な台形のコンクリートであるアンカレイジを過ぎたあたりで、腕のreデバイスが喧しい音を立てる。国の式典とか自衛隊のパレードで使われるトランペットのファンファーレの音。
十数秒鳴り続け、明音がベッドの上で「んゔぅ!」と唸り声を上げて寝返りを打った。
音が止みreデバイスの画面が勝手に点灯。そこに文章が映し出される。
――――――――――――――――――――
【第一試練 終末紀行】
あなたは期間内に終末再現都市に規定数滞在のうえ、東京皇居から徳島県鳴門市へ到達されました。
ここに
第二試練が始まる間、わずかな時間ではありますが市内でお寛ぎください。
鳴門市内について:
市内全域の時間は解凍されております。
リゾート施設が数店舗運営されておりますので、下記添付しております地図をご確認いただきご利用ください。
利用に際して、全て無償で提供させていただいております。
注意事項:
第一試練の期間中は鳴門市内、市外のどこにいても自由となっておりますが、試練期間外に市外におられますと試練は未達成となります。乗り物についても市内であれば利用は可能となりますが、市街での利用は禁止させていただいております。
また、他の
鳴門市内 適用行動規定:
鳴門市内での他の
・故意による人の身体を傷つける傷害行為。
・故意による人の財産を破損、窃盗する窃盗行為。
・故意による人の知識、尊厳を傷つける侮辱的行為。
・人身的保全について日本憲法に準拠する。
――――――――――――――――――――
文面をざっと読み、無事に第一試練を通過したことに安堵する。
残りの日数、あと三日しかないが、市内で休める場所があるらしい。
時間も動いていることなので《時間解凍》の回数を気にする必要もない。
「リゾート‥‥‥‥えと、秋灯さんどうします?」
「取り敢えず行ってみましょう。明音先輩を早く休ませたいですし、神様がやっているなら安全でしょう」
添付の地図に市内十カ所ほどホテル施設の位置が記されている。
一番近い場所は、鳴門市北端に位置する大毛島の岬。
大きなホテルらしき建物の輪郭がここからでも見える。
「運営って、天使とかいるんでしょうか?」
「どうでしょう。接客してる姿があんまり想像できないですが」
一カ月前に見た、作り物のように綺麗でそして能面のように表情を変えない天使たち。
それが給仕として働いていたら逆に休みづらそうだ。
「なにはともあれ‥‥お疲れさまでした伊扇さん」
「えとえと、こちらこそです」
あまり実感もないが、伊扇と一旦喜びを共有しホテルを目指す。
第二試練まで少なくとも三日、できれば試練期間の間に休暇が設けられていたら嬉しいが。
残りの日数で明音の体調が万全に戻るかどうか。
今回は他の
試練の課題に対していろいろと準備不足が否めなかったので、残りの日数で出来る限り準備しておきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜天で煌々と輝く月の光が、静謐が支配する深夜の街を照らす。
街灯も民家の明かりも何もなく、ただ星辰と月光だけが頼りの世界で路面を滑走する人影が一つ。
足元にはスケートボードのような平たい何か。しかし車輪はついておらず、よく見れば絨毯のような見た目。
人影は右足で地面を蹴って、緩やかな上り坂の路をぐんぐん進む。
島の北端に位置する岬の灯台。蝋燭のように波間に混ざるその白が、僅かに夜の光を反射する。
常ならば灯されているはずの明かりは、今は暗いまま。
人影が絨毯から降り、その先の動いている海面と未だ佇む明石海峡大橋を見つめる。
長い嘆息を吐いたあと、ぽつりと零す。
「‥‥‥‥‥‥責められるかな」
守ると約束したその人に、幻滅されてしまうかもしれない。
不意に仲良くなれたその人に、怖がられてしまうかもしれない。
ただ、それでも。
そそり立つ岬の先。侵入防止用の柵を超えて断崖の先端まで近づく。
