④東京脱出
対岸の短く刈られた芝生のサッカーコートと堤防の法面を視界に捉え橋を渡り切る。
背の低くなった建物と真っすぐ伸びるアスファルトの道路。道の脇に瓦礫の山は見えない。
クリーム色のコンクリート壁を持つビルには弾痕も燃えた痕もなく、路面には陥没も凹凸もない。
どこも崩れておらず、見知った現代のありふれた街並み。
勿論時間は止まっているが――足元の地面は相変わらず硬すぎる――壊れていな世界を見止め秋灯は深く息を落とす。
数歩先を行く明音は尚も大股で歩き続け、その腕に身体を引っ張られる。
足の運びが思ったより早くて、多少小走りになりつつ速度を合わせる。
「明音先輩、ちょっと痛い」
控えめに呼びかけ、ようやく腕を離してもらう。
案の定掴まれていた右手首には赤い手形がくっきり残る。
秋灯は手をヒラヒラさせつつ後ろを振り返り、通ってきたきた橋の上に目を向ける。
「さっきの人たちはついて来てないみたいですね、よかった」
「‥‥‥‥‥」
「それにしても変な人たちでしたね。どうやってあの人数を集めたのかな」
「‥‥‥‥‥」
「真賀って人がそんな気に障りました?」
歩速を若干緩めつつ、今だ憮然とした態度を崩さない明音。
眉根を寄せて、ただでさえきつい目つきがさらに尖っている。
「だって‥‥あんなのむかつくでしょ」
「真賀が言っていた事ですか?」
「そうよ。それと周りを囲んでた連中も。何が我々と一緒によ。思い出したらまたむかついてきたわ」
奥歯を強く噛み、硬い地面に地団駄を打つ。
何がそれほど明音の逆鱗に触れたのか、いまいち判然としない。
「真賀の言っていることも分からなくもないですけど」
「はぁ⁉どこがよ!」
「この試練で徒党を組めたらそれだけで有利ですから。
試練を受けている人数は一万人強。
大人数で固まれば他の
数が多いのは、それだけで強みだ。
「じゃあ、あんたはあの新世紀なんちゃらに入れっていうの?」
「いや、絶対入りたくないですけど」
「でも悩んでたじゃない」
「それは、なんか変な匂いがしたからで‥‥‥‥。アレに入るのは御免ですよ」
少し言い淀みつつ、強く拒絶する。
確かに徒党を組めれば有利だが、今の世界にいる人間は皆世界を変えたいという分不相応な願いを持っている。
きっと明音や真賀のように一癖も二癖もある人間ばかりなので、そもそも仲良くできるイメージが湧かない。
「ただ真賀が言っていたことは気になります。魔術、でしたっけ。流石にああして見せられたら信じざるを得ないというか」
「あんなの手品でしょ」
「ならいいんですけどね。掌に浮かんでた紋様とそこから出た炎。種も仕掛けもあってくれたほうがマシです」
真賀が言っていた、魔術という珍妙な技術と魔術師の存在。
規定の中にも同じ文言が混ざっていたから、手品と一蹴することはできない。
「世界の時間が止まって東京が壊れていて神様っぽい何かも見て。あげく白いマネキンに殺されそうになって、俺たちの常識はもう無くなってるのかもしれません」
「わ、分かってるわよ‥‥」
怒気もようやく収まってきたのか、声が尻すぼみになる。まだ口は尖っているものの、眉根の皺は薄くなった。
結局何がそれほど先輩を苛つかせたのか、分からなかったが。胡散臭かったのが、ダメだったんだろうか。
秋灯は腕を持ち上げ大きく伸びをした後、話題を変える。
「ようやく東京を出られたんです。流石に
目下もしかたらまだ追ってきている可能性のある人型機械。
道中東京市街には何人も
最初に捕捉した人間を追っているのか、それとも手あたり次第襲う仕様なのか。
規定の内容を読む限りおそらく後者だ。
今頃は他の
それを想像して秋灯は、ほんの少し罪悪感と。これで人数が減るかもしれないという打算を抱く。
「そうね。そこそこ走ったものね」
「最悪追ってきてても、橋には魔術を使える人がいますから。きっと頑張ってくれます」
「あんた‥‥‥顔キモいわよ」
