⑤浜松までの道中 

雲一つない蒼空。煌々と太陽が輝き熱された黒いアスファルトとその上の大気が歪む。

路面には時間が止まり固定された自動車やバイクが点在し、見た目道を塞ぐようにでんと置かれている。

周りを囲む家屋も同じく停止し、ダイヤモンド鉱石よりも硬くなっているが外観では全く分からない。


人の気配が一切廃された、耳鳴りがするほどの静謐な世界。

日常の風景から生き物だけがいなくなり、動いているのは分不相応な願いを持つ者だけ。


そんな世界にコツコツと軽い足音が二つ。

二人の男女が並んで歩き、幹線道路の上を進んでいく。


清潔感のある短い髪形に眠たげな眼を持つ少年。

ランニング用のシャツと短パン、中には肌にぴたりとつくアンダーアーマーを着込み、背中には小さめのバックパックを背負っている。休日に皇居ランに勤しんでいそうな出で立ち。


横の長い黒髪の少女も同じくスポーツ然とした恰好をしており、伸縮性のあるタンクトップに薄手のパーカーを羽織っている。服装からボディラインがくっきり分かり、お腹や太腿など露出している肌面積が大きい。


二人は談笑しつつ軽快に歩いているが、時折なぜか少年の目が泳ぐ。

目が一定方向に吸い寄せされるように動き、それに抗う様にして進路の直上に視線を戻す。

何度も繰り返しいている。


万有引力の法則とは地球上に存在する質量を持つあらゆる物体に働く。

地球上にいる限り、二つの物体の間には常に質量の積に比例し、距離の二乗に反比例する引力が働いてしまう。

月や惑星の天体運動、地上での重力、慣性力などもこれによって説明できるがそれはさておき。


今尚少年に働いている力も、万有引力と同じく男性には抗いようもない不文律の法則。

男性の視線と意識と本能とを自動で惹きつけてしまうこの世の摂理。


《万乳引力》。多感な年ごろの少年など特に強い力場が眼球に発生してしまう。


少年は短くため息をついたあと、抗うことを諦め黒い眼球を目の端ギリギリに移動させる。

顔は変わらず進路の直上に据えたまま、目線だけをやや斜め下に動かす。


隣で歩く少女の歳の割に大きめな二つのアレを気取られないよう視界に納める。

口元が一瞬だけ気持ち悪く緩むが、すぐに真顔に戻る。


案の定その視線に少女は気づいていたが、パーカーの前を閉めるには暑すぎたのと、普段から羨望やら嫉妬やら種々の視線に晒されることが多かったので特に気にせず。なんなら見られても何か減るもんでもないでしょと、漢勝りに達観していた。


少年が頭を後ろにもたげ、濃い蒼色をした空とその奥の白々しいほど白い雲に視線を移す。

目を細め長く息を吐いたあと一つ思う。

その恰好は刺激が強すぎる《ありがとうございます》。


【閑話休題】


こめかみから水滴が垂れ頬を伝ったあと地面に落ちる。

汗がしみ込んだ服が地肌に張り付いてそれが不快で、布先をつまんで空気を入れる。

十月にしてはあまりに厳しい酷暑。時間が止まった世界でも温暖化の影響は残っているらしい。


早朝は肌寒さを感じて長袖のアウターを着ていたが、バックパックに仕舞った。

隣の明音も着ていたパーカーを脱ぎ、今はタンクトップ一枚だけ。

最初こそ黒い眼球が引きつけられたが今はだいぶ見慣れた。視線は勝手に泳ぐが。


人類の終末が再現された東京の街【機工ノ世界】を出てから、五日が過ぎた。

当初決めていた通り、横浜市中央区付近に再現された【悪天ノ世界】は経由せず、東京を出てから西南側に進路を取り静岡へ歩を進めた。少し横浜市の北西部に位置する青葉区をかすめたが、その奥に臨む横浜市の繁華街とその直上。

どす黒く渦巻く龍のような雲と稲妻の輝きが見えた。


あの黒い雲の下が一体どんな状況になっているのか気になりはしたが、藪蛇をつついてまた白マネキンに追いかけられるような出来事は御免だ。とりあえず近づかないことに決めた。


