⑱京都府京都市
「‥‥‥‥あれ、私何して?」
雛罌粟(ひなげし)の紅い華が一面に咲きほこり、緑と紅が斑に混ざる。
色鮮やかな花と草木の絨毯の上で、むくりと身体を起こす人影が一つ。
僅かに毛先が紅く塗れた長い黒髪と吊り上がった目元、整った顔立ち。
きつめの美人という印象の女性が、目をぱちぱち瞬かせる。
両腕を天に掲げ大きく伸びをし、首を二、三横に捻る。
豊かな曲線を描く胸元の前で腕を組み、そしてゆっくり辺りを見回して。
「どこよ、ここ?」
憮然と言い放つ。ここがどこなのか、なんでいるのかさっぱり分からない。
さっきまで確か京都の中。終末再現都市である【微睡ノ世界】を探索していたはずだ。
半月ぶりに丸一日休息を取った後、京都市街に向けて旅館を出発した。
滋賀県大津市と京都市山科区の境である逢坂山を登り、その先で下に広がる終末の都市を視界に収めた。
どこまでも白磁色が続く、無機質な世界。
最近は流行っていた3Dプリンターの家のような、角が丸くなった平屋の家屋群。
現代の主流の鉄筋とコンクリートで組まれたモダニズム建築とも、日本の昔からある和装建築とも違う。
プレハブにも似た簡素な家々が、南北に敷かれた道路の脇に精緻に居並んでいる。
これまで滞在したどの終末再現都市とも違う、人類の衰勢の果て。
標高が高い山道の上であまりにディストピア的光景を見て、頬が引きつったのを覚えている。
そこから京都市内に入って、reデバイスのカウントが始まって。
似通った家々の探索を始めて、それから。
どこか動かすのに違和感のある両脚を動かし、見晴らしのいい丘の上に立つ。
首を傾げるが、そこから先がよく思い出せない。
とりあえず明音は大きく息を吸い込む。
「秋灯ぃーーーー!風穂野ぉーーーー!」
二人の名前を叫び、自分の声が野原の上に木霊する。
空に佇む蒼穹と紅と緑の絨毯。美しい自然の景色だが、この場所は明らかに【微睡ノ世界】ではない。
人の気配が一切ない。自分がなぜこの場所にいるかもわからない。
理解ができずに、徐々に不安が募ってくる。
「秋灯ぃぃいいーー!!どこにいんのよ!!」
もう一度名前を叫ぶ。
つい先日、赤裸々に本音を語りすぎて少しぎこちなくなっていた一個下の後輩。
時間が止まってから、横にいるのが普通でそれに慣れすぎて。
焦りと孤独と、それに加えて今の状況があまりに意味が分からなすぎて。
自分の中にふつふつと怒りが湧いてくる。
「どこなのよ、ここはぁぁーー!!」
堪ったストレスを吐き出すように、宙に向かって全力で叫ぶ。
自分の声が野原の先まで反響していくが、とりあえずスッキリした。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥せんぱい?」
突然後ろから、聞きなじみのある声が届く。
気配も何もなく、すぐ近くに秋灯が立っていた。
「秋灯⁉あんたどこに、っていうかここどこ?」
「先輩っ!!」
秋灯が叫び、そのまま明音の身体を抱きしめる。
何が起こったのか分からず、明音は目をぱちぱちさせるだけ。
次第に今の状況を飲み込み、頬が紅潮していく。
「なっ、あんたなにしてっ!」
「良かった、本当に‥‥」
身体を震わせ、僅かに嗚咽が混じった声。
余りの迫真さに振りほどくこともできず、困惑したまま秋灯の黒髪を見つめる。
半月ばかりの付き合いだが【汚穢ノ世界】で泥人形に追いかけられた時も、【星骸ノ世界】で地面に縛り付けられた時も、大して動揺していなかったのに。まるで自分の命が軽いかのように、時々動いていた癖に。
今まで見たことが無いほど、秋灯の感情が露わになっている。
震わせる背中を、一応先輩として抱きしめ返してあやしたほうがいいのか。
明音は手をワキワキさせ少し悩む。とりあえず、その後ろ頭にぽんと手を置くことにした。
「‥‥そろそろ話してくれない?」
「すみません。ちょっと気が動転してました」