右頬だけ上げて含み笑いをするが、明音の辛辣な言葉。
すぐに元の顔に戻すが、そんなに気持ち悪かっただろうか。
実際のところ秋灯は真賀に対しそれほど悪感情を抱いていない。
気味が悪かったのと、魔術については興味深いと感じたくらいだ。
今はそれよりも。
「やっと普通の街になったんだから時間解凍を試したいわ」
「ですね。俺は一回使っちゃいましたから、残りが二回で、」
食料や衣類など物資の調達。四国までの行程を調べ、規定の文章ももう一度読み。
そして《終末再現都市》のどこを廻るか。地点を四つ経由しなければならないため、できるだけ穏便な世界を選びたい。
やること、考えることはいくらでもある。
二人は少し下り坂の道を進みつつ、今日の予定を話す。
全力で廃墟の街を駆けたから身体は疲れているが、それでも止まる気にはならなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【閑話】明音が苛ついた理由
細く伸びた車道と両脇には五、六階くらいの中階層のマンション。
一階部分には居酒屋やコンビニなど商店が入っていて、暮らしていた街とどこか既視感がある。
東京市街の廃墟は陥没や寸断が多く、所々に瓦礫が積まれていた。
いちいち地面に注意を払って歩き、もとい走っていたが今は足元を確認する必要が無い。
辺りを見回し《時間解凍》に適した建物を探しつつ、さっきの事を考える。
にこにこ顔を張り付けた真賀と名乗る男と、その取り巻きらしき
耳触りの良い上っ面だけの台詞に衝動的に殴ってしまいそうになって、それを押し殺すため黙殺を決めた。
隣の秋灯が会話をしてくれたが、もし一人だったら全力で走り去るか、本当に殴りつけていたかもしれない。
――にしてもキモかったわね。
腹に一物を隠すようなあの顔は、明音にとって一番生理的に無理な人種だ。
内心を隠せているように振舞っている姿も正直背中をぞわりとさせる。
ただ、それだけならまだいい。
ここまで怒りが募ることもなかった。
それ以上に、真賀の視線の奥に腹に据えかねた気味の悪い感情が潜み、微かに漏れ出る殺気が秋灯に向けられていて。
勿論何の根拠もないが、隣で黙って聞いていた明音を苛つかせた。
――なんで、アレに気づかないでいられるのよ。
その視線に晒されていた張本人は何も感じていないのか。
魔術なる手品じみた何かに目を輝かせて、真賀に差し出された手を握ろうか悩んでいて。
昨日は一緒にいると言った癖に、その態度にもやもやして。
それが殊更、明音の神経を逆撫でにした。
得たいが知れず、気味が悪く。
それに気づかない秋灯にも苛ついて。
魔術なんかよりもずっとそっちの方が気になって。
躊躇っている秋灯を押しのけて、つい口を挟んでいた。
――大人げなかったかしら。
後輩の腕を掴み、ぐいぐい橋の先まで引っ張ってきてしまった。
明音は少し先を歩く一つ年下の後輩に目線を移す。
首を上げ辺りの建物をきょろきょろと見回している眠たげな目と緩んだ頬。
相も変わらず緊張感のない顔をしている。
東京の廃墟の街並みを始めて見た時も、
唯一神ノ宣誓があったときは、周りの熱狂に包まれ叫んでいたが。
それは、明音自身も同じで抗えない何かが見の内から勝手に湧いてきたため、例外かもしれない。
――なんでこいつは着いてきたのよ?
まだ出会って一週間。色々ありすぎて体感だとそれ以上に長く感じるが。
昨日から何度も湧く疑問は、流石に踏み込み過ぎると心の内に留めた。
明音は、もやもやする感情を振り張るように身体をブルブルと震わせる。
それは動物がよくするカーミングシグナルのようで、大型犬のように荒っぽく。
横目で見ていた秋灯が「なにしてんだこいつ」みたいな目を向けてくる。
それに気づき、苛ついた明音は。
後輩の右肩を軽く殴った。
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