⑳伊扇さんと一緒
明音が倒れて三日。
未だ意識は目覚めず、身体から薄焔のような苛烈な魔力が漏れ出ている。
最低限、生命維持のため【微睡ノ世界】が滅んだ原因とされる
仮想空間に意識を繋げる方法はまだ分からないが、少なくとも栄養補給のための流動食や完全食の機能。
その他、生命活動に欠かせない洗体、排せつ、運動機能は動かすことが出来た。
各種ロボットアームが内蔵された丸い円環とその円の中心に置かれたベッド。
手首に巻かれた点滴用の透明なチューブと完全食を流し込み、かつ肺機能を補助する人工呼吸器。
薄いシール型の電極が肌面に貼られ心電図系各種、明音の体調を監視している。
ベッド横のモニターを見つつ、スキャンされた明音の生体データはまだ存命の表示を示している。
一旦は体調が安定、と言っても魔力が漏れ出ているが、すぐに生死がどうこうすることはなさそう。
ピーと言う機械音だけが響く白一色の室内で秋灯は大きく溜息をつく。
目の下にくっきり刻まれた濃い隈と、これでもかと陰鬱を纏った雰囲気。
明音が倒れてからほとんど寝ておらず、食事も最低限しか取っていない。
加えて魔力が微量しかないため、明音の近くにいるとそれだけで身体が辛い。
「‥‥‥‥‥少し外に行くか」
首を横に軽く振り、明音を一瞥したあと外に出る。
【微睡ノ世界】の景色は人間性が極端に排除された白無垢の外観。
割とディストピア的な世界観なので、見ているとこちらも気が滅入る。
生憎と空は曇天が支配し霧のような細かい雨が降っているが、それでも。
この世界と現状に目を向けるより、いくらか気が紛れる。
「‥‥どうっすかな」
試練の期限は刻一刻と迫っている。今の様子だと目を覚ます気配はない。
身の底に貯蔵されていたとんでもない量の魔力が一向に抜けきらない。
「どんだけ溜めてたんだよ」
秋灯は吐き捨てるように言い放つ。
その顔には、なぜか申し訳なさのような感情が滲んでいた。
覇気のない顔で雨空を見上げていると隣の家から人の物音。
全く同じ作りをした平屋から、しずしずと伊扇が出てくる。
手には水が入った桶やタオル。明音の着替えなどを抱えている。
「か、鐘ヶ江さん。これ、一応白峰さんの、」
「‥‥ああ。ありがとうございます」
今は明音の身の回りの世話は終末をもたらしたとんでも機械が自動で行ってくれているが。
昨日までは伊扇が手伝ってくれていた。
「その‥‥‥大丈夫ですか?」
「ん?俺は大丈夫ですよ」
下から覗き込むようにして伊扇が訊く。
質問の意図が分からず生返事で応える。
「顔色がすぐれないというか‥‥‥目の下の隈がその、すごい黒くて」
「少し寝ていないだけですよ。問題ありません」
「し、白峰さんが心配だと思うんですけど、‥‥‥鐘ヶ江さんが身体を壊しちゃだめだと思います」
目を見据え、はっきり意思を示す伊扇に多少面食らう。
人との会話はおどおどしていて苦手だと感じていたが。
「そう、ですね。すみません。今日はちゃんと休もうと思います」
「はい。白峯さんは私が見てますので休んでください」
秋灯の素直な言葉に、顔が綻ぶ伊扇。
明音が眠る家の中に入って行くが、ふと思い出しその背中を呼び止める。
余裕が無くて伝え忘れていたことがあった。
「‥‥伊扇さん。その、一つ話しておかないといけないことがあります」
「えっと、なんですか?白峯さんの着替えならまだ」
「試練の期限のことです。ここに滞在して三日、試練が始まってから十八日目です。そろそろ出発しなければ間に合わなくなります」
明音の体調が万全であれば移動に四日。他の終末再現都市に一日。
最低でも五日はかかる計算になる。ただ伊扇一人であれば、おそらくもっとかかる。
「そうですけど。でも白峯さんの体調が」
「俺たちに構わず出発してください」
「何で、そんなこと言うんですか‥‥‥」
「あまり気負う必要はないですよ。元々ギブアンドテイクで同行をお願いしています。十分過ぎるほど伊扇さんに良くしていただいています」
「‥‥でも」
「伊扇さんも相応の願いがあって試練に参加されていますよね。どうか自分の願いを優先してください」
一週間と少し。伊扇と共にいて分かったが、この娘は優しすぎる。
こちらから伝えなければ明音の体調が戻るまで、ともすれば試練の期限まで一緒にいようとしてしまうだろう。
打算があって同行をお願いしていた手前、これ以上こちらの事情につきあわせる訳にはいかない。
「じゃあ、鐘ヶ江さんはどうするんですか?」
「俺は先輩の体調が戻るまでここにいます。元々試練にはそれほど興味がありませんし」
「でもでも、秋灯さんにだって願いがあって、世界を変えたいって思ってないと試練に参加できないって」
「俺はちょっと違うというか。神様のお告げもありませんでしたし、いつの間にか世界の時間が止まっていて。だから俺には世界を変えたい願いはありません」
そもそも秋灯は他の
試練の通過より優先したいものがある。
「で、でもそれならどうして参加したんですか?皇居の時に拒否することだってできたはずです。何か叶えたいことがあったから鐘ヶ江さんは」
「俺はただ恩を返したかっただけですよ。先輩に命を救われたんです。だから、それに報いたい。それだけです。でも伊扇さんは違う。俺たちを背負う必要はありません」
「そんなこと‥‥」
「終末都市の滞在も考えれば出来るだけ早くここを出たほうが良いです。今は雨が強いですが、止んだら出発されてください」