いそいそと秋灯が離れ、申し訳なさそうに丘の上に正座する。
口を引き結び、恥ずかしさを噛み殺しているようなそんな表情。
それがちょっと珍しくて、明音はにやつきそうになる。
「こほん。‥‥それで先輩はどこまで覚えてます?」
「ええと、京都の終末の世界に入って、reデバイスのカウントが始まって、白っぽい家が多すぎて迷子になりそうになって、異様にごついベッドは覚えてるわね」
「そうですか、最初の記憶も少し飛んでるのかな。‥‥とりあえず俺たちは今も微睡ノ世界にいます。正確には、微睡ノ世界にあった
「ここって幻覚なの?」
足元に広がる芝生に手を触れ、尖端のチクチクする感触を確かめる。
確かに指先に違和感はあるが、それでも現実とさして変わらない。
「幻覚というより仮想現実。脳みそに現実と認識させているらしいです。詳しい原理とかはよく知りませんが」
「仮想現実ねぇ。すごいわね」
自分の身体をペタペタと触り、続いて秋灯の肩をつつく。
体勢を崩した秋灯が少し後ろに傾き「なにすんだよ」みたいな目を向けてくるが、現実とまったく変わらない。
「で、私はなんでその中にいるのよ。微睡ノ世界でなんかされたの?」
「微睡ノ世界は正直不気味でしたが、他の終末都市に比べてずっと安全です。何日か過ごしましたけど特に害になるものも現れていません。ただ明音先輩。あなたは、この世界に入ってすぐに倒れました」
「え?」
「今も意識不明で、なんなら過剰な魔力が漏れ出ている状態です。先輩の身体は、死にかけています」
「‥‥‥‥‥‥まじ?」
秋灯の言葉があまりに実感が持てなくて、呑み込むのに時間がかかった。
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京都市中京区を中心に半径五キロ程度の円状に再現された【微睡ノ世界】。
樹脂系繊維コンクリートが幾重にも折り重なり、お菓子のミルフィーユのような外壁。
角が丸くトレーラーハウスに似た大きさの無機質で白無垢の外観。
大量生産品のように変わり映えしない家々が、碁盤の目のように京都市街に並んでいる。
家屋の中も一切の家具が廃され、置かれているのは巨大なベッドが一つだけ。
人型の大きさにくり抜かれた青白磁色のマットレスと頭部付近に巨大な機械の円環。
見た目、医療検査に用いられるMRI装置のようで、各種銀製のロボットアームが内蔵されている。
【微睡ノ世界】は脳科学の夢を見る原理、脳幹から後頭葉にかけての解明とその奥に内蔵されている電気皮質意腎部へアクセスをする《リアリス・システム》の開発によって、仮想空間を実現させた。
仮想空間を用い好きな時に好きな夢を見ることができ、現実と寸分たがわない五感の再現と、お互いに意識を伝播させ他の人間との交流も図ることができる。
好きな時に好きな場所へ、そんなキャッチフレーズで売り込まれた《リアリス・システム》を搭載したVRヘッドギア、
学校へ行くのも、会社へ行くのも、朝起きてベッドで仮想空間に入るために《リアリス・システム》を起動し、VRヘッドギアをつける。その動作は簡単で身支度を整える必要も足で道路を歩く必要もない。
満員電車は過去の遺物となり、旅行も現実と瓜二つの、なんならそれ以上にサービスの行き届いた観光都市が再現された。人の歩くという行為を極端なまでに省力化させた。
味覚に関しても、仮想空間内で自分の好きな物を好きなだけ食べることが出来る。
現実の自分の体重は一切増えることは無いため、欲望に任せて暴飲暴食が可能となった。
現実で実際の自分の口で何かを食すという行為が省力化され、仮想空間内での味覚再現のために一部の上流企業を残し、食品業界は一気に廃れた。代わりに仮想空間内に滞在していても栄養補給が出来る流動型完全食や、直接身体に栄養を入れる種肥点滴が流行した。
その他、欲しいものも仮想空間でいくらでも手に入る。
衣類も家具も車も家も。なにもかも。
