⑥時間解凍の拡張
「今日はここに泊まりますか」
静岡市駿府城の手前。県道六七号線から少し小道に入り、奥に平屋の一軒家を見つける。
短く刈られた芝生の庭と奥行きのある家屋。隣にはシャッターが下ろされた青と鉄色のガレージ。
豪奢な雰囲気を醸している。
「結構大きい家ね。今日はまだ一回しか使ってないから私が解凍するわ。とりあえず庭の窓でいいわよね?」
棘のように鋭い芝を歩き、大きな窓の前に。
玄関を解凍しても鍵がかかっているため、侵入しやすい窓を解凍することが多い。
明音が腕に巻かれアームバンドからreデバイスを取り出し画面を点けるが、横にいた秋灯が軽く制止する。
「いえ、ちょっと試したいことがあるので俺にやらせてください」
「‥‥‥あんたにはベッドとかソファをやってほしいんだけど」
怪訝な表情を向けてくるが、説明してもむくれそうだったため黙って集中する。
道中で何度か《時間解凍》の拡張は成功したが、その範囲はせいぜい薄赤の球体の二、三倍程度。
食料の確保などに便利なのでこのままでも役に立っているが、動いていた世界から比べるとまだまだ我慢を強いられている。
息を深く吸い込み肺に入れて、目を閉じる。
網膜に焼き付けた家屋の景色を、頭の中で立体的に組み立てていく。
「座標軸固定‥‥‥完了。認識拡張‥‥‥完了。立体展開‥‥‥‥‥‥完了」
「ちょっと、無視するんじゃないわよ」
視界の奥。自分の触覚を拡げるイメージ。
これまで目で見える範囲のみ解凍の拡張を行ってきたが、それでは範囲が限定される。
深く、広く。自分の認識できる範囲を伸ばし、見えてないはずの屋内の構造を感じ取る。
元々、物の形や位置を覚えるのは得意だった。
時間が止まってからこの感覚がやけに鮮明になったが、もしかしたら今の世界の影響を受けているのかもしれない。
「記憶開始‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
脳みその海馬とその奥に内包されている大脳扁桃核。
頭の中に思い浮かべた立体映像をその部位で記憶していく。
庭の窓の先は広々としたリビングとダイニングテーブル、三人掛けのソファ。
壁に掛けられたインチの大きいテレビと、両脇を囲む大きい棚。
中には本が詰め込まれ、引き出しの中には雑貨が入っている。
更に奥に腰くらいまでの高さの独立したキッチン。幅の広い調理台と底の深い流し。
背の高い食器棚と、中には何枚もの皿が重ねて収納されている。
その先の玄関口と奥に続くフローリングの床。
家屋の北側にはそれぞれ八畳程度の部屋が三つ。ベッドと一人掛けのソファが一つずつ。
どれも同じ間取り。廊下を進み、建物の北側に家具が置かれていない正方形の部屋。
床の間や引き戸の押し入れがあることから、おそらく和室。
更に収納用のクローゼットや、洗面所、浴室、トイレ、庭のウッドデッキ。
パソコンのハードを高速で回転させているように脳みそが熱を帯びる。
両側のこめかみがきりきりと締め付けられるように痛むが、構わず続ける。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥完了。
最後にreデバイスに触れ《時間解凍》の機能を実行。
一瞬目の前の家屋全体から光の格子が現れ、陽光を反射する硝子片が空に霧散する。
薄暗くなった橙色の空と相まって一種幻想的な光景で、それを見止め秋灯は大きく息を吐いた。
「ふぅ。終わりました」
「きれい‥‥‥じゃなくて本当に解凍できたの?」
明音が窓の取っ手を横に引くが、案の定鍵がかけられたままでガチャガチャ音を鳴らす。
即座にバックパックからガムテープを取り出し、窓ガラスに貼り付ける。
同じく取り出したトンカチを数度叩きつけ、丸く割った破片を慎重に取り出す。
開けた穴から腕を差し入れて、ものの数秒で窓の鍵を開錠する。
「なんか慣れましたね‥‥‥」
後ろから眺めていたが、凄腕の空き巣のよう。
不法侵入した明音はリビングのソファやクッションなどに触れ、弾力があって柔らかくて、時間が動いていることを確認していた。
まだ若干熱を感じる頭を二三振った後、秋灯もゆっくり家に入る。
「これでベッドで寝られそうですね」
「ええ‥‥‥‥ほんとに動いてるわ。他人様のベッドで寝るのはちょっと抵抗があるけど‥‥」
驚いている明音に向けて笑顔で親指を立てる。これでようやく硬すぎる地面の上で寝ずにすむ。
一日三回しか使えない《時間解凍》を寝具まで回す余裕はなかったが、一軒家を丸々解凍してしまえば食料も衣類も寝床も全て揃っている。
終始頬が引きつった顔をしていた明音だが、諦めたように大きく息を吐いた。
「はいはい、よくできたわね秋灯。褒めてあげるわ」
「ちょっ、やめてください。やめろって」
わしゃわしゃと頭を撫でてくる明音。
対して歳は変わらないのに、先輩風を吹かせてくる。
ちょっと嬉しいのは、まぁ仕方ない。
「全部動いてるならキッチンが使いたいわね」
「電気が止まってるから厳しくないですか?」
「据え置きのガスコンロなら使えるんじゃない?‥‥残念IH式ね。いい加減自分で料理したいわね」
キッチンの方に進むが、黒く艶のある綺麗なIHが置かれていた。
「先輩って料理するんですか?」
「もともと自炊してたのよ。料理はけっこう得意‥‥‥なんか言いたそうね」
「い、いえ何も。先輩の手料理ぜひ食べてみたいです」
つい微妙な顔が漏れ出る。
まだ試練の宣誓前。皇居に向かう道中で、持っていたレトルトカレーとシチューを「量が欲しいわ」と言って一緒の皿で混ぜて食べていた。他にもコロッケと甘いチョコを一緒に食べたり、鮭弁当と炭酸ジュースを合わせていたり。
この人は味音痴の疑惑がある。
「明日はガスコンロを探すわよ。ホームセンターか家電屋さんを見つけたら店ごと解凍しなさい」
先輩命令が下される。
今日の感覚だと頭の締め付け具合がだいぶ厳しかったが、もう少し慣れるしかない。
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