「でも‥‥」
後ろで立ちすくむ伊扇だが、言い切る形で会話を終える。
空に浮かぶ雲はまだ分厚い。
天気が悪い中強行軍をするより待った方がいいだろう。
それまでに道中彼女がひもじい思いをしないよう食料の準備を済ませておく。
終末再現都市の端にいるため、現代の京都市街までそれほど遠くない。
健啖家の彼女はだいぶ多めに食料を解凍しておく必要がある。
視線を落とし暗くなった顔の伊扇だが、それでも彼女のためだと言い聞かせる。
罪悪感に苛まれつつ秋灯はその場を立ち去った。
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京都市街から食料やら必要そうな物資を調達し終え数時間。【微睡ノ世界】に戻るが以前明音は眠ったまま。
まだ空模様が悪いため、残っていた伊扇だが明音の部屋で遭遇したり、隣の家で見かけたり。
こちらの姿を視界に収めると、風を残して掻き消える。
一番初めにスーパーで声を掛けた時と同じ。
さっきの言葉をよほど気にしているらしい。
ただ、伝えた内容が間違っているとは思わないが。
電子音と計器のモニターが光る室内。
照明で陰る明音の顔を見やるが、普段の苛烈な態度と打って変わり静かだ。
「寝てるときは、ほんと‥‥」
青白い顔と相まって深窓のご令嬢のようで、触れてしまえば壊れてしまいそうな儚さを感じる。
流石に無防備すぎる寝顔を見ているのは悪いと思い、席を立つ。
家の扉をそっと開けるが、その先に朝から避けられ続けていた伊扇が立っていた。
「か、鐘ヶ江さん、お話がありますっ!」
一個分頭の低い位置から、毅然と見つめてくる。
どうやら扉の前で待っていたらしいが、いつもと違うその姿に若干気圧される。
「ええと、どうしました?同行の件なら今朝話した通りで、」
「一緒に、いさせてもらえませんか」
秋灯の言葉を遮り、唐突に伊扇が話し出す。
「今日一日ずっと考えてて。鐘ヶ江さんの言う通り自分の願いを優先した方がいいのかなって思って。私にもどうしても叶えたい願いがあって、自分がやったこと、たくさんの人を傷つけて、でものうのうと生きていて。それを清算したくて私はここにいるから。だから、明音さんを、秋灯さんを置いて出て行った方がいいのかなって思って」
「‥‥はあ」
「でも、今の白峰さんが倒れてるのは。私が魔力を使う所を見せたからで。私と話したから、私と会ったから、私のせいで、」
堰を切ったように早口で、自分の想いを吐露する伊扇。
明音の魔力云々に関しては、確かに伊扇と出会ってから身に着けたが。
伊扇が身体を強化し風で吹き飛んでいる姿だけを見て、勝手に使えるようになっていた。
何れは独りでも使えるようになっていた気がする。
「そこは伊扇さんが気にする必要はないと、」
「気にしますっ!だって星骸ノ世界でもずっと魔力を使わせて。私は何もできなくて、」
叫ぶようにして話す。
必死さが伝わってきて、彼女の周りから翠の風が漏れ出て、頬が引きつる。
「次の試練に進めて、もしかしたらその先に進んでいって。いつか本当に自分の願いが叶ったとして。でも、きっと私は、今日お二人を見捨てたことを後悔するって思って。だからっ!」
自分が負う必要のな責を負っているような。
自罰的なのか、それとも単にお人好しか。自分が傷を抱えたまま生きたくないのか。
「まだ会って一週間ですけど、でもお二人に一緒に行こうって言ってもらえたのが嬉しくて。世界の時間が止まってからも、その前もずっと一人だったから。‥‥だから、こんなに仲良くなれたのに明音さんと秋灯さんを、私は置いて行きたくないっ!」
「うおっ⁉」
頬が上気し、叫ぶように言い切る。
段々と上がってくる声量に比例して顔に当る風も勢いを増して、つい身構える。
白無垢の世界にごく小規模の台風が現れる。
秋灯は身を屈め、一旦伊扇の言葉に集中する。
彼女の言葉は正直戸惑いが半分、申し訳なさが半分くらい。
この一週間は【星骸ノ世界】や突風調節鍛錬やら確かに密度は濃かったが、ここまで想ってくれているとは。
人との関係を打算ありきで考えてきた自分とは真逆で、どう言葉を返せばいいか迷う。
「駄目‥‥‥ですか?」
「駄目ってことはないですけど、」
「じゃあ一緒にいてもいいですか?」
「いや、まあ‥‥」
後ろ頭をぼりぼり掻きつつ歯切れ悪く言葉を返す。
「どっちですかっ!!」
「ちょっ⁉」
伊扇の怒声と勢いのある風が秋灯の身体に叩きつけられる。
「えーと、うーん。まあそこまで言ってくれるなら‥‥」
「いい、ですか?」
「いいですけど、」
半分脅迫だった気がするが、とりあえず了承する。
「でも本当に期限ギリギリになったら四国に向かってください。それだけ約束してもらえるなら」
「むぅ‥‥‥‥‥‥‥分かりました」
不満げな伊扇の顔。
意外と根は強情なのかもしれない。
「あと一緒にいるつもりなら、いい加減その風をどうにかしてください」
明音が起きるまでどれくらいかかるか分からないが、どんな状態だったとしても四国へ辿り着けるように。
なんならその先も試練を円滑に進められるように、やっておくべきことはいくらでもある。
取り急ぎ、伊扇の風は調節してもらわなければ身が保たない。
「‥‥‥‥‥‥す、すみません」
最後の声は普段と同じく小さかった。
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