合理の極致。生活様式の全てを省力化させ、より刺激と即効性を以て欲しい現実を実現できる仮想空間は、いとも簡単に社会基盤に根付いた。
いつしか人は日常のほとんど全ての時間を仮想空間で過ごし、現実で最低限必要な生活行動。
食事、排せつ、洗体、運動さえも、ベッド型VRギア。
誰しもが見たい夢を見れる。
けれど、簡単に人に供与された自由の利く夢は人に衰退と虚弱を与え、その果てに当たり前のように終末をもたらした。
【閑話休題】
点滴用のチューブが数本と、流動食を流し込む銀製の機械のロボットアーム。
高周波振動を起こすマットレスが肉体の最低限の筋肉量を保ち、同時に身体を洗い流す。
排泄に関しても、ちょうどマットレスのへこみの一部が銀製の金属部品に変わっている箇所があり――始めその機能を悟ったとき頬が全力で引き攣った――それさえも、自動化されている。
どの家々にも同じような
気が滅入りつつもそんな【微睡ノ世界】を探索していたが、突然明音が倒れた。
あまりに不意の出来事で、少し目を離した隙に明音が無機質なリノリウムの床に横倒れになっていて。
額の汗と荒い呼吸音。身体を揺すっても意識が無く、何も反応を返してこない。
加えて、身体から過剰なほどの魔力を放出していた。
普段薄紅の澄んだ色をしていたはずが、紅黒く変色し、ほとんど魔力を持たない秋灯が耐え切れず地面に膝をつき。
まるで明音の命そのものを燃やしているかのような、身に溜まった何かを吐き出しているような。
煌々と暗い焔が立ち上っていた。
現役の魔術師の家系――本人は魔術師じゃないと言っているが――である伊扇の手を借りて、なんとか明音をベッドに運び、動かすことも危険に感じられたため、そのまま京都の【微睡ノ世界】で一夜を過ごした。
幸い他の終末再現都市と違って特に敵性の存在もなく、無事に二四時間を経過したが明音は一向に目覚めなかった。
垂れ流し続けるあまりに過剰な魔力によって、本人の身体が悲鳴をあげて。
徐々に衰弱していき、呼吸も浅くなり。
今は、
仮想空間で明音の意識と再会するまでの一週間。
そもそも仮想空間の使い方から、明音の意識をつなげ、普通の看病から行程案の見直し、食料の調達、周辺の調査。
果てはその先を見据えて自身の鍛錬と、秋灯と伊扇は本当に頑張っていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「そんな感じで、先輩は今も寝たきりです」
「これ私よね。なんか燃えてるみたいなんだけど」
空中に浮かんだディスプレイ。そこに機械に繋がれた明音がベッドに寝かされていて。
それを指差す明音という、なんとも不思議な構図。
自分の姿を見てドン引きしている。
「伊扇さん曰く、
明音の身体から今も尚、紅黒い魔力が立ち込めている。
一般人の秋灯は近づくと身体の奥が締め付けられるような、拒否感を覚えてしまう。
「随分迷惑かけたみたいね」
「ほんとですよ、まったく」
一連の話を聞き終え、明音が素直に謝ってくる。
ただ、未だその顔には実感がなさそうで。
「これが、その仮想空間の機械?」
「はい。仮想空間だったら先輩の意思と話が出来るかなと思って。この一週間は看病もそうですけど、VR機械の使い方を試していました」
「へぇ、SFの世界みたい」
しげしげと見つめているが、すでにその反応も秋灯は一週間前に済ましている。
「今の身体はどうです?現実の身体と感覚が切り離されてるはずですが」
「そうね。違和感があるけど、特になんともないわね。すこぶる元気よ」
「そうですか。一応魔力の放出も時間が経てば解消されるみたいなんですが、それまで身体が保つか」
「死にかけてる実感がないんだけど‥‥」
「とりあえず意思の疎通ができることは確認できたんで、俺は一旦戻ります。伊扇さんに伝えてこないと」
秋灯が右手を十字に動かし、目の前にディスプレイが現れる。