横に佇む明石海峡大橋を視界に収め、ゆっくり瞼を閉じる。
口から吐き出す息と合わせて、丁寧に意識を拡げていく。
吊り橋の太いケーブルを繋ぎ止める巨大なコンクリートの躯体。
そこから延びるメインケーブルと、橋の路床を支えるハンガーゲーブル。
路面舗装と下の床板。鋼材で組まれた補剛桁と無数の鉄骨部材。
下部構の橋台や海面に潜むケーソン基礎とを、橋の部材一つ一つを入念に把握していく。
これまで拡げた認識の中で最も広く複雑で頭がキリキリと締め付けられる。
重たいデータを処理しているハードのように、脳みそが赤熱し首筋から汗が伝う。
大きく息を吐き出し冷たい空気を肺に取り込み、それでも暑くて着ていた上着を投げ捨てる。
痛みに耐えるように片目を押さえ、視界のずっと先まで意識を伸ばす。
巨獣に追いかけられながら、今の神戸市に多くの
真賀が組織した《新世紀解放軍》や、普通に辿り着いた人間等。
橋が寸断されていたことによって足止めをくらい、それでもいくつかのグループは忙しなく動いていた。
真賀が襲ってきた一件から理解したが、
行動規定は推奨すると書かれているだけで、拘束力のない規定だった。
加えて橋の切断という妨害行為も放置されている。
今の神戸市には解凍したままの巨獣が鎮座しているため、必要ないかもしれない。
寸断されている橋を渡れる
今からやることは、ただの蛇足。余計で無駄で、ただの嫌がらせ。
それでも、明音の敵は出来うる限り減らしておきたい。
「‥‥‥‥‥いける」
全部視えた。
数十万トンの重さを持つアンカレイジが樽のように太いメインケーブルを繋ぎ止め、それが長大な路面と橋桁に圧縮を効かせている。だが今のこの橋は、橋長の中間。最も力が加わる箇所で大きく切断されている。
「‥‥‥‥‥‥調律相認識、完了。記憶開始、完了。
淡路島側に鎮座する二つのアンカレイジ。
月を反射する白地のコンクリートが、闇に溶け込む黒に変色していく。
続いて、
「座標軸固定‥‥‥完了。認識拡張‥‥‥完了。立体展開‥‥‥‥‥完了」
明石海峡大橋全域、それを支える地盤に至るまで範囲を指定。
偉大な技術者が残した建造物を壊すことに申し訳なさを感じるが、それでも続ける。
「記憶開始‥‥‥‥‥‥‥完了。
腕のデバイスが点灯し、橋全体から光の格子のようなガラス片が空へ向かって飛び散る。
降り込める雪を逆再生しているような、幻想的な光景。
一瞬で掻き消えたそれは橋梁の時間が解凍された合図で。
数秒、止まっていた橋梁から金属の軋む音が鳴りだす。
ブツブツとケーブルが千切れる音と二本の主塔がゆっくり中央へ向かって傾き、橋台が掘り起こされ海中に隠れていた基礎部が浮き上がる。瀬戸内海に橋梁の部材がボロボロと落ち、自壊が進む。
「‥‥‥‥‥‥‥
最後に、濃い黒色に変化したアンカレイジの時間を再度解凍。
明日の朝、黒塗りの謎物体を見られるのを避けるため。
すでにアンカレイジの摩擦力が戻ったところで橋の崩壊は止まらない。
「ごめんなさい」
誰に言ったのかその小さな呟きは、海面に垂れていくケーブルの軋音に掻き消えた。
それから半刻ほど、地割れのような過大な音がようやく収まる。
橋の切断面が海面に浸かりきり、逆に岸側の橋台が空に起き上がりぱっくり割れた形で崩壊が止まる。
床板は所々海上に落下し、橋の原型はわかるものの、すでに人が渡ることはできない。
波打つ大きな白波と揺れる大地。
淡路島も解凍していたら、島内に被害が及んでいたかもしれない。
東の空が薄く白み、朝焼けを背に巨大な建造物が崩壊している様子はあまりに終末的な光景で。
今更ながら身震いと得も知れぬ罪悪感とがせり上がってくる。
轟音を察知して鳴門市側から駆けつけてきた他の
それに紛れつつ、逃げるように滞在先のホテルを目指す。
無性に明音の顔が見たくなった。
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