現在は神奈川県を抜け静岡県の富士市を越えたあたり。

駿河湾に面する平野を抜け、視界の端にちらつく富士山が見下ろしてくる。

周りはマンションやらコンビニが置かれており、焼けても崩れてもいないことにほっとする。


「そろそろ昼食にしましょう。あそこのスーパーでいいわね」

「わかりました」


明音の指す方向には肌色の平たい建物とでかでかと赤いロゴの文字。

大型の食料品店とその他ドラッグストアや、カフェ、バーガーショップが入っている。

入り口の自動ドアが開かれたままなので、中の売り場が少し見える。


規定の中にあったreデバイスの機能追加時間解凍

止まった世界の物を指定した範囲内で動かせるため、食料の心配をしなくて良くなった。


「私は飲み物のコーナーの時間解凍をするから惣菜の方をお願い」

「わかりました。できればキンキンに冷えたやつをお願いします」

「解凍直後だったら冷たいでしょ」


時間停止の解除後であれば冷蔵で冷やされた飲み物はそのまま冷たい。

惣菜も出来立てであれば温かいままだ。


レジの横を抜け、入り口から右側奥へ。

総菜の売り場一帯を眺め、その配置を頭の中に思い描く。

コロッケや、とんかつ、唐揚げなど。総菜が入ったプラスチックパック一つずつの形。

全体の個数と隣に並んでいる別のパックまでの間隔。陳列だなのテーブルの幅と高さ。

視界に見える全てを細かく鮮明に、そして立体的に頭の中に落とし込んでいく。


「座標軸固定、完了。認識拡張、完了。立体展開、完了。記憶開始、完了。‥‥‥‥‥‥時間解凍アンチ・フリーズ


隣の精肉コーナーの手前まで認識出来たら、腕のアームバンドに納まったreデバイスを起動。

赤の輝点を中心とする薄赤の球体を出す行程を省略し、声と意思のみで《時間解凍》を実行する。

硝子片に似た光の格子が売り場一帯に飛び散り、すぐに霧散。


端に置かれた総菜パックを手で掴み、思い描いた通り時間が動いている。


「やっぱり集中力がいるな。‥‥‥唐揚げ暖かいじゃんラッキー」

「あなたのデバイスおかしくない?」


後ろからペットボトルを両手一杯に抱えた明音が声を掛けてくる。

その声は不満さを帯びていた。


「そうですか?確かに通達された方法と違った解凍の仕方ですけど」

「私のデバイスだとこんなに広い範囲を指定できないわ」

「俺も書かれてたやり方と同じ方法だったら範囲は一緒ですよ」


一番初め、東京のオフィスビルの窓ガラスを解凍したときと同じく。

範囲の指定はreデバイスから出される赤の輝点と薄赤の球体によって行う。

ただ、球体の範囲が狭くて物資を調達しづらいと感じたため、別の方法を探していた。


《時間解凍》の範囲指定の際、reデバイスに頼らず自分の知覚と認識でもって範囲を決定する。

オートで決められてしまう範囲を意識で割り込んでマニュアル的に設定するイメージで、最後の実行だけデバイスを起動する。そうすれば広い範囲を解凍出来ることが分かった。


ただ、この方法にはいくつか欠点がある。


「昨日教えてもらったけど無理でしょ。すごく正確にイメージしないと解凍できないじゃない」


明音も同じ方法を試したが、結局一日の使用回数を使い切り成功することはなかった。


「多分コツさえ掴めばできると思いますよ。ただ使用回数が限られているので、練習はやりずらいですけど」

「なんか悔しいから今日もやるわ」


負けず嫌いだよなこの人。

下唇を突き出した明音の顔を見て、心中で感想を漏らす。


《時間解凍》の使用は一日三回、二人合わせて計六回だが意外とその数は足りない。

全ての時間が止まっていると、ことあるごとに解凍を迫られるため不便さを強いられる。

規定通りのやり方では、食料を確保するだけでギリギリだろう。


範囲を拡張出来たおかげで物資に余裕ができたし、慣れればもう少し広げられそうだ。

ただあんまり言うと目の前の明音が拗ねそうなので、言わないでおく。


東京を出た初日に偶々範囲の拡張ができたのは運が良かった。

今は食料もろもろ余裕をもって試練を進められている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【アイスが食べたかったんです】