「ねぇ秋灯。試練の期限まであとどれくらい?」
「一週間と少しですね」
ログアウト画面を出すが、明音が神妙な顔をしている。
「そう、そんなに。‥‥‥‥それなら、あんた達は先に行きなさい。もう時間がないわ」
「ああ。そういうのは、もう済ましてるんで」
真剣さを孕んだ明音の言葉に呆れたように。
何ならその話題はもう飽きたというような声で秋灯が返す。
「俺が先輩を置いて行くことはありえませんし、そのあたり伊扇さんとも話し合ったんで」
「ちょっと、何よその言い方」
「期限を心配するくらいなら、今は自分の身体を心配をしてください。じゃ、」
口を引き結びきつい目を向けてくる明音に片手を挙げて、一旦仮想空間を出る。
言い逃げに近いが、明音が倒れた当初に伊扇と何度も話し合っていて、本当に今更だった。
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巨大な機械製の円環と中央に差し込まれたベッドの上。
円環が回転しベッドの枕側の奥へ移動、頭を覆っていたバイクのヘルメットに似た機械が外れる。
「あ、秋灯さん!明音さんはっ⁉」
「無事、と言っていいか分かりませんが、意識はちゃんとありました」
秋灯が頭を軽く振って起き上がり、横で心配そうに見ていた伊扇に声を掛ける。
「よ、良かったですぅ」
「伊扇さんにも一週間お世話になりました」
「いえ、そんなこと‥‥」
この一週間、明音の看病からこの先の試練をどう進むか何度も話し合った。
伊扇の帯同は明音に現役の魔術師と関わらせるため無理を言ってお願いした。
打算ありきの提案だったため、先に四国へ行くよう伝えたが伊扇はそれを強めに拒絶した。
普段、人の気ばかり気にしている彼女が自分の想いを強く主張する姿は秋灯にとって驚きで、初めて伊扇に気圧された。
未だ申し訳なさは胸中に残るが、それでも彼女と本当の意味で仲良くなれた気がする。
その他、現代の文明の約百年先の技術である
すぐ隣の家では今も明音の身体は寝たきりで、暗さが混じる紅い魔力が漏れ出ている。
この距離でも魔力の濃さによって、秋灯は多少呼吸がしづらくなる。
「とりあえず意識は無事。問題は身体のほうか‥‥‥」
口元に手を当て、考える。
明音の精神はすこぶる健康。だが本人の身体は刻一刻と衰弱していっている。
点滴用のチューブと、流動食の自動摂取等、機械に生かされている状態。
幸いこの世界が終末の果てに、人の生体に関する事象を極端なまでに自動化させていたから明音の看病に使えている。
あまりにディストピア的な機械だが、京都を訪れていたのは本当に僥倖だった。
まだ意識を戻す術も、過剰な
魔力を放出しきればとも思うが、それよりも早く明音の身体が耐え切れなさそうで。
「あのあの、わ、私も明音さんとお話ししても」
「もちろん使ってください」
秋灯が考え込んでいると、伊扇がしずしず主張する。
ベッドを代わるが、今のところセッティングできたVR機器はこれだけ。
ベッドに横たわった伊扇の周りで、白い円環が回転する。
一旦足元まで円環が移動し再度頭部付近までに戻り身体をスキャンした後、ヘルメット型のVR機械が頭に嵌め込まれる。
伊扇の意識が仮想空間に入っていく。
それを眺め、秋灯は。
「‥‥無防備すぎじゃね?」
仮想空間にいる五感が遮断された状態の人間は、あまりに無防備というか。
伊扇の小柄な体躯に似合わない大きめのそれを眺めて、なんとなくそう思って。
自分の頬を思い切り引っ叩く。今は煩悩に支配されている場合ではない。
とりあえず、明音の意識と会話はできた。
未だ解決策はないが、一旦前進したことにほんの少し安堵する。
秋灯の心中はすでに試練を達成することよりも、明音をどう生かすか。
それしか考えていなかった。
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