「‥‥‥うーーん」


日が落ちかけ薄暗くなった世界。コンビニの棚の前で腕組みし首を捻っている人影が一つ。

レジ横のお弁当が陳列されたオープンケースと、店舗奥の飲料水が並べられた冷蔵庫を交互に見やる。

ついでに入り口近くのアイスが入った冷凍庫を一瞥し、手に握っていたスマートフォンに似た端末に視線を落とす。


「冷たい飲み物を取るか、弁当を取るか‥‥‥‥‥‥‥‥‥アイス食べたい」


端末の画面をスライドさせ、中に記載された文章を再度一読する。

reデバイスに関する追加機能の短い文章――時間固定解除機能と範囲と使用回数の説明――をすぐに読み終え、短く嘆息する。試練の開始と同時に試練者プレイヤーには《時間解凍》が使えるようになったが、その回数は一日にたった三回だけ。


すでに東京市街で窓ガラスに一回。

道中の本屋で道路地図を入手するために一回。計二回使っている。

明音は衣類・食料の調達、ドアの開閉のため既に一日の使用回数を使い切っている。


一応最低限、携帯食と飲み物は確保しているためコンビニ弁当も飲み物もどうしても必要というわけではない。

ただ、今日は朝から人型マネキンに追いかけられ必死の逃避行をしてきた。

一日の終わりが、流石にカロリーメイトとぬるいスポドリだけでは味気ない。


「ぬるい水よりキンキンに冷えた水がいい。温っかくなくていいから肉が食べたい。米が食べたい。腹減った。喉も乾いた‥‥‥‥‥あとアイス食べたい」


この一週間ほとんどレトルトパックと乾パンだった。

明音に食料を分けてもらっている手前、文句は言えないが、それでも流石に味に飽きた。

今日も行程を優先するため、食事よりも他の物資の調達を優先した。


残った一回。先輩からは「肉」とだけ注文されたが冷たい飲み物も欲しい。なんならアイスも食べたい。


出来るだけ多くの商品が薄赤の球体に収められるよう店舗の中心に移動する。

これでお肉の弁当が入っていなかったらどつかれるので、そこは気を付ける。


秋灯は店内をぐるりと見まわし、reデバイスの画面を再度点ける。

人差し指でタップしつつ機能選択画面の時間解凍機能を呼び出す。


「‥‥‥は?」


なぜか店内全体に光の格子が飛び散るエフェクトが発生。

まだ《時間解凍》の範囲設定、立体ホログラムのような薄赤の球体も出していなければ、実行のボタンも押してない。

《時間解凍》の失敗。これは絶対に怒られるやつだ。

眉間に青筋を浮かべた明音の顔が浮かび、慌てて商品を確認する。


「‥‥‥動いてる?」


一番上に陳列されている『最強焼肉弁当』とキャッチ―なコピーが描かれた弁当を手に取り、というか手に取れて一先ず安心する。一応他の商品も確認するが、球体内の範囲にあるはずなのに動いている物と動いていない物がちらほら。

ただ特に見ていた弁当棚、お茶のペットボトルが入った冷蔵棚。そしてアイス用の冷凍庫が動いていた。


「‥‥‥成功してた?なんで?」


どういう理屈か分からない。

ただ、注視していた箇所だけ時間が動いている。

もしかしたら今のやり方が規定の中にあった別の使用法なのかもしれない。

全くの偶然。なんならただの意固地な食欲がそうさせたが、この方法は使えるかもしえない。


空が焼けるような橙色から暗い群青色に変わり、時間がかかっている秋灯を心配して明音がコンビニに入ってきたが。

店舗の中でくつくつと笑う不気味な後輩を目撃して、静かに外に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る